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ブックマーク / russell-j.com (3)

  • バートランド・ラッセル「アインシュタイン」(『ラッセル思想辞典』)

    * 原著:Unpopular Essays, 1950 + Dear Bertrand Russell, 1969 * 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』 最高の科学者は、優れた知性と子供のような単純さとの結合から生れる(ところの)特別な種類の感銘を人に与えるものだ。この「単純さ」は、利口さが欠けるという意味ではない。私が言いたいのは、ある意見や行動が世間的にどんな利益があるか・不利益があるか、といったことを顧慮することなしに、非個人的に思考する(自己中心的な考え方をしない)習慣のことである。私の知り合った科学者の中でこの種の特質を最高度に示している良い例は、アインシュタインである。 (写真:ラッセルとアインシュタイン/『ラッセル思想辞典』の方は要旨訳なので少し文章は違っています。) * 出典: Unpopular Essays, 1950 Men of science, at the

    iottena
    iottena 2014/06/07
    「最高の科学者は、優れた知性と子供のような単純さとの結合から生れる特別な種類の感銘を人に与えるものだ」。
  • バートランド・ラッセル「幸福論」(全訳/対訳)目次

    バートランド・ラッセル「幸福論」_松下彰良 (全訳/対訳) - 目次 * 原著:The Conquest of Happiness, 1930, by Bertrand Russell (London; Allen & Unwin, 1930) ★ Full Text ★

  • バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第3章 33-39

    バートランド・ラッセル 自伝 第3巻第3章 - 「平和のためのスパイ」(松下彰良 訳)- The Autobiography of Bertrand Russell, v.3,n.3 9月の諸行事の間における百人委員会の数人の幹部たちによる愚行と,百人委員会の方針がしだいに有名無実なものになっていったことにより,私はかなり苦しめられるようになっていたので,(1963年)1月初めにロンドンの中央委員会を辞した。けれども,百人委員会を正式にやめることになったこれらの理由について詳細に述べたくなかった。(また)それらの理由と同じくらい妥当かつ決定的な理由として,しだいに私がウェールズに滞在しロンドンを留守にする期間が増えたので,中央委員会の活動に参加して役に立つことができなくなった,ということがあった。私はいまでもなお百人委員会の当初の目的と行動に大いに共感を抱いており,少しでも成功のチャンスが

    iottena
    iottena 2012/07/14
    英国は50年も前に、核攻撃を受けた際の行動計画を用意していた。対して現代の日本はどうなのか。
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