『成熟と喪失』の主題は、サブタイトルにあるように「母の崩壊」である。江藤淳は、安岡章太郎の『海辺の光景』や小島信夫の『抱擁家族』に登場する男女の葛藤を例にとりあげつつ、「母」と「子」(主に息子)の密着性が日本の定住者的・農耕的社会に由来すると云う。農耕民族と狩猟民族との文化的差異はよく指摘されることで特段珍しいものではないが、その密着性が近代社会の到来によって教育制度が確立され、誰でも出世することが可能になった、つまり「自由」となったことで崩れていったと述べる。 信太郎に対する母の「圧しつけがましさ」は、流動性のある社会、あるいは誰でもが「騎兵」になる可能性をあたえられている社会に生きる母の心に生じる動揺の表現である。(『海辺の光景』について) 「教育」というかたちで「家」のなかに忍びこんで来た冷い無機質の「近代」というものが、「むづかりては手にゆられ」ていた息子と彼女との動物的な親しさを