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2008年5月15日のブックマーク (4件)

  • 済州島 - Wikipedia

    済州島(チェジュとう、さいしゅうとう[1]、朝: 제주도、英: Jeju Island)は、朝鮮半島の南西、日海、東シナ海、黄海の間にある火山島[2]。その付属島嶼と併せて大韓民国済州特別自治道を構成する。人口は約66万人、面積は1,845 km2。以前には、英語などの西洋言語では Quelpart(クエルパート、퀠파트)とも呼ばれていた。 1402年まで耽羅という独立した王国があった。現在は、首都ソウルとともに代表的な韓国の観光地となっている[3][4][5]。なお、朝鮮語では「島」と「道」は同じ発音と表記であるが、漢字においては「済州島(チェジュド)」と「済州道(チェジュド)」となる[1]。

    済州島 - Wikipedia
  • 白丁 - Wikipedia

    白丁(はくちょう、はくてい、ペクチョン) 白丁 (装束)(はくちょう) - 狩衣から派生した白装束。祭祀などで着用される。 白丁 (日史)(はくてい、はくちょう) - 古代日における律令制下で雑務にあたった無位無官の者、良民(平民)。 ペクチョン - 15世紀頃からの朝鮮半島における被差別民。「白丁」の漢字が当てられ、日語では「ペクチョン」「はくてい」と読む。 関連項目[編集] ハクチョウゲ(白丁花) このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

    irureme
    irureme 2008/05/15
    朝鮮半島における被差別民
  • 李良枝 - Wikipedia

    李 良枝(イ・ヤンジ、이양지、1955年(昭和30年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月22日)は、在日韓国人二世の小説家。帰化後の名は田中 淑枝。 生涯[編集] 山梨県南都留郡西桂町生まれ。小学生のときに両親が日国籍を取得したので、同時に彼女も国籍は日となった。山梨県富士吉田市下吉田の山梨県立吉田高等学校から1973年(昭和48年)に京都府立鴨沂高等学校に編入する。1975年(昭和50年)に早稲田大学社会科学部に入学するが、1学期で中退する。 1980年(昭和55年)5月にははじめて大韓民国を訪れ、以後は韓国への往来を繰り返し、巫俗舞踊(ムソク)や伽耶琴(カヤグム)、語り歌(パンソリ)などの影響を受ける。1982年(昭和57年)にはソウル大学校国語国文学科へ入学し、留学中に書き上げた「ナビ・タリョン(나비타령)」を『群像』に発表し、第88回芥川賞候補となる。また、「かずきめ

  • サバルタン

    サバルタン † 「サバルタン」とは,「下層民」「従属民」ぐらいの意味で使われる。 グラムシの『獄中ノート』の断章「サバルタン諸階級の歴史−方法的基準」に由来する名称。 ↑ 非ユリートの主体性,およびその表象にかかわる諸問題を論じる学問潮流。 「サバルタン」が有効な概念として展開されるようになるのは,コミュニスト史家ラナジット・グハ(1922〜)が中心となって1980年代初頭に形成されたインド史の研究プロジェクト「サバルタン・スタディーズ」において。 「サバルタン・スタディーズ」プロジェクトは,1982年から『サバルタン叢書』という研究叢書を刊行している。 研究プロジェクトは,それまで近代インド史において無視されてきたサバルタン集団に注目することによって,イギリス人エリートによる植民地主義的な歴史記述とも,インド人エリートによる民族主義的歴史記述とも異なる「下からの歴史」を書き