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2012年9月16日のブックマーク (8件)

  • Boldy James - Trappers Alley: Pro's & Con's

  • Amazon.co.jp: 公共性の喪失: リチャードセネット (著), 北山克彦 (翻訳), 高階悟 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 公共性の喪失: リチャードセネット (著), 北山克彦 (翻訳), 高階悟 (翻訳): 本
    irureme
    irureme 2012/09/16
  • ウォッチ | 教えて!goo

    冬の果物の代表、みかん。ビタミンCが多くカロリーは低く、甘みと酸味のバランスが取れた風味で多くの世代から愛されている。冬になると... 続きを読む

    ウォッチ | 教えて!goo
  • 京都読書喫茶。ブックカフェとかゆったり読書系喫茶店とか : 机右の杞憂

    京都で読書できるカフェを探してみるの巻。 とあるTwitter上で自分の棚を晒す企画があって、まあ、それとは直接関係ないのだけれど。 読書会をする予定があって、そのために読書できる=長居できそうなカフェをさがすざます。 ・行ったことあるところも ・行ったことないところも ・お店にがあるところも ・お店にそれほどのないところも ひっくるめて紹介します。 常用しているところは出したり出さなかったり、うふふ。 交通アクセスの比較的良いところを優先しておりますわ。 (有名どころが多いと思われ。毎度のリンク集だと思っていただければ) 【リスト】※順序に意味はござんせん。しいて言うなら自分の出没ポイントを拡散する意図。 TRACTION bookcafe 古書と茶房 ことばのはおと prinz 月と六ペンス Cafe' Bibliotic Hello! cafe 1001 CAFE KOCSI

    京都読書喫茶。ブックカフェとかゆったり読書系喫茶店とか : 机右の杞憂
  • 9/27同志社にて『カルロス』一挙爆音上映、それといくつか - DOOM!

    ということで、タイトルの通りオリヴィエ・アサイヤス監督の『カルロス』爆音上映の詳細情報です。ウェブに詳細見当たらないので簡単に告知を!!! 『カルロス』ホームページ ********** 9月27日(木)京都・同志社大学寒梅館ハーディーホール 13:00 開場13:30 樋口泰人 舞台挨拶13:40 上映開始19:40 終映予定(各部の間に15分休憩あり) 料金 3000円均一(同志社大学学生・教職員無料) ********** 5時間半を爆音で一気に見れるのはこの日だけ! 『カルロス』は9/1からシネ・ヌーヴォで上映がスタート。同志社での爆音のあとの9/29からはみなみ会館でも上映です。そのあとは神戸にも行きます。 しばらく前にWOWOWで放送されたとき、テレビ作品だと聞いていたので録画してもらったDVDを見ようとしたのですが、編冒頭を少し観ただけでいつものアサイヤス作品とまったく同

  • 植村邦彦『「近代」を支える思想』

    どうやらいま、学問の世界の住人のなかでは、大きな革命が進みつつあるようだ。とてもゆっくり、とても静かに、かもしれないけど。 というのも、ヨーロッパで 500 年以上まえに始まった「近代」という社会のあり方を、根的に問い直す議論をよく目にするからだ。 それは、戦前にあったような、西洋にない「日的なもの」をさがす議論でもないし、西洋に対してアジアが対抗するという図式でもない。また、資主義に的を絞って反旗をひるがえすという種類の議論でもないのだ。 ここでいう「近代」とは… ホッブズ、ロック、ルソー、スミス、マルクスらに語られ、 新大陸「発見」、名誉革命、合衆国建国、人権宣言を経て、 英、米、仏、独など欧米で育った、 政治思想と、それに付随した世界観である。 日も明治以来、それをあわてて吸収したし、戦後はアメリカによる占領政策のもとで、急速に取り入れられた。 そんなわけで、いまもわたしたち

    irureme
    irureme 2012/09/16
  • Ueyama Lab

  • デリダ『歓待について』 その2 - Arisanのノート

    歓待について―パリのゼミナールの記録 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,広瀬浩司出版社/メーカー: 産業図書発売日: 1999/12メディア: 単行購入: 2人 クリック: 36回この商品を含むブログ (11件) を見る 前回も書いたように、このに収められたデリダの議論で、ぼくがもっとも注目するのは、彼が「歓待」を「欲望」の問題として、家族的な共同体における権力というテーマと重ねて考えている点だ。 「家族的な」という言葉の意味は、後で出てくる「父的でファロス=ロゴス中心主義的な婚姻のモデル」というデリダの表現に重なり、オイディプスとヘーゲルの思想が、とりあえずそれを代表するだろう。それはどこかの地域の歴史や現在の社会のなかというより、われわれの内部にあって今われわれを呪縛している共同性のモデル、ということだろうと思う。 ぼくにはこれは、非常に今日的な問題に思える。

    デリダ『歓待について』 その2 - Arisanのノート