このタンブラーはそこまでオープンにしないで運用しようとしていた事で、followとかはあるにせよ、あまり読んでる人の顔を想定しすぎずに書けていた反面、多少は読んで欲しいかなと積極的に思う、こういった1年間のまとめのようなテキストは、書いても人に教えにくくなっていてしまう…みたいな理由もあって、GitHubに書いていたんだけど、前に書いたfancamのまとめのurlを勢いでTwitterに載せてしまった事だし、もう別にいいかなって気分なのでとりあえずざっくりこっちに書いちゃう。 あとでGitHubの方にもうつしておきます。 音楽10曲選ぶなら、と思ったけど絞れないので15曲選ぶなら Beirut - “No No No”Bewhy - “In Trinity”DUTCH MONTANA, Dogma & Junkman - “Daijoubu”f(x) - “4 Walls”Girl’s D
今回取り上げる映画『ビリギャル』は、2015年の興行収入ランキングの16位に入るほどのヒット作品ですが、話題になったのは知っていても、馴染みがないという人も多い映画かもしれません。 原作の『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應義塾大学に現役合格した話』もヒットしましたが、タイトル通り、学年でビリのギャルが一年で偏差値を40上げて慶応大学に合格するという話で、映画公開後には、たくさんの人に見られたのと同時に、学年ビリとはいえ、主人公の通っていた学校が進学校であったこと、偏差値が悪かったのは国語だけだったこと、受かった学部の科目が英語と小論文だけだった、高額な塾に通うだけの財力があったなどとインターネット上で突っ込まれることもありました。 今回は、そんな論点も含め、また別の視点からもこの映画を見てみたいと思います。 ビリギャル家族はよくある地方の家族?この映画を見て私が気になったのは
〈ハーフ〉とは誰か 人種混淆・メディア表象・交渉実践 社会一般 岩渕 功一(編著) A5判 300ページ 並製 定価 3000円+税 ISBN978-4-7872-3371-4 C0036 品切れ・重版未定 奥付の初版発行年月 2014年02月 書店発売日 2014年02月16日 登録日 2014年01月17日 紹介日本で〈ハーフ〉はどのような存在なのだろうか。戦前から戦後に〈ハーフ〉がたどった歴史、映画・雑誌・マンガでの描かれ方、当事者たちへのインタビュー、といった素材や視点から、〈ハーフ〉が直面する差別の構造やカテゴリー化の文化政治を明らかにする。 目次序 章 〈ハーフ〉が照らし出す人種混淆の文化政治 岩渕功一 1 〈ハーフ〉とは誰か? 2 近代日本における人種混淆と「日本人」の構築 3 〈混血〉と〈ハーフ〉のメディア表象 4 言説と表象が不可視にするもの、捉えきれないもの 第1部
IROHA GRAND HOTEL 【いろはグランホテル松本駅前】コラボパートナーになってホテル... 詳細を見る
内容情報 [BOOKデータベースより] 家族、性、知覚、欲望…身体はどこまで担えるか。現代社会の全体像を把握し、新たな知の基盤を築くための挑戦。 1 「身体」としての現代(“語る身体”の生成;潜在脳、自由意思、社会;関係としての身体―障害を生きる経験から;思弁的実在論と無解釈的なもの;ポストメディア時代の身体と情動―フェリックス・ガタリから情動論的転回へ) 2 「家族」の終焉?(揺らぐ日本の近代家族;家族の多様性と社会の多様性―少子化をめぐって;近代家族の臨界としての日本型国際結婚) 3 「性」をめぐって(現代社会における性的差異と性関係―ラカン派精神分析の観点から;性的マイノリティをとりまく困難と可能性―同性愛者への寛容と構造的不正義) [日販商品データベースより] 家族は必然の存在なのか。制度など自明の形を取るはるか以前から、社会の最深部の変化を鋭敏に知覚する身体。今身体は何を捉えてい
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