ブックマーク / massneko.hatenablog.com (12)

  • 南部坂 東京都港区赤坂/六本木 - 墳丘からの眺め

    赤坂氷川神社の正面参道が突き当たる道を北側に降りていくとアメリカ大使館職員宿舎の入口になる(グーグルマップには○○タウンハウスと表示) その敷地沿いに東に回り込んでいくと、昔日の面影を残すような坂があった。 石垣と草地の斜面の上は「アメリカ」 標柱の解説。 なんぶざか 江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。 大石内蔵助が討ち入り前に浅野内匠頭の・瑤泉院に暇乞いに訪れたという「南部坂の雪の別れ」の舞台であるらしい。 車は下りの一方通行。 ゆるやかに右にカーブする。 終点が見えてきた。 自販機の横に立派な石碑があった。昭和45年の建立。 坂の起終点の二又。 今度は上ってみた。 ズームで。上りの先が見えない感じはワクワクする(来た道ではあるが) 港区にはもうひとつ南部坂がある。広尾と麻布台を結ぶ坂。 どちらも南部藩の屋敷があったこ

    南部坂 東京都港区赤坂/六本木 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2017/06/26
    趣き感じる風景。素敵なお写真☆
  • 新宿区立 林芙美子記念館 東京都新宿区中井 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 旧島津家アトリエの前の道を西に進むとすぐに”三の坂”の上に出る。 両脇に樹木が茂るいい雰囲気の階段。 階段を降りてすぐに林芙美子記念館の入口がある。 入館料は一般150円。新宿区立 林芙美子記念館 かつて使われていた門はさらに下ったところに。 記念館入口はかつての勝手口。敷地内のスロープを少し上って振り返ったところ。 建物や庭は背面右側、南向きの斜面に立地している。 スロープの途中に詳細な説明板があった。 この建物は「放浪記」「浮雲」などの代表作で知られる作家・林芙美子が昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。 大賞1年(1922)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14(1939)12月にはこの土地を購入し、新居を建設し始めました。 新居建設当時、建坪の制

    新宿区立 林芙美子記念館 東京都新宿区中井 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/11/27
    趣きたっぷり♡私も大好きな風景です。
  • 特別展「中島飛行機の傑作戦闘機たち」 所沢航空発祥記念館@埼玉県所沢市並木 - 墳丘からの眺め

    2016年9月4日で終了した企画展。 所沢航空発祥記念館の入口にあった案内幕。 常設展スペースの一部が特別展コーナーとなっていた。 中島飛行機の創業者に関する解説。 上記によれば、中島飛行機を一代で築き上げ「飛行機王」と呼ばれた中島知久平は明治17年(1884)に群馬県尾島町の農家に長男として生まれ、海軍機関学校を経て海軍大学の選科生となった。明治45年(1912)には米国のカーチス飛行機工場で飛行機製作を学び万国飛行免状も取得、33歳で海軍を退官して郷里の尾島町に「飛行機研究所」を大正6年(1917)に開業した。中島飛行機が前身の富士重工業は今でもこの年を創業年としている。 3年後には中島五型練習機を所沢で飛行させ、陸軍から100機を受注した。 その後、日の軍需工場として発展し、終戦までの28年間で3万機弱の飛行機を製造。第二次大戦中は機体は28%のトップシェア(2位は三菱重工)、発動

    特別展「中島飛行機の傑作戦闘機たち」 所沢航空発祥記念館@埼玉県所沢市並木 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/09/10
    明日、ここ行ってみます♪
  • 首里金城町の石畳道 沖縄県那覇市首里金城町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 那覇まちま~いで小禄の裏道を巡った後、出発便まで、もう少し時間があったので、ゆいレールの一日乗車券を活用して首里金城(きんじょう)町の石畳道へ行ってみた。 午前のまちま~いで歩いた真珠道の起点にあたるところ。 首里駅からは歩くと15分とスマホに出たのでタクシーを利用した。 首里城の南側の細道を抜けて赤マルソウ通りを行くと石畳道の入口がある。 一歩石畳道に入ると、いきなり時間を遡ったように。 路面の石畳だけでなく左右の石垣も見事。どちらも琉球石灰岩で石畳は「乱れ敷き」、石垣は「あいかた積み」という手法になるそう。 さすがにメジャーな場所なので観光客は多い。外国の方が多かった。 辻々には石敢當(いしがんとう)が立つ。看板や案内板は抑制がよく効いている。 首里金城町石畳道 - Wikipediaには下記のように書かれていた。 首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10km

    首里金城町の石畳道 沖縄県那覇市首里金城町 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/07/27
    THE沖縄!
  • 那覇まちま~い「パワースポット奥武山と山下町めぐり」ツアー・3(真珠道・落平編) - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 山下町を巡ったあと更に斜面を上って、丘に沿って今も残る真珠道(まだまみち)跡へ向かった。 真珠道は16世紀初頭か使われている道筋で、かつて琉球王朝時代に首里城と那覇港を結ぶ幹線道路・軍用道路だった。 一列になって歩く。 グレーチング(格子状の側溝蓋)のスキマから鮮やかな色の花がみえた。 このような素敵な枝道が次々と現れる。通らなかった下り道。 通らなかった上り道。先にはお墓があるようだった。 琉球王国時代からの敷石が残るところもあった。 真珠道沿いには、木の電柱も幾つか残っていた。 板壁と街灯柱と電柱。 2つの柱の間には石敢當(いしがんとう)があった。T字路などの突き当たりにある魔除け。 歩いてきた真珠道を振り返ったところ。 ここで石敢當を背にすると、青い扉の駄菓子屋さんがあった。 「おばあ」が一人で切り盛りしている駄菓子屋さんで、ガイドの方によると営業中に立ち寄れるのは稀

    那覇まちま~い「パワースポット奥武山と山下町めぐり」ツアー・3(真珠道・落平編) - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/07/23
    琉球王国時代からの敷石,探してみます!
  • 松戸市立博物館 常設展・「幸田貝塚の世界」展  - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 松戸市立博物館は1993年、松戸市制50周年記念事業として「21世紀の森と広場」や「森のホール21」と同時につくられた。 20年以上経つものの、市町村の郷土博物館としては比較的新しく、子どもが見ても充分楽しめる展示になっているように思える。 旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけての充実した資料があるほか、中世の山城、江戸期の河岸の様子などはジオラマがあって理解しやすい。 2階案内図 松戸市立博物館|松戸市 とても美しい形をした旧石器時代の「木葉形尖頭器」 長さ5.5mの縄文後期の丸木舟。小金高校付近から出土している。 縄文期の石器類。左の列はその素材である様々な種類の石を直接触ることができる。 河原塚1号墳の主体部の復元模型があった。 河原塚1号墳は東松戸駅の北700mほどの地点にある。すぐ東に武蔵野線が通り、冬なら車窓から、林の中にシルエットが見える。 2年前の早春に

    松戸市立博物館 常設展・「幸田貝塚の世界」展  - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/05/20
    子供を連れて行ってみます♪
  • 国宝・円覚寺舎利殿 神奈川県鎌倉市山ノ内 - 墳丘からの眺め

    5月3日、北鎌倉の円覚寺へ、国宝の舎利殿の特別拝観に出かけた。 円覚寺塔頭正続院の”昭堂”で、源実朝が宋の能仁寺より請来した仏牙舎利(釈迦の歯牙)が納められている。 現地の説明板。 円覚寺の舎利殿には「佛牙舎利」と尊崇されるお釈迦様の歯牙をおまつりしております。その由来は将軍源実朝公が宋の時代、中国能仁寺から請来したものです。この舎利殿は鎌倉にあった太平寺(尼寺廃寺)の佛殿(鎌倉時代末~室町初期に再建)を移築したもので、中国、南宋時代の建築様式に学んだ禅宗様建築の代表的な遺構です。関東大震災に倒壊しましたが、昭和4年に復元しました。 内部正面に佛舎利をおまつりする宮殿が安置され、その前に鎌倉彫りの須弥壇があり、観音菩薩と地蔵菩薩がまつられています。隣は円覚寺派の厳格なる修行道場となっており、円覚寺開山 無学祖元禅師をおまつりした開山堂とともに円覚寺随一の幽邃(ゆうすい)の地となっています。

    国宝・円覚寺舎利殿 神奈川県鎌倉市山ノ内 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/05/04
    心が洗われます。
  • 国立博物館附属 自然教育園(国史跡・旧白金御料地) 東京都港区白金台 - 墳丘からの眺め

    4/12のお昼、とても天気がよかったので以前から気になっていた国立科学博物館附属自然教育園へ行ってみた。 目黒通り沿い、東京都庭園美術館の東隣に入口があり、目黒駅から徒歩9分・白金台駅から同7分。 入口にある説明板。面積は20haで上野公園(14ha)の1.5倍近くになる。 沿革は公式サイトに遥か昔の部分から説明されていた。 附属自然教育園について ≫ 沿革 :: 附属自然教育園 Institute for Nature Study 自然教育園を含む白金台地は、洪積世(20~50万年前)海によって作られました。 いつ頃から人が住み着いたかは不明ですが、園内から縄文中期(紀元前約2500年)の土器や貝塚が発見されていることから、この時代には人々が住んでいたと考えられます。 平安時代には目黒川、渋谷川の低湿地では水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として欠かせなかったムラサキの栽培も

    国立博物館附属 自然教育園(国史跡・旧白金御料地) 東京都港区白金台 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/04/17
    いちりんそう、大好きな花です。すてき。
  • 権現堂堤・桜と菜の花(県営権現堂公園) 埼玉県幸手市大字内国府間(うちごうま) - 墳丘からの眺め

    4月10日の日曜日、午後から車でいくつかの古墳を巡りました。 最初に行った古墳の近くに桜で有名な権現堂堤があったので、そちらにも足を伸ばしました。 堤の上1kmにわたって約1000のソメイヨシノが咲き誇る名所。 花のピークは過ぎていましたが近くの駐車場は満杯。が、他にもいくつかあるなかの一つに停めることができました。 公共交通機関だと東武日光線の幸手駅からバス。駅から徒歩だと30分かかります。 アクセス – 県営権現堂公園 駐車場脇には大きな屋台(座敷付き)も。 この日までが桜まつりでした。 堤の上段、中段、下段と、片側だけで3列並んでいます。 堤の上はところどころで混雑する程度。 幸手市の説明板がありました。 市制施行5周年記念 幸手八景 権現堂桜堤 権現堂堤は、昭和初期に廃川となった権現堂川の堤でした。江戸時代には、この堤が切れると江戸まで洪水が及ぶといわれていました。堤の工事が進む

    権現堂堤・桜と菜の花(県営権現堂公園) 埼玉県幸手市大字内国府間(うちごうま) - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/04/13
    美しい!!!!
  • 南大塚駅からの貨物支線・西武安比奈線跡 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 山王塚古墳から入間川街道を辿って南大塚駅に戻る途中で、スマホの地図に気になる線路跡を見つけた。 行ってみると”いい感じ”に線路が残っていた。 入間川街道では、お団子屋さん(丸和だんご川野屋)のお隣。 こちらば南側、南大塚駅への方向。 西武安比奈(あひな)線 - Wikipediaによれば、南大塚駅から入間川沿いの安比奈駅へ至る全長3.2kmの貨物線で、入間川の砂利運搬のために1925年(大正15年)に開業したが砂利の需要減や採取規制強化により1963年以降、「休止」のまま半世紀が過ぎていた。 それが、つい最近の2016年2月10日、西武鉄道が「路線廃止」を正式決定し、関連して126億円もの減損を計上したそうだ。 2016年11月末に「廃止」予定となっている。 南大塚駅へこの線路に沿って歩いた。 国道16号と交差する地点にも架線柱が残っている。 1980年代には車両基地の計画

    南大塚駅からの貨物支線・西武安比奈線跡 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/04/11
    ほほぅ。
  • YOKOSUKA軍港めぐり(横須賀港 艦船見学クルーズ) 神奈川県横須賀市本町 - 墳丘からの眺め

    3月末、休暇を取って下の子と横須賀へ出かけた。 当初案の北関東古墳プランは子どもに却下され、横須賀港(&走水煉瓦建物)とした。 「アメリカ海軍と海上自衛隊の艦船を間近で見ることができる日で唯一のクルージングツアー」で、前にテレビで見て一度乗ってみたかった。 ネットで予約が可能で、天気の様子を見て、前日に10時の便を予約。 YOKOSUKA軍港めぐり | 【TRYANGLE WEB】YOKOSUKA軍港めぐり / 無人島・猿島 / ヨコスカBBQ のトライアングル 渋滞を考慮したら早く着きすぎたので、まず三笠公園で戦艦三笠を見学(これは別の回で) サイトにあったイオン(最近までダイエー)に車を停めてチケット売り場へ。 一般(中学生以上)1400円、小学生700円。 巨大な建物で迷ってしまったが、2階の南西側の出口を目指すのが正しかった。 出航20分程前にチケットを買ったが、すでに列が出来て

    YOKOSUKA軍港めぐり(横須賀港 艦船見学クルーズ) 神奈川県横須賀市本町 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/04/02
    うちの息子が船好き!連れてってあげたいなー
  • 「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる」展 @東京都現代美術館 江東区三好 - 墳丘からの眺め

    すでに終了した展覧会。最終日(2/14)に行ったときのもの。 「東京アートミーティングⅥ  "TOKYO"-見えない都市を見せる」展 以下は公式サイト東京都現代美術館より。 東京オリンピック・パラリンピックを2020年に控え、東京は文化都市としてどのような姿を見せているのでしょうか?デジタル化、商業化された文化の外観は、フラットでとらえどころのない荒野、洗練されているゆえに冷たい氷河のようにも見えます。東京が最初にグローバルに注目されたのは1980年代。ユニークな文化を生み出す東京の創造力がそこで一度花開きました。その後、震災と経済不況を経て、いま次なる文化を模索するプラットフォームがたちあがりつつあります。 展は、東京を新たに「見いだす」二つの要素によって構成されています。一つは、各界で活躍する東京のクリエイターが各々のトピックでキュレーションする「東京」。もう一つは、国内外の作家が「

    「東京アートミーティングⅥ "TOKYO"-見えない都市を見せる」展 @東京都現代美術館 江東区三好 - 墳丘からの眺め
    isakuya
    isakuya 2016/02/29
    φ(..)メモメモ コレ、気になる!
  • 1