12歳で満州(現中国東北部)から引き揚げるまで、日本の地を踏んだことがありませんでした。父は、朝鮮総督府の海軍武官だった祖父の勧めで、鉄道技師として朝鮮総督府鉄道に入り、私も朝鮮で生まれました。 2歳の時、父が南満州鉄道勤務になり、満州に移りました。小2から終戦まで暮らしたのはハルビンです。軍国少年だった私は、円谷英二さんの特撮とも知らず、映画「ハワイ・マレー沖海戦」の飛行機の雄姿、爆発シーンに熱狂、兄2人に続き関東軍に入って「日本の北の防塁たらん」と使命感に燃えていたのです。 1945年8月9日夜、轟音(ごうおん)で家族全員が跳び起きました。敵の飛行機が旋回し、ハルビン駅近くに火柱が立っていました。そして15日。玉音(ぎょくおん)放送で敗戦を知り、五臓六腑(ごぞうろっぷ)をえぐりとられたように、全身から力が抜けました。 日本の軍隊は武装解除し、無政府状態の街にソ連軍が侵攻してきたのです。
![終戦の満州、悪夢の始まり…俳優 宝田明さん 81 : まとめ読み「NEWS通」 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d86e7fcfc1eed2f932a9b522922e201eef4fe104/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.yomiuri.co.jp%2Fphoto%2F20150812%2F20150812-OYT8I50069-L.jpg)