1969年、北海道静内町のへいはた牧場に生まれる。同場は兵庫県神戸市の宝石商・田島正雄が、かつて坂口正二厩舎の厩務員であった幣旗力を場長に据え1965年に創設した新興牧場であった[7]。牧場時代は1周400メートル程度の小さな馬場で猟犬のポインターに追われるという育成調教を積まれていた[8]。 競走年齢に達し、田島の所有馬(名義は「(株)ホースタジマ」)として、坂口正二厩舎に入厩。体高143cm[8]という小柄で華奢な馬であったが、入厩当初から調教で軽快な動きを見せ、その素質はデビュー前から高く評価されていた[9]。一方で非常に気性が激しく、日常の世話にも手こずるほどの悍馬であった。このため、癖馬扱いの名人として知られた引退厩務員の田原豊蔵を招き、とくに許可を得てハマノパレード専属の担当者とした[5]。しかし調教においては変わらず悍性がきつく、まともな調教はできなかったという[5]。 19