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  • 日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース

    事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨

    日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース
    itarumurayama
    itarumurayama 2022/01/26
    裁判員関係者は、マスコミが遺体写真を自粛してるため、一般市民の「その手の画像」への耐性が弱まってしまい、一般市民が裁判員裁判で遺体写真をむりやり見せられた際にPTSDになってしまう、と嘆いてる説
  • 欧州で第二次世界大戦が勃発した後、多数のユダヤ人が日本に逃れてきて、神戸に滞在したという話を読んだの... | レファレンス協同データベース

    欧州で第二次世界大戦が勃発した後、多数のユダヤ人が日に逃れてきて、神戸に滞在したという話を読んだのですが、彼らが神戸でどのように暮らしていたかがわかる史料はありますか。 戦前期の日とユダヤ人のかかわりに関する史料は、主として外務省記録「民族問題関係雑件 猶太人問題」(猶太=ユダヤ)に綴じられています。また、同記録ファイルには、日に逃れてきたユダヤ系避難民に関する史料も多数残っています。神戸における彼らの生活状況を詳細に報告した史料として、当時の日郵船の神戸支店長が1941年(昭和16年)4月9日付けで、社に送った報告書があります。 同報告書によると、当時の神戸には約1,700人にものぼるユダヤ系避難民が滞在し、そのうちおよそ1,000人は生活費にも困窮していて、在米ユダヤ人協会からの援助で1人1日1円20銭を支給されていましたが、事や住居など厳しい暮らしを強いられていたそうです

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    itarumurayama
    itarumurayama 2012/10/18
    いわゆる杉原ビザによる生き残り、「スギハラ・サバイバル」だな。手嶋龍一の小説にも登場。手塚治虫は幼少時に神戸ユダヤ人を見ていて、それが「アドルフに告ぐ」の元になった
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