今回の国籍法改正に反対する人々(ブロガー,コメンテーター並びに評論家,政治家(現役の国会議員のみならず,元国会議員も含む。)の発言を拝見させていただき,「愛国心」というものが斯くも人々から,品位と知性,人間性と論理性を奪うものであるとするならば,むしろ学校教育で「愛国心」などというものを教えてはいけないのではないか,という感想すら抱きました。 少なくとも現在の日本の言論環境では,「国を愛する」という言葉が自分について向けられるときには,その人が有している,自分とは異なる母集団に属する者に対する懼れや憎しみ,嫉妬や侮蔑などのネガティブな感情を正当化するために広く用いられているのだなあと,強く感じました(これは,「国を愛する」ということが他人(とりわけ自分より立場の弱い人々)に向けられる場合に,不合理を甘受させるためのマジックワードとして用いられているのと比べると,まさにベクトルが正反対である