前作は通常版での上映で見たが、あまり面白くはなかった。話があまりに単調すぎて眠くて仕方がなかった。「これは大画面でこそ見るべき映画だ!」といろんな人が散々宣伝しているから今回はIMAXで見ることにした。ラージフォーマットで見る映画だという散々な宣伝の真偽を確かめるために500円を加算した。確かに迫力がある。圧倒的な没入感だ。やはりこれは大スクリーンで見るべき映画だった。それは確かに認めるけど、やは . . . 本文を読む
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『ブリグズビー・ベア』 ストーリーは更新されなくてはならない 1981年3月30日、ワシントンDC。25歳の青年ジョン・ヒンクリーは、その年に大統領へ就任したばかりのロナルド・レーガン暗殺を試みた。ヒンクリーはかねてからジョディ・フォスターのストーカーであり、大統領の暗殺に成功すれば、彼女に認められると考えていたのだ。いったいどのような理由により、彼が「大統領を暗殺すれば、意中の女優が振り向く」と、何の脈絡もないふたつの事象を関連づけたのかはわからない。しかしヒンクリーはそのような奇矯なストーリーに沿って生きていたのであり、レーガン大統領暗殺未遂事件が私たちに独特の憐憫を呼び起こすのは、犯人がかかるみじめな物語のなかでしか生きられなかったことの空虚さゆえである。 私たちはみなストーリーに沿って生きている。人は何らかの物語のもとでしか生きていけないからこそ、誰もが内部にストーリーを持ち、日々
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