⇒お前が死ねば俺が幸せになる。 - 真性引き篭もり お前が死ねば僕が幸せになる。かつて、そう思う人は大勢居た。今も大勢居る。眠たさで微睡んで自らの活力が落ちている時間帯などには毎日、死ね、死ね、のたうち回って死ね、と思っている。かつては、眠たくなくても思っていたので、幾分かは「お前が死ねば俺が幸せになる」と思う事も、減ったのだろう。それを『成果』と書き記す事には若干の抵抗があるけれど、それは正しく、引きこもった成果なのだろうと思う。けれども5年前を境にしてそれも急激に増えた。 私は意識的には減ったかな。 じゃそれ以前は多かったかというと、意識していなかったというか抑圧していたかな。 ただ50過ぎまで生きていると、人の世の理不尽のマクロ的な公平性というか、こんな奴死ねよという人がのうのうと生きているのに、あの善人になぜこんな不幸がという、そういうなんかマイナスかけるマイナスみたいな公平さとい