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  • 富野コンテとアニメコンテ | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    『機動戦士ガンダム』(初代、TV版)を毎日のように観る、というのは、ほんと楽しかった。 全話はとても観れなかったんだけど、それでも日々の楽しみとして、ある「独りゲーム」をやっていた。 その日に放映された話の絵コンテが「富野監督かどうか当てる」という、ゲームである。うっわーっ我ながら暗ええっ。 んで、俺のようなトーシロでも、結構な確率で当たるわけだ、これが。 それだけ富野コンテはちょっと特徴的なんだよね。 どう特徴的か、というと、「アニメっぽくない」という、ただその一言に尽きるね。 アニメ制作で一番負担になるのは作画なんだな。だから、アニメのコンテは基、作画の省力化を意識しているわけ。 ところが、富野は、そういう、アニメの都合のために考え出されたコンテ作法を、かたくなに拒否しているの。 具体的にいうと、奥行きのある構図で、手前から奥へ、あるいは奥から手前へ、という動きで芝居をさせようとして

    itouhiro
    itouhiro 2016/06/13
    「実写ではやりたがらないで、アニメで普通な構図は、真横とか真正面。アニメはキャラ表にも真正面・真横があるしマンガ的表現でも多いから違和感もない。でも実写だと囚人の写真、画面に変な緊張感」
  • フラットキャラクターは初期配置が大事 | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    いまさら気づいたことの(4)でも触れたけど、今回驚いたのは『ガンダム』の登場人物はフラットキャラクターだったということね。 フラットキャラクターというのは、おとぎ話から、子供番組、水戸黄門のような作品にまで登場する作中人物の造形のレベルのこと。 ひとりの人間が、現実世界のように、複雑な内面をもっているのではなく、人物ごとに分割されて表現されているのが、このテの作品なんだな。 俺の場合、小説版のイメージに引きづられて、『ガンダム』の登場人物たちは、ひとりひとりが人間的な内面をもって造形されていてるとばかり思い込んでいた。 今回初代TVシリーズを観て、その思い込みが間違っていたことを知って、少なからず驚愕した。驚愕したとともに、なぜ初代ガンダムは「見やすい」のか、敷居が低いのか、という点で、なるほどそういうわけだったのか、と納得もいった。 TVドラマの作中人物の造形レベルは、たいていフラットキ

    itouhiro
    itouhiro 2016/06/13
    「フラットキャラクターとは、人が複雑な内面をもたず人格が変わらず、人格的特徴が人ごとに分割される造形レベル。リーダー、人情家、皮肉屋‥。一回見逃しても理解可能なわかりやすさ。観ていて疲れない」
  • 『ガンダム』の挫折 | ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

    『機動戦士ガンダム』のラストでは、カツ・レツ・キッカという次世代の子供たちが、「じつはニュータイプだった」という意外な展開で、その能力を発揮して、アムロを救済する。 それまで「お荷物」以外のなにものでもなかったチビちゃんたちが、ラストにおいて主人公を救うのだ。これは美しい。 そしてそれは「セックスを描かない」という制約のなかで「世代の継承」や「次世代への希望」を見事に描いてみせたことになる。つまり見事なまでにジュブナイルとしてのラストシーンなのだ。 今回あらてめて見直して痛感したのは、『ガンダム』はジュブナイルだった、ということである。 ガンダムの前にガンダム的なものはなかったので、「子供向け」につくらざるをえなかった、という事情もある。 しかし、それ以上に、おそらくメインライターの星山博之、作画監督の安彦良和の才能と資質が、『ガンダム』をジュブナイルの方向に引っ張っていったのではないかと

    itouhiro
    itouhiro 2016/06/12
    「初代ガンダムは好きだが、他の富野作品は苦手、というひとは、おそらく脚本家 星山ファンである。星山脚本の魅力は、小学生高学年から中学生以上が対象のヤングアダルト向け。安彦良和もジュブナイルの才能」
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