変わりつづける。学びつづける。新しい自分に出会うための1ページ。
学生からの依頼に応えて、インタビューなどを受ける機会がある。彼らは決まって「お金がないので、ギャラは払えない」と言う。そのくせ、実際には待ち合わせた喫茶店の代金をもとうとしたり、菓子折りを持参してきたりする。だから私は、いつもその場で彼らを怒る羽目になる。 タダ働きをさせることについて申し訳ない気持ちが少しでもあるのなら、本来あるまじきことだと思っているのなら、私にギャラを払ってほしい。こう言うと彼らは決まって身を竦めるのだが、構わずに続ける。それが「対価」でさえあれば、値段は、100円だっていいんだよ。 喫茶代やお菓子代に回すお金が何千円と出せるなら、それを学生新聞や研究サークルの「経費」で落とせるのなら、その十分の一でいい、ギャランティを捻出してほしい。その上で、「あなたにギャラを払ってしまったから、もうお金がない」と言えばいい。訪ねてきた全員分のお茶くらい、いくらでも奢ってあげよう。
舞台にしても映像にしても、何に音楽をつけるときでも、 私たち音楽に携わる人間が、作業の過程で言われることでしばしば傷つき、滅入り、腹を立てる言葉に、 「それと音楽となんの関係があるんだ?」 とか、 「お前の言ってることは意味ないよ。みんなは音楽を聴いてるんだからさ!」 というものがあります。 例えば、ゲーム音楽を作っている場合。 ゲーム中の音楽が鳴っている最中に、何かアイテムを手に入れたファンファーレも鳴らさなければならないとします。 これが滅多に出てこない重要なアイテムなら、元々鳴っていたBGMの音量を一時的にプログラムでゼロまで下げ、ファンファーレが鳴り終わったらBGMの音量を元に戻すわけですが、ゲーム中に頻繁に入手する「ちょっとしたアイテム」の場合、元のBGMは下げずに、効果音と同様にファンファーレが“ただ鳴る”ようにするケースがあります。 “ゲーム音楽家”の腕の見せ所です。あるBG
2014年04月17日放送のTBS系の番組『櫻井有吉アブナイ夜会』(毎週木 22:00 - 22:54)にて、漫画家・タレントの蛭子能収が仕事に対する考え方について語っていた。 「仕事とは、みっともないことをしてカネをもらう対価である」と断言する蛭子。彼の仕事への哲学、そしてそう断言する理由について、最高月収や番組のギャラを包み隠さず明かしながら語っていた。 正直エビス 野々村真:奥さんに月いくら渡すんですか? 蛭子能収:50万円。 野々村真:えぇ? 蛭子能収:奥さんにいくら渡してるんですか? 野々村真:ウチは財布は嫁だから。 蛭子能収:あぁ。 野々村真:嫁からもらってるんですね、俺は。 蛭子能収:あぁ、そうなの? 野々村真:50万円渡してるんですよね?僕は月5万円もらってます。 蛭子能収:ふふ(笑) 野々村真:何、この格差(笑)…そう考えたら、蛭子さんは月いくらもらってるの?あのいい加減
競合という概念の消失(企業も個人も)「安定していて」「ブレずに」「変わらない」状態でないと力を発揮できないという人たちが、取り残されようとしています。昨日言っていたことと今日言っていることがまったく違う、そういう人や組織を、「いい加減な奴」と思うか、反対に、昨日も今日も同じことを言っている人や組織を、「進歩のない奴」と思うか、大きな価値転換が起こっているのです。公務員を抜かして、大企業で「昨日も今日も同じこと」をやっていても、全員が食えるというのは、非常に貴重なことなんです。稀なこと、と言い換えても良い。本当は奇跡的なことなんです。 それは、その事業を興した、創業当時の人たちの力が、慣性力となって今もまだ衰えていない、ということなんです。 起業家や経営者には色々なタイプがいると思いますが、そのどれもがそれなりに、起業家や経営者であれ安定を求めているんです。起業家や経営者は無謀な冒険家や探検
年末ということで、自分がどのような働き方を目指しているのかを改めて考えてみました。結論的には、自分がいなくても仕事が回るような仕組みやチームを作り、いつでも抜けられる状態にするということです。つまり、いつ首になっても問題が無いポジションに落としこむということです。この働き方は、圧倒的に楽です。自分にしか出来ないことがないので負荷が集中しないし、代わりの人間がいるので心理的にもプレッシャーは少ないです。そもそもルーチンの仕事は、自動化などでシステムが出来るようになります。そうすると、面白い仕事が出てきた時に取り組み易くなります。 反対に自分にしか出来ない仕事を抱え込んでしまうとどうでしょう?自分自身がボトルネックになるので、休めないし心理的なプレッシャーもあります。そして、延々と同じ仕事を続ける必要があります。10数年働いてそれなりの数の人を見てきましたが、自分のポジションを保つために仕事を
新人が育たないと愚痴ってる人を自社でも出向先でもしょっちゅう聞くんだが、そういう所って大半は手順書とかマニュアルといったものが全然無いか、あるいは手抜きばかりなんだよな。 たとえば、「増田に指定された文面を書き込む」という業務があるとする。 初日の新人に「これ読んで」と渡すものが、書き込み画面のスクリーンショット一枚だけで、中途半端な位置にテキストボックスが二つ。「ここにタイトルを入れる」「ここに本文を書く」から矢印がそれぞれ伸びてるだけの一枚紙って感じ。そんなので分かるわけないじゃん。 そもそも増田のアドレスが分からない。ログインする必要はあるのか。あるとしたらはてなのIDとパスワードは何を入力するのか。ログインする際にログイン状態は維持するのか。ログインの際、ブラウザのオートコンプリート機能はどうするのか。「確認する」ボタンは使わないのか。入力後「この内容を登録する」ボタンを押したらペ
これから暴論を書きます。 日本語におけるいわゆるプロフェッショナルという言葉には高度に専門的な、というようなニュアンスが含有されていることが多いけれども、こと仕事という点にフォーカスして考えるとそれによって食っていくのがプロであり、一般的な会社員もある種のプロだし、プロだからという点をもって仕事が保証されるということは一切ないのである。 スポーツや芸術分野におけるプロはわりとプロであることを特別視しがちだが、そんなことはない。彼らはもしかしたら「才能と努力の結果」がプロであると思っているのかもしれない。あるいは、一度到達した地点のことを。でも、世の中に必要とされるプロは「今そこで結果を出す」プロである。 例えば僕のいるIT業界だって多分に日本語的なプロフェッショナルを必要とする仕事である。かつて、一人ひとりが専門家でなければ仕事にならなかった。今はどうか。大半の従事者は自分で考えることが極
ネットによって文章を書くようになった人たちは消費者でもなくクリエイターでもなかった - Togetterまとめ 上記のまとめを読んでいると、なんとなく、「うんうん、その通りだね。プロの社会的価値を下落させる何者かを、“あるべき顧客の姿”に戻さないといけないね」と頷きたくなる。しかし少し真面目に考えてみれば、他業種・他分野では到底通用しない考え方だと気づかざるを得ない。 他業種・他分野では、“プロの社会的価値を下落させ、顧客を喪失させる何か”の実例はいくらでもある。 例えばマイカーの普及は、馬車の御者や人力車といったプロの仕事を奪い、後にはローカル鉄道や路線バスの採算性をも破綻させた。人々が欲しかったのは、馬車でも人力車でもなく「素早く目的地に到達すること」だった。だから「素早く目的地に到達すること」がマイカーで達成されるようになれば、馬車や人力車やローカル鉄道にお金を払いたいとは誰も思わな
グーグルを辞めて古巣のマイクロソフトに戻った James Whittaker さんのブログを翻訳してみました。最後の一言が気に入ったので。 グーグルからマイクロソフトに転職することはそんなに珍しいことじゃない、と指摘するだけでは説明として十分じゃないんだろうと思うので、もう少し詳しく説明するよ。細かいことはいいという人のために用意した短いバージョンは次のとおりだ。「ぼくの考えでは、モバイルやウェブで起こっているいろいろなことは壊れていて、ますます壊れる方向に進んでいる。ユーザーはプライバシーに対する攻撃を受けていて、アイデンティティや個人情報に対するコントロールを失いつつある。個人開発者にとっては、ウェブを前に進めるために必要なデータやサービスが壁に囲い込まれてしまっている。この問題を解くには、さまざまな知的な資質や、技術的・情報的な資産、そしてソフトウェア開発者に対する包括的な態度が必要
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