キングメーカーに関するizuminoのブックマーク (5)

  • 一足先に宇野常寛の「母性のディストピア」を読んでみる - 本日、半端者

    新潮 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2008/10/07メディア: 雑誌 クリック: 12回この商品を含むブログ (8件) を見る宇野常寛の作品を「ゼロ想」以外読んでいなかったので、その後の氏の評論を一通り読んでみた。一通り要約してみると 敗戦、アメリカの支配を受けることによって、日人はそれまでの前近代的な母性を通じた<成熟>への回路を失った。そこで、戦後ではアメリカという存在と(肯定的であれ、否定的であれ)対峙することによって、成熟するという新しい成熟への道が浮かび上がった。しかし、冷戦構造の崩壊によって、アメリカという存在の力が弱くなり、日人は再び成熟への回路を見失うことになった。そのような状況の下で、前近代的な母性に身をゆだね、他者を排除し、成熟を拒否する物語がサブカルチャーを中心に再び現れることになった。これでは、有限な存在である人間にとっ

    一足先に宇野常寛の「母性のディストピア」を読んでみる - 本日、半端者
  • unique_critique:自発性よりも内発性 - livedoor Blog(ブログ)

    【宮台真司 自発性と内発性の違い】MIYADAI.com Blog 050927 自発性と内発性の違いなんて、考えてもみなかったけれど、彼の文章を読むと、そこに大きな違いがあることに気付く。(彼の文章は、当に気付きの源泉だ) 自発性とは、いくつかの環境前提があって、そこの枠内のルールの中で、主体的に動くことで、その環境前提がなければその主体的な動きの動機づけを失う。 受験、昇進みたいな環境前提が典型。 高校まで山のように勉強した生徒が、大学合格後、全く学習意欲をなくすのは、受験という環境前提を失い、主体的に動く枠組みを失ったから。 内発性とは、どんな環境であっても、主体的に動くことで、環境前提に全く左右されない。 動じない主体。 自発性は、ある意味そのゲーム(前提によって成立する枠内のルールの中で)に関心をもつかどうかの問題で、これはこれで必要なことでもある。 ただし、前提の継続性に問題

  • 契約‐再契約モデル論のまとめ - 辺境パリンクロン

    ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力‐ピアノ・ファイア 王道はゼロ年代を超えて生きのこる。‐Something Orange 1年半ほど前の議論ではあるが、大事な概念なので自分の為にまとめておく。 そもそも、契約=再契約モデルは、宇野常寛『ゼロ年代の想像力』への懐疑、決断主義批判から始まる。 いずみのさんは、決断主義の前提となっている「ひきこもり的想像力」、つまり相対主義の鎖は幻想である、と断じる。人間には、根源的に善きなるものを目指すベクトルが内在しているはずだと。海燕さんの言葉で言うところの「王道的動機」。 そしてそれが、「王道」という物語の形式を要求するのだ。 ただ、王道的動機は普遍なれど、発射台に登るまでのプロセスは、昔と今とで違う。 というのも、現代は情報と選択肢に溢れていて、世界が過剰に可視化されすぎているから。 昔は世界というものが見えなくて、夢と希望に溢れた存在で、

    契約‐再契約モデル論のまとめ - 辺境パリンクロン
    izumino
    izumino 2010/05/14
    これはそのまま、魔王勇者が支持されうる理由の説明になっていると思う。王道をやるのにどんどん説明や手順、手間暇が要るようになってるんですよね
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

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