2017年6月13日のブックマーク (1件)

  • 「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話

    歴史上の民族としての「ケルト」と、近代に作り出された「ケルト的なもの」の間には、深い溝がある。多くの人が持っているイメージは商業的な、そして近代のナショナリズムが生み出した「ケルト的な」幻想に過ぎない。 ――という話はわりと昔から言われていたのだが、最近の研究を久し振りに読み返してみたら、まさかの展開になっていた。 「そもそも島のケルトはケルトじゃない」 「中世以降のケルトは自称してるだけだった」 なんとアイルランドもウェールズも「ケルトを自称する別の何か」でケルト人の子孫じゃなかったのだ。 ******************************** 【旧来説】 ・ケルト人はローマに大陸から追い払われて島の片隅にしか残らなかった ・ケルト人が移住していったから製鉄技術が広まった ・「島のケルト」と「大陸のケルト」は少し違うものとして扱われる このあたりは知ってる人も多いだろうし、いま

    「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
    izumino
    izumino 2017/06/13
    河合隼雄の本で「本来のケルトのことはほとんど分かってないのにケルトを継承しようとしている」ってことは読んでいたのでそうだろうな感が