うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
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うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
予想通りに…… ↓ こちらのブログをごらんください。 評論家・池内宏美のブログ http://ikeuchihiromi.cocolog-nifty.com/ikeuchihiromi/2006/11/post_35a3.html もともと、期間工は漢字が書けるのか? という雇用形態差別になる発言をしたあと、2ちゃんねるや他のサイトでも「ひどい」「むちゃくちゃ」という声があがった。そのため、後日、期間工が漢字を知らないとした部分を削除したうえで再掲載した記事です。 80年代なかごろ・十代半ばのころよりわたしは、フェミニズム・女性の社会進出・地位向上がこうした結末をもたらすのではないかと危惧していました。 その予想がズバリ当たりましたね。 大人の女性が、高等教育とやらを受け、階級、じゃなかったジェンダー的裏切り者となる。そうすると、地位があがって女性解放だ。 このシナリオは、選抜されたごく一
↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao ・コミットメントを欠く「フェミニズムへの助言」への懐疑 http://macska.org/article/151 (※改行の関係で引用が読みにくいので、原文に当たることを推奨) フェミニズムの運動は社会における男女の平等を主張しつつ、現実の政治的行動において必ずしも女性の問題と男性の問題を対等に扱うということはしない。それは運動内において「男性のマージナリティ(周縁性)」が「フェミニズムの条件」(フェミニズムにおいて男性は周縁化されるべき)だからなのではなく、社会における「男性のセントラリティ(中心性)」という現状認識がフェミニズムの大前提だから。わたしはフェミニズムが女性だけのものだ
順番が違う‐kmizusawaの日記 本当に抑圧されているのは誰か 〜「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?〜‐純粋なココロ 2.0 「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容‐*minx* macska dot org in exile 僕が「社会規範からの抑圧」に執着する理由 〜ある脱オタ者の眼に映るジェンダー〜‐純粋なココロ 2.0 これを単なる「煽り」としか読めないならどーしようもないですが‐*minx* macska dot org in exile 一連の話を読んでて笑えるのが、仮に「弱者男性(の定義もイマイチよくわかんないけど)」をフェミニズムがカバーするとして、ではその「弱者男性」に一体どのような制度的分配を行えばいいのか、当事者たる「弱者男性」の側から何一つ具体的に示されていない点だと思う。それこそ空中戦というか。 フェミニズムにし
以下は最近本家ブログで続けている「弱者男性」論への対応シリーズの番外編。id:kmizusawa さんの「順番が違う」という記事への反論というか「違和感」を書いた Masao さんという方の「本当に抑圧されているのは誰か ?「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?」という記事に軽くコメント。 実際に抑圧されているのは「男」でも「女」でも「ゲイ」でもなく、「社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち」ですよ。社会規範に乗れている人たちは、どんなジェンダーを持っていようと、抑圧なんかされていないんですよ。対立しているのは「男VS女」ではなく、「規範適応者VS非(不)規範適応者」ですよ。ここまでは、以前別館でも書いたとおり。 なぜ「それではなく、これ」という話になるのか。「性別を理由とした抑圧」「性的指向を理由とした抑圧」「ジェンダー規範による抑圧」のうち、どれか1
「深夜のシマ猫Blog」の『バックラッシュ!』非難を読んでいるうちにふと連想したのは、まるで無関係っちゃ無関係なのだけれど、フェミニズムが(ある種の)男の子たちを抑圧した、という前提で書かれているとおぼしき更科修一郎氏のこの文章だった。70年代後半の乙女ちっく少女漫画が「少女幻想」という抑圧から、フェミニズムによって少女たちが解放されていく以前の表現、抑圧下で生まれた表現であるが故に、フェミニズムによって抑圧された男の子たちのための物語として機能したのだ。つまり、この時代の少女漫画が発見した少女の自意識と身体性に対する不安が、現代を生きる美少女ゲームユーザーな男の子の自意識と同期してしまったのだ。「『月姫』までの長い途─ぼくらのリアルと美少女ゲーム─」http://www.ann.hi-ho.ne.jp/cuteplus/ncp/coco01.html#004 そもそもこの文を読んだのはA
フェミニズムに「弱者男性解放」(ってあんまりピンと来ない言葉だが)も盛り込むべきという意見があって、それに対して、いくつか反論が出ているようだ。 kmizusawaの日記 - 順番が違う フェミニズムは世の中のあり方に対して「女性にとってどうか」ってのを第一に考える思想・運動なんだから、自分は不当な目に遭っている、世の中おかしいと感じる男性は、まずはフェミニズムの働きを当てにせず自分たちで世の中のあり方を問い直す思想や運動を立ち上げたほうが利益にもなるだろうし、面白いような気がする。 これに対し、再反論も起きている。 純粋なココロ 2.0: 本当に抑圧されているのは誰か 〜「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?〜 もしフェミニズムが「ジェンダーフリー」なり「男女平等」なりをを実践しようという運動なのだとしたら、弱者男性のジェンダー問題も、当然視野に入ってくるんじゃない?っていう
休止前ですが、なんだか例の「バックラッシュ!」発売の余波か、いろんなところでジェンダー関連の議論が巻き起こってますね。せっかくなので少々コメントしておきます。 まずはこちら。 生物学とジェンダー学の対話 International Stem Cell Forum 東北大学の生命科学者、大隅教授のブログです。 コメント欄も含めてですが、正直言ってあまり生産的な議論になっていないように思えます。 まず最初に、 生物学者がジェンダー学者と何故対話できないのか これはよくないと思います。「生物学者が」ではなく、「私が」にすべきです。少なくともコメント欄におられる方はジェンダー論に理解を示しているようですし、私も対話できると思っております。 コメント欄も含め一番物議を醸しているのは、生物学における"abnormal"という概念、言い方のようですね。 例えばこれをそのまま人間の性的指向の「アブノーマル
↑タコシエ・オンラインにて絶賛発売中!通販可能!在庫切れの際はご容赦ください。 【関連サイト】 ・純粋なココロ(旧サイト) ・世界のはて(はてなダイアリー別館) ・Twitter@Masao 【実際に抑圧されているのは『男』でも『女』でも『ゲイ』でもなく、『社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち』ですよ!】 ・kmizusawaの日記 - 順番が違う http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060712/p1 フェミニストには、弱者男性の面倒を見てやる義理はねぇ!というご意見。激しい違和感。 確かに義理はないんだけどさ。もしフェミニズムが「ジェンダーフリー」なり「男女平等」なりをを実践しようという運動なのだとしたら、弱者男性のジェンダー問題も、当然視野に入ってくるんじゃない?っていうのが僕の考えだから*1。 いやね、僕はフェミ
id:kmizusawaさんのエントリを読んで、というか、はてブコメントやそれについて言及したサイトを読んで感じたこと。 ネット上ではこれまでも「フェミニズムは男女平等といいながら、女の権利を拡張することしか考えていない」という批判をよく目にしてきた。まあ一番見た記憶があるのは「フェミニストはレディースデイや女性専用車両で女性が優遇されていることに対しては何も言わない」というようなものだけど。女性専用車両についてはそもそも導入された経緯として、痴漢被害者の多くが女性であり、また加害者の多くが男性である、ということがある。もちろん、それ以外のケースについても配慮は必要だと思うし、女性専用車両を導入したからといって解決される問題でもない*1。レディースデイ等については個人的にその恩恵にあずかることが少ない*2ので(たいてい水曜日とかだし)何とも言い難いが、メンズデイもつくれ、とかレディースデイ
こんにちは、みなさま。今日は筒井真樹子さんをお招きして先日行ったチャットを掲載します。筒井さんはもと男性のジェンダークィアとして主にウェブと活字で情報発信を行っておられ、『同性パートナー』(社会批評社)、『トランスジェンダリズム宣言』(社会批評社)の共著書があります。ジェンダーフリーの功罪、あるいはジェンダーフリーの救済は可能かという話題で macska と chiki を含む3人でお話してみました。 macska: こんにちは。今日は筒井真樹子(以下 makiko)さんにゲストとして参加していただいています。わたしとしては、特にジェンフリ関係ではバックラッシュ側の無茶苦茶なデマを否定したり、定義の過ちを指摘するだけでエネルギーを使い果たしてしまって、ポジティヴに何かを主張していくということができなくなってしまった気がします。そういう時に、ブログのコメント欄等で makiko さんがいろい
http://blog.livedoor.jp/feminem/archives/50223185.htmlああこの感じはわかるなあ。サヨク的な価値観だとか政治的立場だとか普段の主張だとかフェミニストとしてのものの見方が邪魔して、好きなのに心から楽しむことが難しいっていう。私は日本代表の試合はテレビ中継で見るが、君が代は聞きたくないなあと思っているので、聞かなくてすむように、放送時間の最初の5分か10分くらい(場合によってはもっと)はテレビをつけない。そしてテレビをつけたときには試合はすでに始まっていたり…orzほかにも、現代サッカーとグローバルな資本主義のご親密な関係とか、サッカーの応援とナショナリズムや暴力の問題とか、男子サッカーと女子サッカーではマスコミの注目度がぜんぜん違う問題とか、フェミニストとしては男子サッカーなどには目もくれず女子サッカーを応援すべきではないのかとか、スポーツ
春の伊予国漫遊記。松山・今治と愛媛の魅力を満喫してきました。 法事を兼ねて愛媛観光へ 2024年のGWは、毎年恒例の名古屋帰省ではなく自宅でゆっくり過ごしておりました。というのも、4月に法事のため愛媛・松山に親族大集合というイベントがありまして、そちらをGWの旅行代わりにしたという理由です。法事は日曜日の予定ということ…
かつて男達は、男達中心の文化によって守られ、暴力と恐喝という非常手段を身につけ、部族間闘争や縄張り争いなどを通して練磨されていた。 しかし今は、男達中心の文化はフェミニズムという哲学(というよりは運動として捉えるべきか、ここでは)によって女性中心の文化にとってかわられ、暴力と恐喝は国家権力によって制限され、首狩りによる威信向上は期待できなくなってしまった。もはや、男性が女性に対してアドバンテージを誇っていきやすい分野は、遺伝的に勝っている動体視力分野・論理的思考分野・肉体労働分野などに限られてくるのだろうか?あるいは行動遺伝学的特徴によってしばしば強烈に牽引される、ごく一部の創造分野か。 21世紀は女の世紀だと言う人がいる。確かに今、若年女性達の勢いと適応っぷりは、若年男性達の衰えと不適応っぷりと対照的にみえる。間もなく、一握りの極端に強力な適応プレイヤー男性を除いた多くの男性が、むしろ女
「変わらされること」に憤りを感じていらっしゃるようですが、ほとんどの人間はそのままじゃ他人には受け入れてはもらえません。<中略>そして昔から女性は過剰適応することを義務付けられてきていたため、「そんなのやだ」と駄々をこねる非モテ男性を「お子ちゃまねえ」と思うのです。
id:kmizusawaさんのところで初めてこの言葉を見ました。遅いのかしら。 新・後藤和智事務所 〓若者報道から見た日本〓: (短期集中連載)三浦展研究。はてなキーワードもここから抜粋。ちょっと長めに引用します。 「消費フェミニズム」とは何かというと、これは米誌「ニューズウィーク」のコラムニスト、スーザン・ファルーディが使っている言葉である。ファルーディによると、平成12年の米国において、米国の女性が米国の現状をどう思うか、というインタヴューをしたところ、経済的には豊かなはずの米国において、返ってきた答えは《「怒りを感じる」「ひどすぎる」「うんざりする」》(スーザン・ファルーディ[2001]、以下、断りがないなら同様)というものである。ファルーディはこれを《新たな「性(ジェンダー)のギャップ》だと呼んでいる。 ファルーディは、米国において、《ここ数十年、「あればあるほどいい」が、商業化さ
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