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自意識過剰に関するj708のブックマーク (4)

  • 一種の自意識過剰

    今まで全然誉められたことが無かった人間が突然評価されて、舞い上がって自慢したくてたまらないのだが、あからさまに自慢して折角認められたのに嫌われたくないから、謙遜と戸惑いの表れの振りをして自己主張しよう、そして誰かに高評価当然だよ面白かったよ凄いよと言ってもらおう、という意識無意識が透けて見えるようなアレに対し、微笑ましさではなくただひたすらに苛立ちだけを覚えるのはなぜだろうか。ただの嫉妬か? 2chのネタスレなんかで、一回面白いと言われたネタ師がコテハンつけて自己主張し始めた結果手の平を返したように叩かれる、という例もあるし、苛立つのは俺だけではないと思うのだが。

    一種の自意識過剰
  • 人に向かって自意識過剰だなと思ったことはあるが言ったことはないように思う - finalventの日記

    単純に言うと、他者に向かって、おまえは自意識過剰だと、言えるほどの自意識をもってないというか。 というか、書かれた自意識というのは、言うまでもないことだが、読まれうる視線のなかの総合として出てくる。だから、書かれたものがそのまま自意識であるということは前提としてありえないのだが、そのあたりをふつうに理解している人は少ないかと思う←こういう感想が自意識過剰に見えるのでしょうけど。 いわゆる作家というのは、社会システムを介して、読まれうる視線を了解し、その了解を社会責務とし、さらに労働の対価としている存在。 それでも、職業作家でもどう読まれるかでその自意識には大きなプレッシャーがあり、簡単にいえば、ふつうの人はそこで潰れるようにできている。そこで生き残る職業作家の自意識というのはもう運命というか不幸としかいいえないものであり、その必然性だけが社会的に是認されるものだろう。作家に必要なのは才能で

    人に向かって自意識過剰だなと思ったことはあるが言ったことはないように思う - finalventの日記
  • 「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 - *minx* [macska dot org in exile]

    以下は最近家ブログで続けている「弱者男性」論への対応シリーズの番外編。id:kmizusawa さんの「順番が違う」という記事への反論というか「違和感」を書いた Masao さんという方の「当に抑圧されているのは誰か ?「フェミニズム」と「ジェンダーフリー」は別物なの?」という記事に軽くコメント。 実際に抑圧されているのは「男」でも「女」でも「ゲイ」でもなく、「社会から求められるジェンダー規範に乗れない/乗りたくない人たち」ですよ。社会規範に乗れている人たちは、どんなジェンダーを持っていようと、抑圧なんかされていないんですよ。対立しているのは「男VS女」ではなく、「規範適応者VS非(不)規範適応者」ですよ。ここまでは、以前別館でも書いたとおり。 なぜ「それではなく、これ」という話になるのか。「性別を理由とした抑圧」「性的指向を理由とした抑圧」「ジェンダー規範による抑圧」のうち、どれか1

    「ジェンダーフリーではないフェミニズムには反対」論の自意識過剰と不寛容 - *minx* [macska dot org in exile]
  • けなすリスク<ほめるリスク: あんたジャージでどこ行くの

    ふと思ったんだけど、ある特定の人物をけなすよりも、ほめる方がリスクは大きいんじゃないか? 僕は先日、良い文章を書くなあ、と思ったブロガーを3人挙げたわけです。で、書いてみて思ったのは「ここに挙げなかった人はひがんでるんじゃないか?」とか言うこと。 自意識過剰だろ、お前の評価なんて誰も気にしてないよ、と言われればそれまでだけど、もし自分が読んでるブログ(相手のブロガーも僕の方を読んでいる所)で「私が読んでいるブログベスト10」とかがあってですよ、そこに僕のブログが入ってなかったら、軽くショックだよね。誰だって「自分だけは特別だ」と思いたいものなのです。少なくとも僕の中にはそういう感情がある。 特定の人をほめると、それ以外の多数の人が「私は選ばれなかった→くやしい→くそー」と思う。そこまで思わなくても、ちょっとやな感じになるんじゃなかろうか。 逆に、特定の人をけなした場合、けなされた当人は確実

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