いまさらですが。 というか今まで気にかけてなかったんですが、改めて見てみると、どうみてもこれを論理的というには無理がある気がする。 結果から原因を、原因から結果を考えましょうとはいうけど、それは論理的というものではなくて、因果的というべきものです。 もちろん因果関係をあきらかにさせるというのは重要なことなんだけど、それは論理的以前の問題。 論理的に考える上で大切なのは、因果関係や前提条件が間違っていないのに間違った結論が出るということがないようにすることのはずです。 つまり 鰯は魚だ 魚は泳ぐ ゆえに鰯は泳ぐ という推論は正しい推論だけど、 鰯は泳ぐ 魚は泳ぐ ゆえに鰯は魚だ という推論は間違った推論で、偶然ただしい結論が出ているだけ。 この間違った推論を使って ペンギンは泳ぐ 魚は泳ぐ ゆえにペンギンは魚だ という結論が出てしまわないように、この推論が論理構造としてどう間違っているか、そ
例えば敬体と常体の混合、重複表現、同一物を指す複数の表記、こんなことが僕のブログではしょっちゅう起こるのですが、それは推敲していないことに加え、それがブログだと思っているからです。こう言うとおこがましいような気もしますが、間違った日本語を修辞として使っているわけです。 他の人もそうだとすれば、ブログから、その人が日本語のルールを知っているか否かを判断することはできない。 でも、ビジネス文書を読むと分かりますね、その人が最低限の日本語を使えるかどうか。で、十中八九、出来てないね。あと契約書ね、契約書を書かせると、その人の能力って大体わかりますよ。まあ、これについては全く書けないですよ、大方の人は。 最近、ブログで乱れた日本語ばかり使っているので、自分の日本語能力が低下してるような気がする。要注意。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く