『フミカ』では、必要ないときは出来るだけ平易な言葉遣いをしようと心がけていることはあって、それは高校生だった頃の自分とかに「ことば」を与えるものだったらいいなという願いがあったりするからだ。そのとき、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のフィービー・コールフィールドみたいなみずみずしい世界の捉え方で書けたらいいよな〜とか思ったりする。ぼくにとって世界の捉え方とは、まず文体や語彙の選び方のことだ。 『筑波批評』の方では、シノハラさんから、逆にあまりくだけた書き方をしなくていい、と示唆されたこともあり、語彙や文体にあまり制限をかけずに、「レトリックで書いてる」とは思われないようなプレーンな記述だけは心がけながら、書いている。こっちの方が文体とかに気を使わないでいいので楽ではある。 フミカは、自分が不必要に難解な言い回しをしていると感じたら、いちいちニュアンスや概念の範囲を壊さないように語彙を