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美学と社会学に関するja_bra_af_cuのブックマーク (2)

  • なぜ「趣味」が社会学の問題となるのか――『社会にとって趣味とは何か』編著者・北田暁大氏インタビュー【前篇】|Web河出

    いよいよ発売の、北田暁大+解体研[編著]『社会にとって趣味とは何か』。一見わかりにくいタイトルの書は、いったいどんな書物なのか。北田暁大さんに訊いてみた。前篇・後篇、2回に分けてお届けする。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 1◇「『サブカルチャー神話解体』解体」のプロジェクト ――『社会にとって趣味とは何か 文化社会学の方法規準』、タイトルだけ拝見するとえらく難しいのように思えるのですが、ブックガイドなどもあり、理論編・事例分析編と分かれていて、学部生ぐらいを想定読者とした、とあります。なぜいま「趣味」を社会学の研究書、社会学入門書のテーマとして設定されたのでしょうか。もともとは宮台真司さんたちの『サブカルチャー神話解体』の批判的継承を目指していたと聞きましたが。 北田■はい、そうですね。もともとは科研費の研究で、「若者文化におけるサ

    なぜ「趣味」が社会学の問題となるのか――『社会にとって趣味とは何か』編著者・北田暁大氏インタビュー【前篇】|Web河出
  • 書斎の窓 2017年3月号 『映像文化の社会学』 加島卓

    一人で読むのがもったいないである。講義ならコメントが増え、ゼミなら議論が盛り上がりそうだ。このの執筆者たちも、きっとわいわいやりながら書いたのであろう。そういう雰囲気が感じられ、そこに自分も巻き込まれたいと思える1冊である。 書は人間が映像にとりつかれているのではないかという。ここでの映像とは写真や映画のことだが、書のポイントはそれらを娯楽や芸術の作品として論じないところにある。「映像をつくりだすことのほうが人間の文化にとっては筋かもしれない」と考える書にとって、私たちがカメラでなんでもかんでも撮影してしまうこと自体が考察の対象になりうるのである。 こうした設定の書を支えているのは、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」という論文である。メディア論でもよく参照されるこの論文は実に様々な解釈がなされてきたが、書はベンヤミンによる「アウラの凋落」という命題にこだわり

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