ブックマーク / kumanomitsuo.hatenablog.com (16)

  • 20231113 - ミツオ日記

    きょうはやらなくてはいけないことがどんどんできる一日だった。普段は面倒くささが勝ってできないことがきょうはできた。 起きたのは十一時近かった。きのうはなかなか寝付けなかった。夢を三つくらい見た。最後の夢はうんちを漏らす夢だった。他の二つは忘れてしまった。 ここ数日で急に寒くなった。それなのに夏と同じ格好で寝ている。夏に買ったステテコと半袖のティーシャツで寝ている。衣替えがうまくいっていない。 きょう、やることはナナロク社の短歌の賞に応募するための代金をコンビニで振り込むこと、それと髪の毛が伸びてきているのでQBハウスに行って散髪をすること、しまむらで冬用の部屋着を買うことだった。 朝ごはんにはきのうつくった寄せ鍋のスープに冷凍ごはんと卵を入れて雑炊をべた。それから、家事をした。ゴミをまとめて出して、洗濯機を回して、布団を外に干して、掃除機をかけて、トイレを掃除して、器を洗った。たまにこ

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    japan-eat 2023/11/14
  • 死への歩みでも - ミツオ日記

    きょうはバイトを休んだ。電車で途中の駅まで行ったけれど、そこで降りずに引き返してきた。バイトを休むことに決めたら、妙に視界があかるく、光に満ちてかんじられた。 どこか調子が悪かったわけではなくて、なんとなくダメな気持ちだったからバイトを休んだ。そう言うとズル休みのようにおもわれるかもしれない。でも、違う。 ぼくは、基的に真面目な人間なので、理由なくバイトを休んだりしない。そのことがこの前、調子が悪くて早退したとき、わかった。それが腑に落ちてから、とくに身体の調子が悪くはないけれど、なんとなくダメな気持ちになって休んでしまう自分を責めるのはやめた。 いままでのことを振り返ると、ぼくは調子がよくてちゃんとできるときにズルして家に帰るようなタイプではないのだ。そういう自分への信頼があるので、こうして急にバイトを休んでも、あまり自分を責めないことにしていた。 こういうときは時間が余っていることが

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    japan-eat 2023/11/08
  • 自分の話を好きなだけ自由にできる場所 - ミツオ日記

    最近、オフ会ばかりしている。秋になって涼しくなってきたからだとおもう。ぼくはブログにオフ会の様子を書くことが多い。でも、それはやめようとおもった。あんまりひとのことを書いてはいけない、という気がしてきた。それにフォロワーはここを見ている。勝手なことを書かれて内心怒っているひともいるかもしれない。だから、もうやめよう。これからは主に自分のことを書こうとおもう。 きょうは休日だ。朝、起きて、きのうの晩ごはんの余りのみそ汁と、解凍したごはん、野菜のオムレツをつくってべた。野菜のオムレツにはハム二枚、キャベツ少し、玉ねぎ四分の一個、ちくわ一を入れた。休日の優雅な朝ごはん、というやつなのかもしれない。べ終わった後はコーヒーをいれて、それを飲みながらツイッターを見ていた。 YouTubeでカネコアヤノの『タオルケットは穏やかな』を聴いた。何回か同じ曲を繰り返し聴いた。この曲はMVの映像もいい。フ

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    japan-eat 2023/11/05
  • オフ会三昧 - ミツオ日記

    書くことがない。それがなぜなのかはわからない。いや、ほんとうは少しだけわかる。書くことがないわけではない。そこに書きたいという情熱がないのだ。書くことはある。 ぼくは自分に恋人ができないことを悩んできた。二十代の後半くらいにそのことに気がついて以来、恋人が欲しいとおもってきた。そして、十年が経った。ぼくはいまでは三十代も半分以上過ぎていた。そのことに気がついてちょっと驚いた。恋人が欲しいという願いを持つようになってから十年が経った、ということに驚いた。 しかし、考えてみると、恋人が欲しいとおもうようになったのが二十代の後半、というのが遅いと言うひともいるかもしれない。たしかにそうだ。二十代後半になるまで、何をしていたんだろう。普通のひとはそれくらいになるまでに恋愛を経験しているものだ。 それにはいろいろ理由がある。何より大きな理由はぼくが対人恐怖症だったからだって気がする。若い頃は普通にひ

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    japan-eat 2023/10/28
  • 退屈と挑戦 - ミツオ日記

    人生が退屈だ。そういうことを言うと、毎日、変わらない穏やかな日々を送れていることに感謝しなさい、と言われる。それは言えている、とぼくもおもう。ぼくは意外に刺激を求めているようなところがある。でも、ほんとうに刺激を求めているわけではない。刺激というものは危険でもある。ぼくはもともと臆病な性格で、いつもと違ったことをするのが苦手だった。 この前、友だちのフォロワーに会いに行ったとき、フォロワーはサイゼリヤでアラビアータとか、サラダとかをべながら、「このメニューの組み合わせは、実は以前も同じものを頼んだのに、また同じ組み合わせを頼んだ。ぼくは同じものばかりべがちで、自分でそういうことをしているのに、たまに死ぬほど退屈だとおもう」みたいなことを言っていた。 退屈だとおもいながらも、ついついいつもと同じことをしてしまう。それが人生というものかもしれない。いや、ほんとうはそんなことはなくて、なんか

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    japan-eat 2023/10/16
  • phaのサイン - ミツオ日記

    ぼくは緑内障ではないことがわかった。それは嬉しいことだった。でも、そうなると、なぜ、緑内障ではないのに、緑内障だと言われていたのだろう、とおもう。ぼくはこの二年か三年の間、毎日、目薬をさしていた。そして、いつか自分は眼が見えなくなるのだという恐怖をかんじながら過ごした。 緑内障ではないのがわかったのはセカンドオピニオンをしたからだ。いや、正確にはセカンドオピニオンではなかった。ただ、他の病院で診てもらったというだけだ。セカンドオピニオンというのは、いま掛かっている医者が集めたいろんなデータを、他の医者が参考にしてはじめてセカンドオピニオンと言うのだそうだ。ぼくは勝手に他の病院に診てもらったので、それはセカンドオピニオンとは言わないらしい。 インターネットで優秀だと評判の眼科に行ったのだけれど、その病院は遠かった。若くて、眼がギョロリとした性格に問題がありそうな男の先生が診てくれた。先生は、

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    japan-eat 2023/10/09
  • 祝日のファミリーマート - ミツオ日記

    きょうは祝日らしい。ぼくには祝日はない。きょうはたまたま世間の祝日とぼくの休日が一致した日だ。きょうが何の日なのかも知らない。 コメダ珈琲店に行こうかとおもっていたけれど、祝日なのでやめることにした。混んでいるコメダ珈琲店に行ってもリラックスすることはできない。ほんとうは行きたかったけれど我慢した。代わりに近所のファミリーマートまで行った。 ファミリーマートにはひとがたくさんいた。ファミリーマートのなかだけではなくて、外にまでひとがいた。十代の若者たちが店の駐車場や横手の通路にたむろしていた。ぼくはあまり目を合わせないように気を付けて店のなかに入った。 店のなかにもひとが大勢いた。肌のよく日に焼けた中年の小太りのヤンキーみたいな男が小学校の高学年くらいの娘を連れて買い物をしていた。小学三年生くらいの男の子もいた。 店内には若い女性が多かった。子どもも多かった。ヤンキーの子どもみたいなかんじ

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    japan-eat 2023/09/18
  • 人生の岐路 - ミツオ日記

    自分の真実、やりたいことはなんだろうか。最近はなんだかお風呂に入るだけのことにも酷く時間がかかってしまう。意志の力が弱まっている。 ぼくはいま、三十六歳で将来について悩んでいる。つまり、詩人になるか、歌人になるか、小説家になるか、絵日記職人になるかだ。そう言うとずいぶんお気楽なようにおもわれるかもしれない。でも、これは実際にそうなのだ。 ぼくは、人間の生活の大きな要素であるラブとジョブ、つまり恋愛仕事に失敗した。そうなると人生に張りというものがなくなった。三十六歳で隠居のような生活だ。だから、これからの選択肢についても必然的に浮世離れして、お気楽なムードが出てしまうのだ。 まあ、それはそれでいいことだろう、という気もする。ラブとジョブがうまくいって、毎日不機嫌なや、生意気な子どものために少しでも銭を稼ごうとして馬車馬のように働く、みたいなそういう生活をしないで済んだのだから。その代わり

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    japan-eat 2023/09/09
  • ほんとうにやりたいこと - ミツオ日記

    疲れている。誰にも会いたくないし何もしたくない。 最近は自分の眠りが昼間関わった人間に左右されることがわかってきた。なんとなく寝苦しくて目が覚めて、自分がなぜ目を覚ましたのかと考えると、昼間会ったひとの何気ないひとことが気になって目が覚めたのだとわかる。この前はうなされていた。起きているときだったらどうでもいいとおもえるような小さなことでうなされて目を覚まして、眠気に引きずり込まれるようにまた眠ってうなされて、しばらく経つと目が覚めた。それを繰り返した。そういうのは苦しいことだ。 ぼくは意外にどうでもいいことを気にしているのかもしれない。考えてみれば、子どもの頃のぼくは傷つきやすいところがあって、きついことを言われるとすぐ傷ついた。そういう自分のことを長い間忘れていた。 休日になると、もう何もしたくないとおもってどこにも行かずに家にいることが増えた。 いつまでもパジャマを着たまま布団でゴロ

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    japan-eat 2023/09/03
  • オタクになりたい - ミツオ日記

    ぼくは自分のことばかり話しているな、という気がしてきた。ツイッターのツイートもだいたいが自分のことだ。そういうのはよくないとおもう。自分のことを話すのもいいけれど、自分のことばかり話しているのもどうだろう。自分の外に目を向けてみたい。そうおもった。 自分の外に目を向けて、それについて話す。それはでも、具体的にどういうことなのだろう。自分のこと以外の話をするとしたら、どういう話になるのか。 まず、いちばんよくあるのは天気の話だろう。暑いとか、寒いとか、過ごしやすいとか、雨が降っているとか、そういうかんじだ。 次に、自分以外のひとの話。つまり、噂話というやつだ。それはでも、あまり上品なことではない。誰と誰はできているとか、結婚したとか、離婚したとか、不倫したとか、薬物をやっていたらしいとかいう話だ。芸能ニュースのようなものだろう。ひとのことなんてどうでもいいと言えばどうでもいい。 他によくある

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    japan-eat 2022/06/16
  • 何事もほどほどに - ミツオ日記

    ひとはなんにでも飽きるものだ、というものの見方がある。たとえば、ぼくは、自分にパートナーができないことで悩んでいた。ひとりで生きていくには人生は長すぎる、とおもっていたのだ。寂しくひとりで老いて、ひとりで死ぬ、ということに絶望していた。そういう状態が三年間くらい続いた気がする。そして、最近はその悩みに飽きた。ひとはなんにでも飽きるし、慣れてしまうものなのだ。 いや、しかし、そのものの見方はあまりにもクールぶっている、とも言える。悟りすましている、と言えるだろう。ほんとうのところを言うと、ぼくは悩んでいるうちに、いろいろと自分が納得できるような材料を集めて、それを考えて、ようやく腑に落ちるところまで持って行ったのだとも言える。悩むのに飽きたというか、悩み疲れたというか、一応のところまで自分のなかで解決したと言えるのかもしれない。 飽きた、というのももちろんある。そういう角度から見ることもでき

    何事もほどほどに - ミツオ日記
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    japan-eat 2022/05/19
  • フォロワーの印象 - ミツオ日記

    フォロワーはタバコを吸っているとき「幸せです」と言った。フォロワーはヘビースモーカーのようだった。フォロワーの吸っているタバコはコンビニには売っていない。フォロワーと神保町を歩いていると、いろいろかわいいものや素敵なものが見つかった。とくに屋にいるときはほしいがどんどん見つかった。ぼくたちはエチオピアというカレー屋さんでカレーべて、瓶ビールをシェアした。「シェアした方がたのしいでしょう」とフォロワーは言った。 フォロワーは「自分の人生は逃げてばかりだった」と言った。フォロワーはドイツのベルリンから一時的に帰国していて、きょうはぼくの家の近所のコメダ珈琲店まで来てくれたのだ。「子どもは親を信頼していないと反抗期が来ないものだ」という話になった。ぼくは自分の親には問題があったと話したけれど、ぼくには反抗期があった。そこで話が少しすれ違ったようなかんじがあった。コメダ珈琲店を出て、駅まで

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    japan-eat 2022/05/10
  • 2022年5月2日(月) - ミツオ日記

    きょうは映画を見に下北沢まで行こうかとおもっていた。友人に勧められた映画を見よう、とおもっていた。下北沢にはコメダ珈琲店があるらしいので、映画の時間までコメダ珈琲店に居ればいい。ツイッターを見ていたら、夕方から雷雨という情報があった。混んでいる電車に濡れた傘を持って乗る不愉快さをおもうと、きょうは下北沢までは行けないという気がしてきた。その程度のことで遊びに行くのを止めてしまうのもどうかとおもったけれど、なんとなく嫌な予感がしてきたので映画はあきらめることにした。 玄関に段ボール箱を放置していた。中にはAmazonから届いた新品の掃除機が入っていた。届いたのはいいけれど開けるのが面倒で放置していたのだ。それを、開けた。説明書を見ながらノズルやホースをカシャカシャと組み立てた。こういうとき、普通は説明書を読むものなのだろうか、と悩んだ。さすがにいちいち細かい部分までは読まなかったけれど、大文

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    japan-eat 2022/05/02
  • 贅沢な悩み - ミツオ日記

    人生、うまくいかない。ぼくにはいろいろな悩みがある。よく考えてみると、そういう悩みはけっこう贅沢なものなのかもしれない。 たとえば、ダイエットがうまくいかない、という悩みがある。これはよく言われるように、裏を返せば、べものに困っていないということだ。世界には、べるものがなくて苦しんでいるひとがいる。それに比べればダイエットがうまくいかない、という悩みは贅沢な悩みと言えるだろう。 他には、母親に理解されない、という悩みがある。ぼくの母は少し鈍感なところがあって、話しているとイライラしてしまう。ぼくはそのことでよく悩んでいた。でも、そのことを周りに話すと、熊野さんはお母さんと仲がよくていいね、と言われる。客観的に見ると、仲がいいように見えるらしい。 これはもしかすると、カップルの惚気と同じレベルの話なのかもしれない。恋人にこんな不満があるんです、みたいな話が、周りから見ると、逆に仲がいい自

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    japan-eat 2022/05/01
  • 熱海へ行った話 - ミツオ日記

    ぼくは熱海に憧れていた。熱海はいい町だ、といろんなひとから聞いて、そうなのだとずっとおもっていた。去年から五百円玉貯金をはじめた。これが貯まったら熱海に行こう、とおもった。そして、半年以上の時間が過ぎた。新しいバイト先で働きはじめて、その仕事に慣れてきて生活に新鮮味がなくなってきた。春が来たせいか、なんとなく身体がだるくて、調子が悪い。そんなとき、ぼくは一日、休暇をもらった。これで熱海に行ける、とぼくはおもった。五百円玉貯金を数えてみると二万六千円貯まっていた。いよいよこれで熱海に行くことができる。 ぼくは品川から出る各駅停車の電車に乗った。電車のなかでは、小島信夫の『抱擁家族』を読んでいた。あんまり深く考えていなかったけれど、熱海にはなかなか着かなかった。スマートフォンで改めて調べてみると、熱海は終点で、まだ半分も来ていなかった。 座っているのに疲れたので扉の近くに立って、『抱擁家族』の

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    japan-eat 2022/03/30
  • すべて順調 - ミツオ日記

    新しい障害者手帳を受け取った。一つ前の障害者手帳の証明写真のぼくはまだ四角いメガネをかけていて、眉毛を整えていなくて、おでこが隠れない髪型をしていた。新しい障害者手帳のぼくは白いワイシャツを着ていて、丸いメガネをかけていて、太っている。とくに大きな変化はないような気がする。でも、一つ前の写真より今回の写真の方が気に入っているので、それはそれでいいとおもう。 さっき、探し物をしていて机の引き出しを開けてなかを探っていたら、むかし書いた詩の原稿を見つけた。クリアファイルにコピー用紙の束が挟まっていた。それを読んだ。谷川俊太郎の影響がかんじられるけれどニセモノにしても出来はよくないとおもった。自分の存在意義って何だったんだろう。詩はぼくのライフワークのはずなのに、と暗い気持ちになった。でも、いいとかんじる詩もいくつかあった。 そのコピー用紙の束は二十代後半くらいの詩だった。いま、ぼくは三十四歳で

    すべて順調 - ミツオ日記
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    japan-eat 2022/01/28
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