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日本のプロ野球界を代表する球団と言えば巨人と阪神。福岡、広島、東北・仙台、北海道と、かつてよりも地方のチームが注目される時代になったとはいえ、人気や注目度などを総合的に考えれば、やはり東西の大都市に本拠を構える巨人と阪神がリードしているのが現状だろう。 関西を担う阪神は、1935年12月10日、株式会社大阪野球倶楽部(球団名・大阪タイガース)として創立。今年が80周年という節目の年となる。プロアマ問わず、野球情報を毎日発信している『週刊野球太郎』編集部に、その阪神タイガースの歴史を簡単に振り返ってもらった。 * * * ◎実は、干支1回りにつき1回のリーグ優勝!? セ・リーグとパ・リーグの2リーグ制となった1950年以降、巨人のリーグ優勝は実に36回。65年間で半分以上の36回には、もちろん栄光のV9の時代も含まれる。「球界の盟主」と言われるのも納得の成績だ。 それに対して、阪神の
戦国時代、大和を拠点に畿内で活躍した武将・松永久秀が最後に居城とした信貴山城(奈良県平群町)をアピールしようと、NPO法人「信貴山観光協会」のメンバーを中心に、「信貴山城址(じょうし)保全研究会」が発足した。城跡の保存、整備から誘客に結びつけようと、さまざまな事業が検討されている。 信貴山城は、信貴山の雄嶽(おだけ)=433メートル=を中心に東西550メートル、南北700メートルにわたって広がる県内屈指の中世城郭。南北朝時代に楠木正成が築城したとの説もあるが、16世紀中頃、四国から畿内に勢力を伸ばした三好長慶の配下で力を付けた松永久秀が整備した。 久秀は、織田信長に帰順して勢力を確保するが、やがて離反。天正5(1577)年、信長の息子、信忠に信貴山城を囲まれて死亡した。 久秀が信貴山城と並んで大和支配の拠点としていた多聞山城(奈良市)に天守閣が存在していたとの文献があることから、信貴山城に
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催という追い風も受けて、今、日本の底力が問われようとしている。日本ならではの強みをどう生かし、日本の活力をどう取り戻していけばいいのか。古今東西の歴史と文化に精通し、日本文化研究の第一人者でもある編集工学研究所所長の松岡正剛氏と、元内閣府事務次官で現電通総研上席フェローの浜野潤氏が、今この時代に再認識すべき「新・日本力」の在り方について議論した。司会は、電通総研所長の中尾潤氏。4回にわたってお送りします。 日本的な資本主義があってもいい 浜野:松岡先生のお話を聞いて得心したのは、国際基準は国際基準として、その一方で、日本独自のルールがあってもいいということ。つまり、ダブルスタンダードがあっていいということですね。それが、「新・日本力」の創出を考えていく上で、一つの突破口になるのではないかと。 松岡:私はそれを「デュアルスタンダード」と呼んでいます
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