関西や東日本のJR各社、私鉄などが集合し、鉄道の魅力を発信するイベント「万博鉄道まつり2014」が21、22の両日、吹田市の万博記念公園で行われ、大勢の行楽客でにぎわった。 人気を集めたのがミニSLやミニ新幹線、ミニ阪急電車などの試乗会。最高1時間待ちもいとわず、家族連れが長い行列をつくって順番を待った。 同公園のお祭り広場や東の広場には鉄道会社のブースが並び、運転席のメーターやプレートなどといった鉄道グッズ販売のほか、全国の駅弁の販売にファンが詰めかけた。 また、東日本大震災で被害を受け、来月、北リアス線と南リアス線が全線復旧する三陸鉄道(岩手県)のブースでは、関西では手に入りにくいグッズや物産が人気だった。
市川清流が参加した使節団の目的は、幕府が欧州各国と約定を交わした開港などの延期交渉だった。 安政5年に結んだ修好通商条約では翌年12月(1860年1月)から文久2年11月(63年1月)に新潟と兵庫の開港、江戸と大坂に外国人の居留を認める開市がそれぞれ定められていた。しかし、開国による急激な物価の上昇や攘夷活動の激化で政情不安となり、幕府は国内の政治・経済状況が安定するまで開港・開市の延期を条約締結国に要請。本国政府と直接交渉するため、竹内保徳(下野守、外国奉行)を正使に団員計38人を欧州に派遣した。 使節団はセイロン島を出発後、アラビア海から紅海、スエズ、カイロを経て地中海を縦断。文久2年3月5日(1862年4月3日)、フランスのマルセイユに上陸した。4日後にはパリ、1カ月後には英国・ロンドンに到着し、本格的に交渉を展開。7月中旬(同8月上旬)にロシア・ペテルブルクに至る途中でオランダ、プ
なんとなく日本全体に元気がない。間もなく発生から3年を迎える東日本大震災の被災地も、がれきの姿は消えたものの、街並みに以前の建物はなく、将来像が見えないまま住民の疲労感も増している。何よりも人々を元気付ける方策が必要である。 そんな中で過日、BS放送で、祭りが世代から世代へ濃密な人間関係を作りながら伝承される姿を見て、これこそ絆、つながりの原点、日本を元気にする宝だと実感した。 日本は世界でも稀(まれ)な祭りの宝庫であり、全国至る所に祭りがある。誇るべき宝を被災地の復興や過疎が進む地域社会の再生だけでなく、日本全体を元気にする「資源」としてもっと大胆に活用すべきだと考える。 ≪日本全体を元気にする宝≫ 番組は関西に本社を持つ清涼飲料水会社が、CSR(企業の社会的責任)の一環として11年前から取り組む「日本の祭り」。たまたま2月中旬に見た際は、春の訪れを告げる静岡県掛川市の遠州横須賀三熊野神
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