テレビ出演の記録 (新→古) □ 2011年2月20日- クラシカ・ジャパン「クラシカ・ラウンジ」 #149 マッツ・エックの『ジゼル』 (クラシック音楽専門の有料チャンネル。初回は日曜19:30~19:45放映) VTR出演。スウェーデンの振付家マッツ・エックと、彼の振付作品『ジゼル』について解説。 □ 2010年6月27日- クラシカ・ジャパン「クラシカ・ラウンジ」 #115 アラン・テレサ・ドゥ・ケースマイケル『ケースマイケルのダンス・ノート』 (クラシック音楽専門の有料チャンネル。初回は日曜19:30~19:45放映) VTR出演。ベルギーの振付家ケースマイケルと、作品『エイプリル・ミー』について解説。 □ 2009年11月15日- クラシカ・ジャパン「クラシカ・ラウンジ」 #83 アラン・プラテル『聖母マリアの祈り vsprs』 (クラシック音楽専門の有料チャンネル。初回は日曜1
悪名高い対テロ軍組織のメンバーの個人的な来歴に光を当てた小説《Albatros》を読んだ後、私はもっと中立的なポジションから、ペルーの「汚い戦争」について読んでみたいと思った。 タイミング良く、今年2013年にアンカシュ県出身のベテラン作家オスカル・コルチャード・ルシオ(Óscar Colchado Lucio)がまさにそうした小説『リマの包囲』(《El cerco de Lima》:Grupo Editorial Mesa Redonda, 2013)を出版していたので、読んでみた。 ■テロリストと警察たちの麻痺した「日常」 この小説は、80年代後半のリマを舞台にした、次の3つの系列の断章群で編み上げられている。(1)首都を制圧しようとする極左テロ組織センデロ・ルミノソの下で活動する若者アルシデスの物語、(2)彼らの作戦を阻止しようとする警察テロ対策局(DIRCOTE)の職員ニトの一人称
関西を中心にダンスを中心に様々なアートを紹介するページです。神戸市東灘区在住の上念省三がお送りします。宝塚歌劇や小劇場演劇、現代美術、ダンサーへのロングインタビューもお楽しみ下さい。 高等学校国語教科書「ちくま現代文改訂版」に掲載された阪神大震災に関する文章「風景が壊れている、そして私も…」を初期形で掲載しています。2004年11月から書き続けた「10年後の既視感〜阪神大震災の記憶のためにII」は、2006年7月に第17回で一応の完結を見ました。 ご意見、ご感想、公演情報をお寄せ下さい。リンクは自由ですが、掲載文を引用される場合は、ご連絡下さい。 (写真は、「ダンスの時間」Summer Festival 2008から。空間美術:スエモトタモツ、出演:j.a.m.Dance Theatre) since2005.5.3 ● 「ダンスの時間」、次回は来年1月下旬の予定です。詳細は近
公演スケジュール Listings: Contemporary Dance update:2008/09/24(2件追加 10・11月) 日記(ダンスとか/はてな) ダンス・レヴュー(倉庫) last update:2007/02/20(2本追加) information update:2008/09/23 BBS リンク Jeff Koons's "Puppy" by Kikuko Usuyama about 昨日 今日 counter powered by eucaly.net since 1999/06/09 best viewed with Internet Explorer ver.6.x バナー提供 Dance Performance 蟲 さん。感謝
the downhill 2011年1月22-23日 精華小劇場 ※このレビューは京都芸術センター通信「明倫art」 2011年3月号に掲載されたものです(INDEXはこちら) 危険な遊び ー飛び降りて罠にかかる シーソーの片側に水風船を置き、もう一方に思いっきり飛び乗る。高く跳ね上がり落ちてくる水風船をキャッチできれば大成功。…というような遊びを開発して皆ではしゃいでいた少年時代を思い出した。シーソーという遊具の遊び方としては完全に逸脱しているが、それはとても面白かった。 the downhillのパフォーマンスは、ダンスや演劇といった上演芸術の既存の枠組みを逸脱して、新しい価値を生み出そうとする。 その核には、まず何より「遊び」に興じる身体の魅力がある。「遊びをせんとや生まれけむ(中略)我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」と『梁塵秘抄』に収められた有名な一節にあるように(「遊ぶ子供を見てい
■2019.7.3 【暑い夏19】ダンス、まずその前に・・・ or そ... 〈Dビギナークラス:ルイス・ガレー〉ワークショップ・レポート 4月30日(火)@京都芸術センター、フリースペース &nbs........ document/a(c)tion
※以下の文章は2001年4月発売の『美術手帖』誌の特集「VIVA! 肉体表現主義!!! EXTREME BODY & SOUL」のために書かれたものである。 特集のタイトルを「肉体・表現主義」と、わざと誤読してみる。アートの世界でも「肉体」と「表現主義」は相性がいい、というか切っても切れない仲。だったわけでしょ、20世紀は。(論理的)抽象が煮詰まっていくときに、必ず身体がせり出して来る、そしてそれは「表現主義」と呼ばれた[1]、と。> では仮に、今この場所(の表現)において、「身体」のせり出しが(再び?)勃興しているとして、それはこれまでと同じものと言えるだろうか。恐らく「ここ」は、さしあたり「スーパフラット」という言葉がふさわしい場所、それを乱暴に言ってしまえば、「ここ」に特化された我々の「ポストモダン」ということだが、それは決して「リアル」の超「希薄」さ、といった単純なものではなく、だ
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