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考え方とadvertisementに関するjelly-bellyのブックマーク (5)

  • 広告β:おもしろ広告は機能しているか?

    興味深い実験をみた。 ある実験で、ヘッドフォンの架空のモニター調査を行い、集まった人たちに音の良し悪しや欲しいと思うかなどを用紙に記入してもらいました。しばらくしてから、同じ参加者にインタビューします。2のペンを見せて、どちらが好きかを聞くのですが、実は、片方のペンは最初のアンケートに使ったもので、もう片方は別の種類のペンなのです。すると、ヘッドフォンに好意的な評価を書いた人はそのときのペンを選び、ネガティブな感想を書いた人は別のペンを選ぶという具合に、見事に二分されました。ヘッドフォンがよかったので、ペンまで気に入ってしまった、というわけで、逆の場合も理屈は同じです。こういう風に好き・嫌いが波及することを「汎化」といいます。(13号:やる気は脳ではなく体や環境から生まれる) おもしろい広告を作る人がいる。それを見て、「面白ければいいわけじゃない、売れないとダメだ」というのは正論だ。

    jelly-belly
    jelly-belly 2009/07/30
    面白広告の効果はあるのか?
  • 広告β:広告で(基本だけど)意外に大切なこと2つ

    その1。 「変えることより続けることが難しい」 担当者が変わると、すぐ変えちゃう。それってどうなのか。 ブランドの構築条件の一つとして「一貫性」があるけれど、 担当者がローテーションで変わっていく企業が多い中、ある表現フレームを 続けていくのには(やめるよりも)勇気がいる場合が多い。 良心的な担当者でさえ「変えればもっとうまくいくかもしれない…」という 誘惑に勝つのは難しいのである。 ドカーンと打つのは簡単なのだ。数社集めて競合にして、 「予算10億。考えてきて」といえばよいから。 そうすると代理店はたいてい、無条件のうちに現状を否定し、新しい案を持ってくる。 広告担当者の気持ちはわかる。なので、ひとつ提案をしよう。 「必ず、変えない部分を作る」これだ。 つまり、タレントを変えてもいい。しかし表現フレームは変えない。 表現フレームを変える場合は、タレントを変えな

  • 広告β:ツッコミはボケになれるのか

    いい加減眠いので、軽くエントリしますが。 お笑いコンビにおけるツッコミは、ボケになれるのだろうか。 ツッコミの代表的な人物は、浜ちゃん(ダウンタウン)・矢部(ナイティナイン)などだ。 彼らは、松ちゃん、岡村になれるのだろうか。 というのは最近、Webのプランはボケなのだろうという気がしたからだ。 従来の、優れた広告コミュニケーションというのはツッコミだ。 状況や製品、消費者の感じていること(インサイトなどともいう)を把握し、 そこに狙いを定めて、絞って、メッセージを送り込む。 これはボケというよりは、ツッコミ的な感性で行われる。 しかしWebで成功する、あるいはバイラル(クチコミ)で広がる、 Webらしいプランニングというものがあるとすれば、隙のない「ツッコミ」ではなく、 むしろ隙のある「ボケ」が必要になる。 これをノッカリティとしてもいい(またまた手前味噌)。

  • 広告β:「エラー」は広告に効く

  • 広告β:ノッカリティ・プランニング

    この前、どこでだったか忘れたけど面白い話を聞いた。 「流行語というのは、誰もがそれに対して一家言もてるものでなくてはならない」 たとえばニート。 言葉の意味さえわかれば、誰もがニートについて 一言、自分で語りたくなる。一家言持ちたくなる。 ニートという言葉の響きもナイスだ。 だから、流行語になるという。 つまり、誰もがそれに「乗っかれる」言葉だということだ。 世の中でブランドとされるものには、この「乗っかれる」ような ものが多いと思う。たとえばルイ・ヴィトン。 好きな人も、嫌いな人もいるけれど、誰もがそれに対して 自分の意見を持つ、あるいは、持とうとする。 さらに、持てと強制されているような影響力さえ持つ。 いまから、「乗っかれる」度合い、または「乗っかれる」ことを 勝手に「ノッカリティ」と呼ばせていただく。 ノッカリティ・ブランディング(あるいはマーケティン

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