小室眞子さん&圭さん 夫妻で初外出 2時間で帰宅 SP同乗で免許センターへ 3枚 秋篠宮家の長女で、26日に結婚した小室眞子さんが28日、小室圭さんと夫妻で外出した。行き先は都内の免許センターで、今後、米ニューヨーク拠点の生活に備えて、眞子さんが国際免許証を取得するためとみられている。午後2時すぎに渋谷区の新居を出発し、午後4時半ごろに帰宅した。 夫妻は黒のワンボックスカーの後部座席に並び、警備担当とみられる人物も同乗していた。 続きを見る
天皇陛下の退位を実現する特例法は9日、参院本会議で採決され、自由党を除く全党の賛成で可決、成立した。退位は天皇が終身在位制となった明治以降初めてで、江戸時代の光格天皇以来、約200年ぶりとなる。2018年末に陛下が退位して皇太子さまが新天皇に即位し、19年元日に改元する日程が有力だ。 採決は押しボタン式で行われ、賛成235、反対0の全会一致だった。自民、民進、公明、共産、日本維新の会、社民、日本のこころ、無所属クラブ、沖縄の風の各党派と無所属議員が賛成した。退位の恒久制度化を求める自由党の4人は採決前に退席した。このほか自民、民進の各1人が届けを出して欠席した。 参院本会議では、女性宮家の創設などについて「法施行後速やかな検討」を政府に求める付帯決議も報告された。
ヤフー株式会社は、2023年10月1日にLINEヤフー株式会社になりました。LINEヤフー株式会社のコーポレートサイトはこちらです。 当ページに記載されている情報は、2023年9月30日時点の情報です。 ヤフー株式会社 前代表取締役社長 井上雅博が4月25日(日本時間 4月26日)に交通事故により逝去いたしました。ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。 なお、通夜及び葬儀、お別れの会の予定は決まっておりません。詳細が決まり次第、お知らせいたします。 氏名 :井上 雅博(いのうえ まさひろ) 生年月日 :1957年2月12日生(享年60歳) 死亡日時 :2017年4月25日 14時30分(日本時間 4月26日 6時30分) 死亡原因・場所 :交通事故。米国 カリフォルニア州にて。 ■井上雅博 略歴 1979年3月 東京理科大学理学部数学科 卒業 1979年4月
「天安門事件25 周年世界同時アクション『天下圍城』」日本 呼びかけ文 この度、「天安門事件25周年世界同時アクション」として、天安門事件の学生リーダーの一人である王丹氏を中心に、中国政府に対する“全世界同時抗議”が呼び掛けられました。 1989年6月4日、自由と人権、中国の政治改革を求めて平和的に集まった学生達は、戦車と銃の一方的な武力によって無惨にも弾圧されました。 若者たちの理想と尊厳と命を非情にも奪ったこの事件は、中国全土に広がっていた支援者はもとより、何よりも中国人、そして世界中に衝撃を与えました。 あれから25年が経ちましたが、中国共産党政府は未だ天安門事件と向き合うことなく独裁を続けています。 経済発展が目覚ましいと言われる中国ですが、独裁政治の結果、その恩恵は一部の中国共産党幹部や親族に注がれ、大多数の中国人は人権、尊厳、法律で認められる権利さえも守られていません。 そして
六四申遺 二つの全世界的キャンペーン展開の告知 天安門事件をユネスコの記憶遺産に登録し、「無名の反逆者」二名の消息を追及せよ 2015年12月10日。世界人権デーであり、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞して五年目にあたる日。 今日は劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞して5年目にあたります。それを記念して、我々は二つの全世界的キャンペーンを開始します。ひとつは天安門事件をユネスコの記憶遺産として永久に残すこと、そしてもうひとつは「無名の反逆者」二名の消息を追及することです。 1.天安門事件をユネスコの記憶遺産として永久に残すキャンペーン 天安門事件について自由にディスカッションし理解することは、中国の政治がより文明化するための必須条件です。それにはふたつの条件があります。ひとつは中国の人民が天安門事件の真相に規制なくアクセスできること。ふたつ目は中国人が事件について自由に討議できること。しかし、今
伊吹文明・元衆院議長 陛下のご譲位について(議員の)皆さんも地元紙からアンケートを求められたりすると思うが、限られた紙面だから、基本的に回答しないほうが良い。私の地元紙も聞いてきたので、有権者に誤解を与えてもいけないので回答は差し控えると回答しておいた。 この問題は、憲法上陛下の地位は国民の総意によると書いてあるので、(法案が)出た場合は満場一致で通さないと陛下に対しても失礼に当たるし、憲法上の疑義も生じてくる。皆も軽々にアンケートに答えたり、自分の思いつきをぺらぺらしゃべったりせず、党として院として(代表者に)一任して間違いない結論を出して頂きたい。(二階派の会合で)
英ギネスワールドレコーズ社が認定する世界最高齢のイタリア人女性のエマ・モラーノさんが15日、伊北部ベルバニアで死去した。117歳だった。AP通信などが伝えた。自宅でいすに座っていた際に呼吸が停止したという。モラーノさんは1899年生まれで、1800年代生まれの最後の1人とされてきた。 モラーノさんは1日に卵3個を食べるのが若い頃からの習慣だったが、晩年は卵を2個に控えていた。亡くなる数週間前からは眠って過ごすことが多くなっていたが、毎日生卵とビスケットを食べることは欠かさなかったという。モラーノさんはメディアに、若い頃は赤ん坊だった息子を亡くし、夫に暴力をふるわれて別れるなど、それほどいい人生ではなかったと語っていた。長年工場などで働き、踊りや歌が上手だったという。 AP通信によると、1900年生まれのジャマイカ人女性が新たな最高齢者になったとみられる。(ローマ=山尾有紀恵)
自分の歯にレンズを埋め込み、移植して視力を回復――。こんな珍しい手術が、オーストラリア・シドニーの眼科病院で行われた。手術を受けた2人は、ほとんど物が見えない状態から視力が回復したという。地元紙サンデーテレグラフが16日、伝えた。 同紙によると、手術は、角膜の障害が原因で視力を失った人たちが対象。豪南東部ゴールバーン在住の男性、ジョン・イングスさん(72)と北東部ケアンズの女性レオニー・ガレットさん(50)の2人が受けた。 手術では、最初に2人の歯を抜いて穴を開け、プラスチック製のレンズを埋め込んだ。その歯をほおの内側に縫い付け、3カ月ほどして歯が、抜かれる前のように自ら組織を作ることができるようになった時点で眼球に移植。自分の歯を使うため、移植に伴う拒絶反応は起こらず、2人の視力は復活した。 イングスさんは「手術前には、もう何も見えなくなってしまうのだろうと思っていた」と同紙に語った。同
歴史的な背景を抜きにしても、すれ違いが起こりやすい日本人と韓国人。国もお隣同士で外見もそれほど変わらないというのに、一体なぜなのでしょうか。今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では著者の伊勢雅臣さんがその理由を探るべく、黒田勝弘氏の著書を引きながら、日本人と韓国人の文化や習慣の違いについて詳細に分析しています。 「みんな仲良く」の日本人「俺が俺が」の韓国人 ●(関連記事)反日教育を受けてきた韓国人女性が、日本への帰化を選んだ理由 韓国ウォッチャーとして著名な元産経新聞ソウル支局長・黒田勝弘氏が、ソウルで韓国人の年配の知り合いと会った時に、日本の童謡の「夕焼け小焼け」が話題になった。 夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる お手々つないで みな帰ろ カラスと一緒に帰りましょ その知り合いはしみじみとこう言った。 日本ではカラスまで一緒にさそっ
江戸末期・明治初期の日本の姿がカラーで――。明治初期の写真家・着色技師・日下部金兵衛(くさかべ きんべえ)の作品が、ニューヨーク公共図書館のアーカイブに収められている。カラーでよみがえる、日本の風景が新鮮だ。 日下部金兵衛は、日本に移住していたイギリスの写真家フェリーチェ・ベアト(1832-1909)が開いた横浜の写真館で、写真に色をつける「着色技師」として働き、ベアトの弟子となります。そのことを契機に、1881年(明治13年)頃に自らも写真館を開き、写真家として独立します。顧客の多くが西洋人であったため、仕事上は西洋人が発音し易いKimbei (キンベイ) という呼び名を用いていました。 (東京富士美術館「明治の着色写真 Kimbei Kusakabe」より)
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