2005年12月25日18:09 カテゴリMoneyPsychoengineering 仁から算へ、軟骨から骨へ (書評 - 自分の骨のこと知ってますか) この現象は、実は医療界に限った話しではない。 自分の骨のこと知ってますか 桜木 晃彦 レジデント初期研修用資料: 期待の消失と医療の恐慌 収入の話。以前はお金の話なんて御法度もいいところだったし、 基本的には誰も興味無かった。ただただ忙しく働かせてもらえば、 それで十分だった。今は逆だ。忙しい職場であっても、まず話題になるのは 「ペイがいいかどうか」。働きのわりに安い職場であったなら、心有る同級生なら 「お前騙されてるよ…」というアドバイスをするだろう。 まだ業界が業界として成立していない頃に人を動かすのは、「面白さ」だとか「やりがい」だとか「かっこよさ」といった「心理的報酬」だ。IT業界もしかり。「第ゼロ世代」は別に一山あてるためそれ
ケ・セラ・セラ 今回は本誌のタイトルについて記そう。ペギ-葉山の歌う「ケ・セラ・セラ」を知らない若い人は多いだろう。何しろ筆者が中学にあがったころ(1956年)に封切られた映画の主題曲なのだから。この映画のタイトルはアルフレッド・ヒチコック監督の「知りすぎていた男」である。”先生、ビデオ屋にいけば必ずありますよ”とこの文を書くことを勧めてくれた杏林大学田島治助教授の言に反し、「知りすぎていた男」は見つからなかった。クリニックで毎週心理カウンセリングをしてくださる岩館教授がたまたまNHK・BSで名画シリ-ズとして放映されたものを録画されていて、やっとのことで観ることができた。 この小気味のよいサスペンスのあらすじをかいつまんで話すと、ジェイムス・スチュワ-ト扮する若い医者マッケナと元人気歌手であったその妻ジョセフィ-ン(ドリス・デイ)はパリの学会の帰途に息子ハングをつれてモロッコのマラケシュ
人生ゲーム? いや、いいよ。と、その先は言葉を飲む。そんなの大の大人のするゲームじゃないよ、人生っていうのはだな云々。 しかし、横目で見るとルーレットが回っている。あれ? そういう仕様だったか、昔。思い出すに、子供のころから人生ゲームっていうのはやったことがなかったか。三十代、一時期モノポリーに嵌ったのでそんな気がするだけか。あれはエグイ面子でやると実に愉快というか不愉快なゲームである。ほいでこれはダイス(さいころ)だったか。バックギャモンのように欧米のゲームらしく、ダイスを二つ使っていた。もっともバックギャモンの場合は云々。 人生というのはルーレットかダイスのようなものではある…と若いころも思った。十代とか二十代の頃。あの頃、私は人間に本当に自由意志というものが存在するのかと考えていた。 例えば、一つのダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一。さて、この命題は正しいか。議論を端折るが、こ
注:このエントリ、ちょっと訂正・補足します。 ⇒内田樹の研究室: 捕虜と戦陣訓 しかし、日本軍の捕虜たちはそうはしなかった。 彼らは捕虜になったとたんに人格を一変させてしまったのである。 ベネディクトが驚いたのは、これほど「勝者に媚びる捕虜」たちを見たことがなかったからである。 捕虜たちは嬉々として自軍の内情、兵の配備状況をことこまかに具申し、中には米軍の偵察機に同乗して、「あそこが弾薬庫で、あそこが司令部です」と逐一報告した兵士さえあった。 この変節の理由は簡単である。 戦陣訓がいうとおりに「勝敗は皇国の隆替に関」するというのがほんとうなら、皇軍が負けるということはイコール「皇国は滅亡した」ということである。 ならば皇軍を打ち破った軍隊こそが「百戦百勝の新たなる皇軍」であることは論理の経済が私たちを導く合理的結論である(現にその論理に従って、日本は戦後60年間アメリカに仕えてきたではない
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