わたしのタイムラインに、新年の挨拶的な内容のことはかかないでください。前から言うように、グレゴリオ暦の新年は自然界のリズムとしてはまったく意味を持ちません。するなら、節変わりとか、春分点通過とか、七月ですね。それぞれはっきり思想的根拠がある。日本の神社もおかしな話で、二月に初午やったりします。どうしてそこまでめちゃくちゃするか不明。寒いのに。形式だからと言って従っていると、本人が形式から出られなくなります。わたしの命式は、春の草花を瓶が割れそうなくらいいっぱいに詰めていくので、フランク・シナトラのマイウエイが彼のライフソングみたいだとすると、わたしのライフソングって、森山良子の"この広い野原いっぱい"ですよ。世界に歌はたくさんあるので、自分のイデーフィックス探すと、かならず見つかります。わたしのイデーフィックスは実は"この広い野原いっぱい"ではないけど、四柱推命は世間の顔をあらわすので、そ