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ブックマーク / bunshun.jp (33)

  • タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた? | 文春オンライン

    “あの人”の姿をテレビで見なくなってから20年が経つ。当時、あの人は還暦前の58歳。まだ十分に人気はあり、体力・気力も残しての引退だった。 あの人――元タレントの上岡龍太郎は、芸能界を引退すると2年前から公言していた。とはいえ、その日が来るまで仕事の関係者も含めて、ほとんどの人が半信半疑だった。何しろ、彼が前言を撤回することは珍しくなかったからだ。たとえば、それまでさんざんゴルフの悪口を言っていたのに、自分で始めたとたんにすっかり夢中になってしまった。引退する際には、プロゴルファーになるとも宣言し、実際に米サンディエゴのゴルフアカデミーにも留学している。だが、結局この宣言も実現にはいたらなかった。引退後にはまた、2003年の大阪市長選に出馬するという計画も立てていたが、これものちに「才能がないのに気づいた」と撤回している(※1)。

    タモリ74歳、たけし73歳は現役なのに 20年前、なぜ上岡龍太郎は58歳できっぱり引退できた? | 文春オンライン
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2020/03/22
    "成功者は、思いも寄らないことで成功している。  失敗した人も、思いも寄らない落とし穴に落ちている。  強く思えば、大きくそれる。  より速くまっしぐらに走れば、より遠くへそれてしまう。"
  • 「向こうで映画見るけどあなたもどう?」元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感 | 文春オンライン

    海外メディアのすさまじいレビューにより、日公開前から注目を集めていたアリ・アスター監督、フローレンス・ピュー主演の映画『ミッドサマー』。不幸な事故によって家族を亡くした主人公、ダニーは彼氏のクリスチャンとクリスチャンの友人たちと共にスウェーデンの辺境のカルト村「ホルガ村」で行われる夏至祭の中で恐ろしい体験をするというフェスティバルスリラーです。 元カルト信者としての感想に大きな反響が 2月に日で公開された後、同作を見にさっそく劇場へ足を運びました。同作が気になったのは、話題の映画であるからだけではなく、私自身、元カルト信者だからです。見終わった後、元カルト信者としての感想をツイートしたところ、大きな反響がありました。 元カルト信者として見たミッドサマーですが○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

    「向こうで映画見るけどあなたもどう?」元カルト信者の私が『ミッドサマー』に覚えた既視感 | 文春オンライン
  • 「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」 | 文春オンライン

    レバノンに逃亡したカルロス・ゴーンの原点はここにあった。「日産・ルノー提携」の特ダネを1999年にスクープして以来、ゴーンを見つめてきたジャーナリストが、その栄光と墜落の軌跡、そして日産社内の権力闘争の実態をあますところなく描いた経済ノンフィクション『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文春新書)。 倒産寸前まで追い込まれた日産にルノーから送り込まれたゴーンは、トップ就任からわずか1年半後、「日産リバイバルプラン」をもとに過去最高益を叩き出す。だが、ゴーンには別の顔があった。寵愛する「チルドレン」で配下を固め、意見する者は容赦なく飛ばす。そして、会社の私物化した公私混同のエピソードは枚挙に暇がない。 独裁、ゴマスリ、権力闘争……強欲と収奪の内幕を克明に描くノンフィクションから、一部を抜粋して転載する。

    「食堂のランチは豚のエサか」日産幹部が目撃していたカルロス・ゴーンの「裏の顔」 | 文春オンライン
  • これぞ東京の秘境! 1972年に廃村になった奥多摩山中の「峰集落」へ行ってみた | 文春オンライン

    おいおい、そんなに早足で大丈夫かい、と後ろから見ていて心配になった。横に這った杉の根っこをうまく利用して作られた結構急な山道を、編集者Tは平地を大股で歩くように登っていく。前日、池袋の山道具専門店で購入したという茶色の登山が光っている。私のリュックは歩くたびに背中で音を立てる。クマよけの鈴がついているのだ。(全2回の1回目/#2へ続く) われわれが目指すのは、かつて峰という集落があった跡だ。1972(昭和47)年に最後の住民が下山し“廃村”になったと資料にある。住所は東京都奥多摩町。

    これぞ東京の秘境! 1972年に廃村になった奥多摩山中の「峰集落」へ行ってみた | 文春オンライン
  • 47年前に最後の村人が下山……東京奥多摩の廃村「峰」で27歳まで暮らした旧住人が語る“あの頃の生活” | 文春オンライン

    1972(昭和47)年に最後の住人が下山し、廃村となった東京奥多摩の集落「峰」。今も山の中にひっそりと残る集落跡を訪れた私と編集者のTは、山を降りた後、往時を知る人がいないか、鳩ノ巣駅周辺で聞き込みをすることにした。(全2回の2回目/#1より続く) 「子供の頃から出入りしていたから、よく知っているよ」 まず向かったのは、駐在所である。お巡りさんに話を持ちかけたところ、その問い合わせ内容に少し戸惑いながらも、向かいにある喫茶店を指さし、ここのマスターなら知っているかもしれない、と先頭に立って歩き出した。そして喫茶店の扉を自ら開けると話をしてくれたが、その親切は実らず、取材の手がかりを得ることはできなかった。時刻はもう13時を回っている。登山の疲れが出始めてきたわれわれは、休憩がてら腹ごしらえをすることにした。 鳩ノ巣駅周辺には飲店が3軒ほどあり、なかでも繁盛していそうな一軒に決めた。釜飯が

    47年前に最後の村人が下山……東京奥多摩の廃村「峰」で27歳まで暮らした旧住人が語る“あの頃の生活” | 文春オンライン
  • 木村教授の第1回講義――超攻撃的な「野心」を見失わず、いかに具体的な「研究計画」を築くか | 文春オンライン

    学部と大学院はどこが違うのか で、さっそく最初の質問です。皆さんはこうして大学院に入って講義を受ける事になった訳ですが、そもそも大学院とは何をするところなのでしょうか。皆さんの多くは、つい最近まで学部で勉強してきたと思います。学部と大学院はどこが違うのでしょうか。 わからなければ、思い出してみましょう。学部では多くの講義は先生から課題を与えられて、それを熟す形で授業が展開されていきます。大教室で多くの学生を相手に、先生が教壇の上から延々と話を進めていく形の講義も多いと思います。そこで求められているのは、教員が学生に対して既によく知られている、そして社会で生きていくために重要な内容を、「教える」事です。ですから、多くの講義では、学生には教員が教えた事をそのまま覚える事、更には教えられた知識を使って期待通りの成果を上げる事が求められます。 でも大学院ではこうした形の授業は多くはありません。多く

    木村教授の第1回講義――超攻撃的な「野心」を見失わず、いかに具体的な「研究計画」を築くか | 文春オンライン
  • 戦後最大の「国語」改革で「文学」が消滅する | 文春オンライン

    論より証拠。まずは次の問題を見てもらおう。 ◆◆◆ 転勤の多い会社に勤めているサユリさんは、通勤用に自動車を所有しており、自宅近くに駐車場を借りている。以下は、その駐車場の管理会社である原パークとサユリさんが締結した契約書の一部である。これを読んで、あとの問い(問1〜3)に答えよ。 駐車場使用契約書 貸主 原パーク(以下、「甲」という。)と 借主 ○○サユリ(以下、「乙」という。)は、次のとおり駐車場の使用契約を締結する。 ◆◆◆ そして以下、「第1条 合意内容」から「第8条 返還義務」まで現物さながらの契約書が提示される。サユリさんはこの契約書をもとに、どうやって貸主からの料金値上げ要求に対抗すればいいか、あるいはどうやって損をしないように解約手続きをすればいいかを答えるのだ。 これが、センター試験に代わり、2021年に導入される「大学入学共通テスト」の試作品の冒頭部である。 ©iSto

    戦後最大の「国語」改革で「文学」が消滅する | 文春オンライン
  • 1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン

    マンションポエム。マンション広告に見られる詩的なキャッチコピーのことをぼくはそう名付けた。「洗練の高台に、上質がそびえる」(野村不動産「プラウドタワー白金台」)といった名調子のことだ。折り込みチラシや、駅や電車内の広告などでよく見かける。物件のアピールの域を超えたその表現は、ポエムと呼ぶにふさわしい。

    1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン
  • 「田母神論文事件」から10年 本人が語る「痛恨の記者会見と“おっぱっぴー”」 | 文春オンライン

    田母神 辞めて1年目は、それはものすごい数の講演依頼が来たんです。1年で300回以上講演しましたからね。1日で2、3回講演して回ることもザラでした。 ――全国を飛び回る毎日で。 田母神 ええ、大好きなゴルフが1回もできない年でした。やる暇がないんです、当に。 ――講演でもお話になることがあったかもしれませんが、戦前の日軍人で尊敬する方っていますか? 田母神 いっぱいいますわね。東郷平八郎、乃木希典。乃木大将のことを悪く書く作家もいますけど、二百三高地、あんなの誰が取ろうとしても犠牲は出ますよ。最終的に目標を達成した面を評価しなきゃならないと私は思いますがね。 ――昭和の軍人だと、どなたかいますか。 田母神 たくさんいますけど、東京裁判で自分はどうなってもいいと命を賭した東條英機大将。東京裁判における宣誓供述書が日を相当救ったと思います。立派な人だと思っていますよ。 さまざまなイベント

    「田母神論文事件」から10年 本人が語る「痛恨の記者会見と“おっぱっぴー”」 | 文春オンライン
  • 「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1より続く) ◆ ◆ ◆ 当時、高畑さんが作りたがっていたのが『平家物語』でした。企画としてはおもしろいものの、誰が絵を描くのかという問題がありました。宮崎駿が「平家の戦いのシーンを描けるとしたら自分しかいない」と豪語していたほどで、技術的にも非常に難しいことは分かっていました。高畑さんは『山田くん』でも活躍した田辺修に描いてもらおうとするんですが、田辺も頑固な男で、「自分は人が人を殺す話は描きたくない」と言う。 そこで僕が持ち出したのが『竹取物語』でした。言わずとしれた日最古の物語で、高畑さん自身、「誰かがいちどきちんと映画にすべきだ」と言っていたのを思い出したんです。あらためて高畑さんにその話をすると、「誰かが作るべきだとは言い

    「高畑勲監督解任を提言したあのころ」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #2 | 文春オンライン
  • (2ページ目)「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    死ぬまでにもう1高畑の作品が見たい 氏家さんは徳間書店の社長、徳間康快と同じ読売新聞の出身。経営者としても仲がよく、徳間の葬儀では弔辞を読んでもらいました。そのお礼を言いに訪ねていくと、氏家さんはしみじみと語りました。「徳さんはすごかったな。会社から映画まで自分でいろんなものを作った。あの人は物のプロデューサーだった。おれの人生は、振り返ると何もやってない。70年以上生きて、何もやってない男の寂しさが分かるか」 僕は返答に困って、愚にもつかないことを言いました。「マスメディアの中で大きな役割を果たしているじゃないですか。日テレビの経営を立て直したのも氏家さんでしょう」。氏家さんは「ばかやろう!」と怒鳴りました。「読売グループのあらゆるものはな、ぜんぶ正力(松太郎)さんが作ったものなんだ。おれたちはそれを維持してきただけだ。おれだって何かひとつ自分でやってみたい。そうしなければ死んでも

    (2ページ目)「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン
  • 音声公開 早稲田大学交響楽団の永久名誉顧問が「1300万円払え」 | 文春オンライン

    100年余の伝統を誇る早稲田大学公認の有名音楽サークル、早稲田大学交響楽団(通称ワセオケ)で、指揮者・田中雅彦氏(83)のパワハラや不透明な金銭のやり取りを巡りトラブルが起きていたことが、「週刊文春」の取材でわかった。 「ワセオケは入学式、卒業式など大学の正式行事の演奏だけでなく、学外で定期演奏会も行っています。日を代表する学生オーケストラと言ってよく、今年3月にも田中氏の指揮のもと、ドイツのベルリン・フィルハーモニーで演奏しています」(早大幹部) 「週刊文春」が入手した音声データによれば、2016年6月、田中氏は1300万円の支払いを学生に要求。〈1300万も含めて覚書の一部だからね。それを忘れんな。覚書は契約書と同じだからな。請求し続けるぞ〉などと発言している。 田中氏が現金を受けとった際の領収書の数々 海外公演などでの各団員の演奏の出番や選曲に絶対的な権限を持つ田中氏は、一部で「尊

    音声公開 早稲田大学交響楽団の永久名誉顧問が「1300万円払え」 | 文春オンライン
  • 初検証・これが小池百合子氏のアラビア語の実態だ | 文春オンライン

    結論から言うと、小池氏のアラビア語は「ハチャメチャ」である。一緒に動画を見てもらったロンドン在住のエジプト人ジャーナリスト(1980年代にカイロ大学の英語科を卒業)の感想は「これはStreet Arabic。エジプトで生活したかもしれないが、大学で学んだ人のアラビア語では絶対にない。日で6か月やった程度のレベル」。 来は格調高く、美しい正則アラビア語 説明の前提としてアラビア語には2種類あることを憶えておいて頂きたい。一つは正則アラビア語(フスハー)という格調高く美しい万古不変の言葉で、アラビア語圏で普遍的に通じる。コーラン、政治家の演説、テレビのニュース番組などは正則アラビア語である。、雑誌、手紙、大学の試験の答案など、アラビア語が文字で書かれる場合は、すべて正則アラビア語を用いる。したがってアラビア語圏の大学を卒業するためには、正則アラビア語の会話、読み書きに堪能でなくてはならな

    初検証・これが小池百合子氏のアラビア語の実態だ | 文春オンライン
  • 私がW杯日本代表を応援しない超個人的でチンケな理由について | 文春オンライン

    2018年のワールドカップで、サッカー日本代表は決勝トーナメント入りを目指して健闘中だ。初戦のコロンビア戦には、格上の相手であるにもかかわらず2-1で勝利。6月24日夜(日時間)のセネガル戦は引き分けた。次のポーランド戦の試合結果と今後の日本代表の決勝T入りについて、日中が注目し、応援している。……と、されている。 ところが、ごく個人的な理由からその風潮に異論を唱えたのが、『八九六四』 などのバリバリ硬派のノンフィクション作品で知られる中国ルポライターの安田峰俊氏だ。「今回は中国とは無関係ですが」と安田氏が寄稿してきた原稿をめぐり、編集部内のサッカーファンたちは猛烈に反発! 侃侃諤諤の議論の末、ディフェンスを強行突破して掲載に至った“問題原稿”がこちらである。 ◆◆◆ 青いユニフォームを着た人々の中で居心地の悪さを覚えた新宿の夜 2018年6月19日夜、私は新宿三丁目で日語ペラペラの

    私がW杯日本代表を応援しない超個人的でチンケな理由について | 文春オンライン
  • 母親が告白 農業アイドルだった大本萌景さん(16)は、なぜ自殺しなければならなかったのか | 文春オンライン

    2018年3月、愛媛県松山市を活動拠点にする農業アイドル「愛の葉Girls(えのはがーるず)」メンバーだった大萌景(おおもと・ほのか)さん(享年16)が、自宅で首を吊り亡くなった。 「愛の葉Girls」はご当地アイドルブームが盛り上がりをみせていた2012年12月に、“歌って、踊って、耕すアイドル”としてデビュー。JAや自治体が主催するイベントなどで精力的に農業の魅力をPRする活動を続けてきたが、萌景さんの死を受けて、3月末で活動を自粛。デビュー以来、レギュラーメンバー・研修生を含めて10人以上が卒業や活動を辞退するなどして、最終的には5人編成となっていた。萌景さんの死から約2カ月。まだ心の整理がついていないという萌景さんの母親が、現在の思いを初めて語った。 ◆ ◆ ◆ ももクロが大好きで、アイドルに憧れていた 3月21日に萌景(ほのか)が亡くなってから、私たち家族の明るさ、家の光が失わ

    母親が告白 農業アイドルだった大本萌景さん(16)は、なぜ自殺しなければならなかったのか | 文春オンライン
  • 西城秀樹が遺したメッセージ「2度の脳梗塞には感謝している」 | 文春オンライン

    歌手の西城秀樹さんが5月16日、急性心不全で亡くなりました。享年63。 西城さんは2度の脳梗塞を経験していました。48歳のときに倒れ、生活を改善して予防に努めたにもかかわらず、56歳で再発。2度とも言葉を発しにくい後遺症が出たため、「歌えないなら、死んだほうがましだ」と諦めかけた日もあったそうです。そんな中リハビリを続け、年間70回ものステージをこなしていた西城さんが残した手記を追悼とともに掲載します。 (出典:文藝春秋2016年12月号) 最初に発作を起こしたのは、2003年6月。ディナーショーのために訪れていた韓国・済州島でのことです。猛烈にだるくて眠くて、翌朝目が覚めたら左の頬が右より下がっていました。ろれつも回りません。 東京の慶應病院に勤める知り合いの医師に電話で相談したら、「脳梗塞の疑いがありますね」。仕事を終えて翌日、急いで帰国して病院へ行くと、そのまま入院。「ラクナ梗塞」と

    西城秀樹が遺したメッセージ「2度の脳梗塞には感謝している」 | 文春オンライン
    jiangmin-alt
    jiangmin-alt 2018/05/17
    "若い頃からワインを毎晩2本、タバコを1日4箱という生活でしたが、46歳で結婚してから食生活に気を配るようになっていました"
  • 初出社して、就職先が「ブラック企業」だと気付いたあなたへ | 文春オンライン

    「最低でも3年は働き続けないと、どこにも転職できない」 ブラック企業に入社してしまった人間を苦しめる、呪いの言葉です。この言葉を信じて、劣悪な環境で働き続ける若者が今も少なくありません。しかし、よくよく考えてみると一体どこの誰が「3年は辞めるな」という風習を作り出したのか、誰も知らないのです。 違和感に気が付いた入社式の言葉 私は5年ほど前に就職活動を経験し、大学を卒業したのちに、とある商社に入社しました。リーマンショック後の「氷河期」だったこともあり、就職活動は非常に厳しく、面接を何十社も受けてようやく手にした内定でした。しかし入社してみると、その会社はいわゆる「ブラック企業」と呼ばれるものだったのです。 労働時間は長時間に及び、休日も関係なく出社することを強要されたにもかかわらず、残業代も手当も出ませんでした。もちろん、「有給」取得も許されません。どうしても有給を消化するのであれば、給

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  • かわいいだけじゃない、セントポールプラザ書籍店の看板猫の貪欲 | 文春オンライン

    屋さんに行くと、フリーペーパーが気になる。「週末の旅は屋さん」でも、大盛堂書店の「大盛堂書店2F通信」、TSUTAYA寝屋川駅前店の「ぶんこでいず」、丸善津田沼店でゲットした「晴読雨読(はれどく)」などを紹介してきた。 最近、あちこちの屋で、「屋でんすけ にゃわら版」というフリーペーパーを見かけるようになってきた(進駸堂中久喜店)。店名も作り手の名前も書いていないが、気合いの入ったイラストと手描き文字の、ていねいな作り、中身も、パンのレシピから政治学、外国文学まで幅広い。伝手をたどっていくと、立教大学池袋キャンパス内の書店員さんが作っているという。連絡を取ってみると、お名前も年齢・性別も非公開なら、という条件付きで取材OKが出たため、セントポールプラザ書籍店にペンネーム「でんすけのかいぬし」さん(「でんすけ」はフリーペーパーに登場するキャラクターの名前)を訪ねた。

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  • 本田宗一郎が48歳の時に綴った「モノづくりへの渇望とホンダ創業前夜」(前編) | 文春アーカイブス | 文春オンライン

    田技研工業(ホンダ)が創立されたのは1948年。当時、創業者の田宗一郎は41歳だった。 この手記が月刊誌「文藝春秋」に寄稿されたのは、それから7年後のこと。まだ世界的にはまったくの無名企業だったが、オートバイにすべて情熱を注いでいた男の立志伝からは、その勢いと自信の程をうかがうことができる。 出典:『文藝春秋』1955年10月号「バタバタ暮しのアロハ社長」 (なお、転載にあたって、現代読者に読みやすくするため、旧かな遣い、漢字表記を一部改めた) ただ一筋につながる 先日私は、ある映画館で「スピードに命を賭ける男」というアメリカ映画を観た。そしてえらく感動した。もっともその感動は、私なりのものであって、多くの人々に解って貰えるかどうか、ちょっと疑問ではある。 自動車のレースに生命を賭け、それに生き抜こうとする男の物語は、50歳になって未だに若い気でいる私の血を燃やしてくれた。事実肉体的に

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  • 助けてくれたインド人にお礼を言ったら憮然とされた理由 | 文春オンライン

    『21世紀の楕円幻想論』(平川克美 著) かつてインドで暮らしていたとき、戸惑った出来事があった。駅の階段を大きな荷物を持って上がっていると、傍にいた男性がいっしょに持ってくれた。私はその親切に感謝し、「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。当に助かったので、重ねて礼を言ったところ、男性はむっとした顔をして「もういい」と言い、憮然とした表情で立ち去った。なぜ、彼は怒ったのだろうか。 書には、私の体験と共通するエピソードが出てくる。『エスキモーの』を書いたピーター・フロイヘンは、セイウチ猟がうまくいかず帰ってきたとき、猟に成功したエスキモーの狩人から肉をもらった。フロイヘンがいくども礼を言うと、男は憮然としてこう言った。「この国では、われわれは人間である」「そして人間だから、われわれは助け合うのだ。それに対して礼をいわれるのは好まない」。 平川は、このエピソードに交換経済とは異なる

    助けてくれたインド人にお礼を言ったら憮然とされた理由 | 文春オンライン