軟弱もの、公家かぶれ、凡将…。戦国乱世の旧暦の永禄3(1560)年5月19日、桶狭間の戦いで織田信長に敗北し、命を落とした静岡ゆかりの武将、今川義元といえば負のイメージが根強い。だが、地元は生誕500年に合わせて義元の功績を再評価する「汚名返上」への動きに力を入れる。19日には県内初となる義元の銅像がJR静岡駅前にお目見えし、「義元復権」に活気づいている。 「念願の夢がかなった。泣くほどうれしい」。甲冑姿の義元の銅像が公開された19日の除幕式で、「義元研究」の第一人者で「今川義元公生誕五百年祭推進委員会」委員長の小和田哲男・静岡大名誉教授は表情を緩める。 「泣くほどうれしい」という背景には、県内に義元の銅像が一つもなかったからだ。県内4カ所に銅像がある静岡ゆかりの戦国武将で天下人となった徳川家康とは対照的だ。 ■立派な武将アピール 小和田さんは「義元の銅像がないのは本当に残念で、悔しい思い