「機会の平等」の正当性について若干の考察。いま、少なくともマスコミのレベルでは「機会の平等」を疑う言説はまったく出てこない。私も機会の平等という原理がまったくの間違いだと考えているわけではないが、その問題点があまりに語られなさ過ぎる現状は、あまりに異常で危険であると思う。 (1)目標が共有できない 今の格差問題を解決するスローガンとして、「スタートラインを同じにする」という「機会の平等」原則が常套句として語られる。しかし、「スタートラインを同じにする」という言葉が意味をもつのは、スタートラインに立つ人々に同じ「ゴール」が共有されている限りである。今の日本社会では、これは不可能である。「そんなことはない、ゴールは人それぞれ多様であってもいい」という反論もあるかもしれない。しかし、そうだとしても「同じスタートラインに立つ」という意味が、一体何なのかがわからなくなる。そもそも、いわゆる「ひきこも