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「鮫河橋貧家の夕(明治36年10月)」(風俗画報臨時増刊「新撰東京名所図絵・四谷区乃部(上)」 明治36年東陽堂刊より転載、原図は色塗り) 四谷の南側の低地に、かつてスラム(貧民窟)があった。明治のはじめから、昭和の初期あたりまでのことである。富国強兵を目指して発展する帝都の中心部に、貧民が寄り集まって最底辺の暮らしを送っていた。今ではまったく面影がなく、その過去は忌まわしいものとして語り継がれていない。地名の鮫河橋は、忘れられようとしている。 四谷駅から赤坂に向かう外堀通り。迎賓館の前は広大なオープンスペースになっていて、広々とした景観が広がる。正面に迎賓館、左手は空になった外堀を隔てて、ホテルニューオータニや赤坂プリンスホテル、さらに遠くには赤坂から溜池にかけての新しいビル群が望まれる。迎賓館の右手を行くと、学習院初等科の敷地にそって急に降る坂がある。左手は迎賓館、その先が東宮御所。
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