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社会学と宗教に関するjrfのブックマーク (7)

  • 読書は反社会的行為である

    を読むと、知識が増える、アタマが良くなる、カネが儲かる、廊下を走らなくなる、などと言う人があまりに多い。 読書家とはを読むことを恥ずかしいと思っていない者、と書いたことがあるが、もちろん事実とは違う。 を読むのが好きな人は、自分が「良いこと」をしてるとは思っていない。 むしろ「うしろぐらいこと」をしていると思っている。 を読むのが好きでない人は、読書が「良いこと」だと思っている。 これでは永久にを読む楽しさを知ることはないだろう。 そればかりか、読書を「良いこと」だとすすめて、周囲の人間まで嫌いにしてしまうだろう。 寺山修司は、暗いところで何か読んでいると「目が悪くなるからやめなさい」と叱られる、「当の理由」を看破している。 問題は、視力低下でも、照明の暗さでもない。 ヨーロッパ中世では、黙読していると「あいつは今、悪魔と喋ってやがる」と後ろ指を指されることがあった。 それと

    読書は反社会的行為である
    jrf
    jrf 2015/04/15
    聖書もコーランも読めなくなる。口伝も同じなら仏教もダメ。労組も反社会的だろう。だが、そうかもしれない。読書は、省エネ指向でも手離さなかった私にとって極限的に最後の社会性、社会との紐帯。許して欲しい。
  • 易双六(ようすこう) - タロットカードを使った一人遊び [ JRF の私見:雑記 ]

    jrf
    jrf 2011/11/16
    タロットで易をしようとすると、同じカードは出ないので卦に偏りが出る。それを少し修正するために (8)力 と (11)正義 の入れ換えに少し複雑なルールを適用する方法について、コメントした。擲銭法でもいいんだけどね。
  • 易双六 Youscout ~ Tarot Solitaire

    A sort of solitaire games playing with tarot cards, inspired by arguments about Yi-Ching divination.

    jrf
    jrf 2011/11/09
    JavaScript の Canvas を使った自作カードゲーム。IE >= 9 は仕様。動くようになったのでとりあえず公開した。αバージョンというべき出来だが、要望がなければ特に更新はしないつもり。(→のスター後、Cookieのバグは取れた。)
  • ちょっと構造機能的に考えてみると - finalventの日記

    以前にも書いたが、民族意識というのは、子孫のなかに自己の永世を見るという、いわば輪廻思想の変形みたいなものだが、それが民族として国家に集約されれば、永世を見たいと願う死者たちは民族の国に招魂されてしまうというのは、そう考えてみると、ごく普通の論理ではあるな(ちなみに私自身はこうした宗教観は持っていない、というか、一種のモデルとしてそう述べているだけ)。 こうしてみると、マックス・ウェーバーが方法論的に宗教社会学において来世意識のモデルを置いたというのは、やはり賢いモデルの立て方というのはある。ただ、ウェーバーにとって民族というのはそれほど相対化されていなかったようには見えるが。 このモデルと一神教については、ユダヤ教のようにもっと直接的に子孫の繁栄と約束された土地(国家)という幻想における、時間的な証人のような意味が強いのだろう。その意味で、日の「万世一系」とやらの天皇もその点からは似た

    ちょっと構造機能的に考えてみると - finalventの日記
    jrf
    jrf 2009/05/05
    同日に関連エントリーあり。>民族意識(は…)輪廻思想の変形(。…)言霊信仰(は…)天皇=(私心無きこと)=言霊(。一神教の「名において(私が)言う」のと違う。…bodyでない)骨信仰(は…)来世においては身体を否定<。
  • 未成年への輸血はどうすべき?〜エホバの証人 - NATROMのブログ

    十分に情報を提供された成人が輸血を拒否するのはかまわないと思う。自己責任だ。では、未成年者だったらどうなのか?輸血をしないと生命の危険があるが親権者が輸血を拒否している場合、医療者は輸血をすべきか否か。実は事例がある。 ■自己決定権の限界〜エホバの証人輸血拒否事件をめぐって〜*1 (1)川崎事件 昭和60年6月6日、神奈川県川崎市において、交通事故で負傷した当時10才の少年が救急病院に搬送されたものの、両親がエホバの証人の熱心な信者であったため、救急病院の医師に対して少年の輸血を断固拒否、医師は両親を説得するとともに輸血をせずに処置を続けたら、大量出血からくるショックのため、少年は事故から約5時間後に死亡した。 件においては、医師が最終手段として意識のあった少年に対して「生きたいだろう。お父さんに輸血してもらうようお父さんに言いなさい。」と呼びかけ、少年は「死にたくない、生きたい。」と答

    未成年への輸血はどうすべき?〜エホバの証人 - NATROMのブログ
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    jrf 2008/03/01
    死の選択を公けに認めていくことへの一歩(第一歩ではないだろうが)でもあるのだろう。おかしな空気がうまれる…いや、それは「下々」ではいつものことだ。…とにかく。私はどういう選択をするのだろう。
  • Amazon.co.jp: 子どもと死について (中公文庫): エリザベスキューブラー・ロス (著), K¨ubler‐Ross,Elisabeth (原名), 晶,鈴木 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 子どもと死について (中公文庫): エリザベスキューブラー・ロス (著), K¨ubler‐Ross,Elisabeth (原名), 晶,鈴木 (翻訳): 本
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    jrf 2008/01/15
    『新 死ぬ瞬間』(On Children and Death)の新しい訳。『死ぬ瞬間の子供たち』(Living with Death and Dying, 川口正吉 訳)とは別物のよう。レトリックがすごい、のだろう。違和感はあるが、得る(と思える)ところが多い。
  • JRF の私見:宗教と動機付け

    下[くだ]っていく道すじ。別に上にいたわけでもない。でも、下っていく。ずいぶん力が落ちた。あのころアレでも力があったほうなんだなぁ。……と、振り返りつつ、別にそれはいい、私はそれでいいとした。振り返って詳しく見ることまでは億劫だからしない。地道に。元から下にいたんだとしても、「地道さを」と思い……夜道を歩いたことがあった。 ふと何かを思い出し、「私が悪い」とつぶやくのが私の口ぐせで (参: [cocolog:81686700])、その「無意識」に「何とかしないと……。」を続けて気付きを得ようとすることがよくある。最近、それを「悪い」んじゃなくて「ダメ」なんだなとそもそもの部分で気付いて、「私はダメだ」と言うようにしてみた。今は、そんな諦めと自責のはざまを「無意識」のレベルでせめぎ合ってつぶやきが出てくる。 「神が人を義[ただ]しいとするのはどういうことか。」「全知全能の神がいるならなぜ悪が

    jrf
    jrf 2006/03/31
    宗教や哲学を動機付けという観点から興味を持って調べています。
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