わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
あなたの善意の転載で自殺予告の子供を救って下さい!! 転載で命を救えると思っている頭がおめでたいOYAJIさん、 著作権は放棄しますので、あなたの善意でこの記事を転載して広めてください!! 「助けてくれなんて頼んだ覚えはない!」 「産んでくれなんて頼んだ覚えはない!」 こんなセリフを言ったことがある悪い子は、きっと他にもいるだろうと思います。 わたしもかつて、母に向かってこのセリフを吐き捨てて家を飛び出したことがあります。 その頃世間では、積み木を崩したり、ラグビーボールを持って走り出したりする少年少女のほうが騒がれていました。 いつか、わたしも息子にこのセリフを言われる日がくるかもしれません。 わが子が死にたいと言ったら、どうすればいいのか。 死にたいという人を助けることは、自殺を止めさせることなのか。 それとも、死んで楽になるなら死なせてあげたほうがいいのか。 何が正しいかなんて誰が判
デヴィッド・ロッジの『交換教授』という作品の中に、「屈辱」という名のゲームが登場します。 ルールは簡単。 ゲームの参加者は、「とても有名で大勢のひとが読んでいるけれど、実は自分はまだ読んでいない作品」の名前を、順番にあげていきます。 他の参加者が一人その小説を読んでいればポイント1。二人ならばポイント2。本を読んだことのある人間の人数分、ポイントが加算されていきます。 「オルコット。『若草物語』」 「え、お前あれ読んでないの? おれは読んだよ。1ポイントだな」 「あたしも読んだ……これで2ポイントか」 とか 「『暗夜行路』は?」 「おれは読んでない」 「読んでないなー」 「あら、誰も読んでないね。チョイスがちょっと渋かったかな。ポイントゼロ。」 とか、そんなふうな会話を交わしながらゲームは進んでいくわけです。 そしてゲームが終わったとき、勝者は 「誰もが読んでいるような本をその場で最も読ん
>でも、僕や彼が抱く「孤独」と、「非モテ」と名乗る人たちの「孤独」に一体どれだけの差異があると言うのだろう。いくら他者を所有できても、それは「承認」されたことにはならないし「他者との距離」が近づいたことにはならない。「恋愛」なんてその程度のもの。誰かに受け入れられても、それは「他者との絶対的な距離」を再確認するだけの話なのだけれど。あの娘の笑顔は、僕からは遠く遠く離れた場所にあるというのに。 ブクマで誰かが言及してた事だけど、これ、本気で言ってるんですか?”「恋愛」なんてその程度のもの”?…お前、ふざけてんじゃねえぞ!あんたの言う『その程度のもの』を、童貞の俺がどんなに必死で求めたのか、あんたにはわかるのか?髪型変えて、服もお洒落にして、飯食う所見つけて、無理してクラブ言って、非モテ界隈の努力厨が口すっぱくして言う脱オタの全部をやって、デート自体もそれを面白がったダチにオチられて笑い話の種
正義の名のもとに行われる集団圧力は、不正義なものになりがち。 それは、なぜだろう? 正しいことが正義、善。 間違っている相手が悪。 多勢(みんな)の中に居る安心感。 正義に関与している自分が好き。 みんなで悪をやっつけようぜ! 【善と悪】 善と悪について 善とは、相手を生かすこと、相手を認めること。 悪とは、相手を殺すこと、相手を否定すること。 正義の名のもとに行われる集団圧力によって、相手は抹殺される。 相手を全否定する行為は、悪である。 ここで、正義が悪に変わる。 正義は相対的なものだということが分からないから、正義は暴走し、悪に変わる。 正義は、簡単に悪に変化する怖いもの。 私はこういう人たちの根拠希薄な正義とか、一つうえのコメントと全く同じ内容の文章を恥ずかしげもなく堂々と書ける神経や、批判対象の本質を自分の目でみなくてだれかのフィルターを通して見たものを信じてしまう単純さや、自分
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