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  • 網引地蔵尊&矢拾地蔵尊(浄光明寺) - お地蔵さんブログ

    鎌倉二十四地蔵霊場 第十六番、第十七番のお地蔵さんが安置されている浄光明寺に足を運びました。 お寺の基情報とともに紹介していきたいと思います。 【目次】 浄光明寺の基情報 寺号標 山門 客殿 不動堂 鐘楼 楊貴妃観音 浄光明寺のお地蔵さん 網引地蔵 矢拾地蔵 浄光明寺へのアクセス 浄光明寺の基情報 浄光明寺は真言宗泉涌寺派のお寺で山号は泉谷山。 尊は阿弥陀三尊。 1251(建長3)年、真阿を開山、第6代執権北条長時を開基として創建されました。 鎌倉三十三観音霊場 第25番でもあります。 寺号標 山門 市指定文化財 客殿 中には愛染明王などが祀られています(非公開) 不動堂 延享二年 (1745) の頃の建立 天明三年(1783)再建 中に安置されている不動明王は除夜の鐘の時のみ公開 鐘楼 昭和61年(1986)建立 楊貴妃観音 平成16年(2004)建立 京都(東山区) 泉涌寺の楊

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    k10no3 2024/07/13
  • 子育経読地蔵大菩薩(宝戒寺) - お地蔵さんブログ

    鎌倉二十四地蔵巡りの為、週末に鎌倉へ行ってきました。 最初に訪れたのは、子育経読地蔵大菩薩が安置されている宝戒寺。 お寺の基情報と共に紹介していきましょう。 宝戒寺の基情報 宝戒寺は天台宗のお寺で、山号は金龍山、院号は釈満院。 1333年の北条氏滅亡後その霊を弔うため、後醍醐(ごだいご)天皇の命をうけた足利尊氏公によって建立。 尊は子育経読地蔵大菩薩。 鎌倉三十三観音第二番、鎌倉・江ノ島七福神の毘沙門天がいることのほか、秋のお彼岸になると境内中が白萩に埋め尽くされ、萩寺という名でも親しまれています。 寺号標 参道 梵鐘 聖徳太子堂 聖徳太子様がお祀りされています。 毎年1月22日に聖德太子講が厳修(ごんしゅう)されるとのこと。 堂には尊の子育経読地蔵大菩薩(脇侍には梵天と帝釈天)などが安置されていました。 残念ながら写真撮影は禁止されていました。 宝戒寺のお地蔵さん 子育経

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    k10no3 2024/07/06
  • 赤地蔵(愛知県西尾市) - お地蔵さんブログ

    赤地蔵と冠するお地蔵さんには、これまで二度目にしたことがあります。 一度目はアジサイの名所として著名な鎌倉の明月院(堂裏庭園) 二度目は長野市の善光寺の近くにある裁松院。 前者(明月院)が身に纏っている帽子や涎掛けが赤色であることと対照的に後者(裁松院)は全身が赤く、とても印象に残っています。 今回紹介する愛知県西尾市の赤地蔵も全身が真っ赤に染まったお地蔵さんです。 管理人未訪のお地蔵さんですが、紹介していこうと思います。 赤地蔵とは 西尾市巨海町(こみちょう)には、真っ赤に染まった三体の地蔵尊が安置されています。 (画像を紹介できないのが残念ですが)向かって一番右の延命赤地蔵尊は、延享元年(1744)に祀られたもので、おねしょにご利益があると言われています。 中央の地蔵尊は不明ですが、一番左の坐像は安永四年(1755)に祀られたものと、それぞれ年代が異なっています。 ベンガラ(赤酸化鉄

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    k10no3 2024/06/29
  • 長命地蔵尊(東北沢) - お地蔵さんブログ

    下北沢から東北沢に向かって茶沢通りを歩いているときに見つけたお地蔵さんです。 地蔵祠に大中小様々な大きさのお地蔵さんが安置されていました。 長命地蔵尊と名付けられているようですが、その名前の由来など詳しいことは調べても分かりませんでした。 長命地蔵尊へのアクセス 東京都世田谷区北沢3-5-14 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

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    k10no3 2024/06/22
  • どこも苦地蔵尊(瑞泉寺) - お地蔵さんブログ

    引き続き鎌倉二十四地蔵巡りの続きです。 今回はどこも苦地蔵尊というお地蔵さんが安置されている瑞泉寺を紹介しましょう。 瑞泉寺の基情報 瑞泉寺は臨済宗円覚寺派のお寺で、山号は錦屏山(きんぺいざん) 嘉暦2年(1327年)に夢窓国師(夢窓疎石)によって創建されました。 尊は釈迦如来。 瑞泉寺境内を含む周辺地域は国の史跡瑞泉寺境内、また古都保存法による歴史的風土特別保存地区に指定されています。 ​また境内に安置されている千手観世音菩薩は、鎌倉三十三観音第6番になっています。 寺号標 山門 堂 錦屏晩鐘 庭園 夢窓疎石が岩盤を削って築いたといわれる岩の庭園は、禅の思想と庭が融合したもので、国の名勝に指定されています。 どこも苦地蔵 瑞泉寺の地蔵堂に安置されている地蔵菩薩立像は通称「どこも苦地蔵」と呼ばれています。 どうしてそのような名前で呼ばれているのでしょうか? それは鎌倉・扇ガ谷の地蔵堂

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    k10no3 2024/06/13
  • 黒地蔵尊(覚園寺) - お地蔵さんブログ

    鎌倉の覚園寺には黒地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんが安置されています。 赤地蔵尊など色を冠したお地蔵さんは存在しますが、黒地蔵尊と名乗るお地蔵さんは初めてです。 その由来をお寺の基情報と共に紹介していきましょう。 覚園寺の基情報 覚園寺は1218(建保6)年、第2代執権北条義時が​十二神将の戌神将のお告げを受けて建立した大倉薬師堂を前身とするお寺です。 1296(永仁4)年、第9代執権北条貞時が元寇を退けることを祈って寺に改め、​心慧上人を開山として覚園寺を創建。 現在は真言宗ですが、当初は真言・天台・禅・浄土の四宗兼学の寺でした。 尊は薬師如来坐像。 山門 愛染堂 廃寺となった大楽寺の堂を移築したもの。 愛染明王が安置されているお堂です。 ※拝観受付所より先は写真撮影が禁止されていました。 黒地蔵尊 その名の通り黒色の地蔵尊です。 何故黒色なのかというと、地獄で火を焚いた煤が体に付いた

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    k10no3 2024/06/06
  • 岩上地蔵尊(来迎寺) - お地蔵さんブログ

    鎌倉二十四ヵ所地蔵めぐり 今回は来迎寺に安置されている、第二番の岩上地蔵尊に会いに行きました。 お寺の基情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 来迎寺の基情報 岩上地蔵尊 来迎寺へのアクセス 来迎寺の基情報 来迎寺は時宗のお寺で、山号は満光山。 1293年(永仁元年)一向上人によって創建。 尊は阿弥陀如来。 客仏の岩上地蔵菩薩、如意輪観世音菩薩、跋陀婆羅尊者の三体は、源頼朝公の持仏堂の後身。 法華堂(現在の源頼朝公の墓所付近)あったが、明治の神仏分離により法華堂が神社となったため、当寺に移されました。 拝観は予約制となっています。 拝観日については、公式サイトのお知らせを確認しましょう。 岩上地蔵尊 かつては臨済宗報恩寺 (現鎌倉市立第二中学校校地) の尊でした。 造像上の特徴としては、 『法衣垂下』 が挙げられます。 法衣垂下とは、14~15世紀の東国、特に禅宗の仏像に大流

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    k10no3 2024/06/03
  • 鼻の地蔵さん(地蔵鼻) - お地蔵さんブログ

    広島県尾道市因島の南部にある小さな岬に通称「鼻の地蔵さん」と呼ばれるお地蔵さんがいらっしゃいます。 潮が引くときに現れ、子授け・安産・恋愛成就など女性の願いにご利益のあるお地蔵さんです。 管理人未訪ではありますが、紹介していきたいと思います。 ※記事内の画像は、無料写真素材「おのみちや」と「尾道まちかど広報室」様から引用させていただきました。画像使用許可を頂きました管理人様には大変感謝申し上げます。 【目次】 鼻の地蔵さんとは ご利益 鼻の地蔵さんへのアクセス 鼻の地蔵さんとは 慶長4年、因島村上水軍の金山亦兵衛泰時は、捕らえた娘の美しさに惹かれ側女にしようとしましたが、応じなかったため殺害しました。 それから毎晩娘の亡霊に悩まされた泰時は、娘を供養するため渚の岩に地蔵尊を彫って手厚く葬りました。 その話を聞いた周防の若者がその娘の後を追い、この海に身を投げました。 その様子を見た地蔵はポ

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    k10no3 2024/05/04
  • 開山堂(両大師)のお地蔵さん - お地蔵さんブログ

    東京国立博物館に行く途中、隣に未訪のお寺(開山堂・両大師)を見つけました。 寛永寺は訪問済ですが、その開山堂にはまだ行ったことがありませんでした。 基情報と共に紹介していきましょう。 【目次】 開山堂(両大師)の基情報 山門 手水舎 堂 阿弥陀堂 開山堂(両大師)のお地蔵さん 地蔵堂のお地蔵さん 阿弥陀堂のお地蔵さん 開山堂(両大師)へのアクセス 開山堂(両大師)の基情報 開山堂(両大師)は天台宗のお寺で、山号は東叡山、寺号は輪王寺。 明治二年寺号は廃止されたが、明治十六年に復活するとともに門跡の公称が許可されました。 門跡とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院を指します。 ちなみにその名前(両大師)の由来は、天海大僧正(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)の両者を祀っていることに由来します。 創建は正保元年(1644)で当初は、前年に亡くなられた天海大僧正のみを祀る開山堂でし

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    k10no3 2024/04/27
  • 嘗試地蔵(味見地蔵) - お地蔵さんブログ

    高野山奥の院には、嘗試地蔵(味見地蔵)という珍しい名前のお地蔵さんが安置されています。 管理人未訪の地ではありますが、基情報と共に紹介していきたいと思います。 【目次】 高野山奥の院とは 嘗試地蔵(味見地蔵) 高野山奥の院へのアクセス 高野山奥の院とは 高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。 正式には一の橋から参拝します。 一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。 引用:高野山真言宗総山金剛峯寺公式サイト 嘗試地蔵(味見地蔵) とても珍しい名前のお地蔵さんです。 その名前の由来を調べてみました。 その前に高野山では空海が今もなお御廟(永遠の瞑想に入った場所)に生き、世界平和と人々の幸福を願い瞑想を続けていると信じられている(弘法大師信仰)ことを知

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    k10no3 2024/04/06
  • 種子地蔵(大正大学) - お地蔵さんブログ

    偶然にも駒澤大学を訪れた帰りに立ち寄った大正大学でも、お地蔵さんに出会うことができました。 仏教系の大学には意外とお地蔵さんが設置されているのかもしれません。 【目次】 種子地蔵 すがも鴨台観音堂(おうだいかんのんどう) 種子地蔵へのアクセス 種子地蔵 大正大学ではここに「種子地蔵」 を建立し、令和4年5月に開眼式を行いました。 地蔵菩薩は釈尊滅後の悪世にあって、六道の衆生を救済する慈悲深い菩薩として信仰されています。 普通の像と異なり、種子地蔵は植木鉢を抱えていますが、それはすぐ前を通る 旧中山道が 「種子屋通り」と呼ばれていたことに因みます。 植木鉢はこの種子屋 通りの歴史を顕彰するとともに、地域の安泰と発展そして豊作を祈願する地蔵尊のお心を表しています。 また 種」は一粒まけばその一万倍もの粒となることから、一粒万倍といわれ、新事業に挑むには良い縁があるとされます。 この種子屋通りを

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    k10no3 2024/03/30
  • 駒澤大学の石んこ地蔵 - お地蔵さんブログ

    石神彫刻工房さんが作っている「石んこ地蔵」は様々なところで目にすることができます(鎌倉にある長谷寺のお地蔵さんが有名ですよね) 今回は駒澤大学駒沢キャンパスの構内にある「石んこ地蔵」に会ってきました。 石んこ地蔵微笑み 石んこ地蔵微笑みは、禅研究館前ソメイヨシノの根元に立っていました。 全長は45㎝とのこと。 石んこ地蔵3人日だまり 石んこ地蔵3人日だまりは記念講堂脇(8号館側)ジャノヒゲの植え込みの中に立っていました。 こちらも全長は45㎝。 どちらのお地蔵さんも、大山永平寺・大山總持寺から寄贈されたとのこと。 駒澤大学駒沢キャンパスへのアクセス 東京都世田谷区駒沢1-23-1 この記事が面白いと思ったらクリックお願いします。 ↓ ↓ ↓ ↓ にほんブログ村

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    k10no3 2024/03/16
  • 地蔵菩薩坐像(福智院) - お地蔵さんブログ

    奈良県奈良市にある福智院の尊、地蔵菩薩坐像は光背の小さな化仏がある大変珍しいお地蔵さんです。 管理人未訪のお寺ですが、紹介していきたいと思います。 【目次】 福智院の基情報 福智院のお地蔵さん 尊の地蔵菩薩坐像 勝軍地蔵尊 福智院へのアクセス 福智院の基情報 福智院は真言律宗のお寺で、山号は清冷山。 天平8年(736年)に玄昉によって創建。 建長6年(1254年)に興福寺大乗院の実信により再興。 尊は地蔵菩薩。 大和北部八十八ヶ所霊場第7番、大和地蔵十福霊場第4番でもあります。 福智院のお地蔵さん 尊の地蔵菩薩坐像 管理人未訪のお寺なので、画像を掲載することができないのですが(ググると色々出てきます)光背や台座を含めると6.6mもある大きなお地蔵さんで地蔵大仏と呼ばれることもあるそうです。 当ブログの記事「日一のお地蔵さん」に加えても良い大きさですね。 建仁3年(1203年)

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    k10no3 2024/03/09
  • 見返り地蔵(五劫院) - お地蔵さんブログ

    奈良市にある五劫院というお寺には、背後を振り返るような姿をしている珍しいお地蔵さんが安置されています。 なぜそのようなポーズを取っているのでしょうか? 管理人未訪のお寺ですが、基情報と共に紹介していきたいと思います。 【目次】 五劫院の基情報 見返り地蔵とは 五劫院へのアクセス 五劫院の基情報 五劫院は奈良県奈良市にある華厳宗のお寺で、山号は思惟山。 寺号の五劫院の「劫」は時間の単位を表わしており、大きな石に天女が三年に一度舞い降りて、天衣で石をなでることを繰り返し、石が擦り切れて無くなるまでの時間が一劫。 尊の五劫思推阿弥陀如来坐像は、五劫という長い時間思推されていたため、螺髪が長く伸びています。 通常秘仏となっていますが、毎年8月初めに御開帳されます。 見返り地蔵とは 永正13年(1516年)作、舟形光背に厚肉彫りされた地蔵菩薩立像で、総高約200cm、幅約90cm、像高約15

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    k10no3 2024/01/27
  • はだか地蔵尊(伝香寺) - お地蔵さんブログ

    管理人未訪のお寺ですが、奈良県にある伝香寺には「はだか地蔵尊」というお地蔵さんが安置されており、毎年7月22日には衣の着せ替えが行われるとのこと。 大変珍しい行事ですので、お寺の基情報とともに紹介していきたいと思います。 【目次】 伝香寺の基情報 はだか地蔵尊とは 伝香寺へのアクセス 伝香寺の基情報 伝香寺は奈良県にある律宗のお寺で、鑑真和上の弟子である思託(したく)律師により宝亀2年(771年)に開創(当初の寺号は実円寺)。 天正13年(1585年)寺号を実円寺と改める。 尊は釈迦如来。 奈良三名椿の一つ「散り椿」があることでも知られています。 大和北部八十八ヶ所霊場第10番、大和地蔵十福霊場第1番にもなっています。 はだか地蔵尊とは 妙法尼が母の菩提をとむらうため1228年に造立した地蔵菩薩立像。 像高97.3cm。 画像はありませんが、鮮やかな法衣をまとっています。 年に一度

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    k10no3 2023/10/21
  • 宝永四年六地蔵(黄金の水) - お地蔵さんブログ

    【目次】 宝永四年六地蔵とは 黄金の水とは 宝永四年六地蔵(黄金の水)へのアクセス 宝永四年六地蔵とは 高さ117センチ 宝永四年(1707)造立の六地蔵は、笠付きの六角柱の各面に一体ずつ半肉彫りにされており、それぞれ印相や持ち物に違いがあります。 どのような目的で建てられたのかは不明ですが、塔身には、「奉建立六地蔵壹品念仏講中為二世安楽也 旹宝永四丁亥稔九月廿四日 武刕多麻郡小金井村念佛同行四拾六人」という銘が刻まれています。 黄金の水とは 宝永四年六地蔵の近くにある無料の井戸。 「水と緑のまち」がキャッチフレーズの小金井市で、水か緑で何かできないかと商店街の人が話し合い、六地蔵の敷地に井戸を掘ることに決めました。 近くの文具店(菊屋文具店)で蛇口(500円)を購入すれば、自由に汲むことが可能。 目立たぬ立地ではありますが、水を汲む人が次々と訪れてきます。 利用時間:8時00分~20時0

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    k10no3 2023/09/02
  • 蛸地蔵(天性寺) - お地蔵さんブログ

    大阪府岸和田市にある天性寺には、蛸地蔵という名前の珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。 管理人未訪のお寺ですが、実に珍しいので紹介したいと思います。 【目次】 天性寺の基情報 蛸地蔵 天性寺へのアクセス 天性寺の基情報 天性寺は浄土宗のお寺で、山号は護持山、院号は朝光院。 創建は元亀元年(1570年)と伝わっているが定かではない(火災で記録が焼失したため) 尊は阿弥陀如来と地蔵菩薩。 和泉円光大師二十五霊場第3番にもなっています。 蛸地蔵 天性寺の尊である地蔵菩薩は蛸地蔵と呼ばれています。 その謂れはこのようなお話があるからです。 天正年間(1573~86)、紀州根来の武士に攻められ、落城寸前だった岸和田城。 そこに現れた蛸に乗った法師。 次々に敵兵をなぎ倒すも、形勢は逆転。 武士が盛り返して法師が取り囲まれたところ、どこからともなく数万もの蛸の大群が現れ、武士を退却させました。

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    k10no3 2023/08/26
  • しあわせ地蔵(武蔵小金井) - お地蔵さんブログ

    武蔵小金井駅南口近くに「しあわせ地蔵」というリュックサックを背負ったユニークなお地蔵さんを見つけました。 いったいどのような目的で建てられたのでしょうか? 【目次】 しあわせ地蔵とは しあわせ地蔵、実は六地蔵の一体 しあわせ地蔵へのアクセス しあわせ地蔵とは しあわせ地蔵が立っている石には「三百六十五歩のマーチ」の一節が書かれています。 これは作詞をした星野哲郎さんが小金井在住だったからという理由と、しあわせ地蔵がウォーキングのまち小金井をPRする目的で建てられたという2つの理由からです。 確かにウォーキングに「三百六十五歩のマーチ」はぴったり。 「三百六十五歩のマーチ」を歌った水前寺清子さんは日ウォーキング協会の理事を務めているとのことです。 しあわせ地蔵も左足を上げ、歩いているような姿です。 ランドセルを背負ったお地蔵さんを見たことがありますが、リュックサックを背負ったお地蔵さんもい

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    k10no3 2023/08/19
  • 子授け地蔵尊(宗泰院) - お地蔵さんブログ

    杉並区高円寺にある宗泰院には、乳房を嬰児にふくませている子授け地蔵尊という大変珍しいお地蔵さんがいらっしゃいます。 お地蔵さんの性別は?という疑問を頂くことがありますが、この子授け地蔵尊に関しては紛れもなく性別は女性。 今回もお寺の基情報とともに紹介していきましょう。 【目次】 宗泰院の基情報 山門 開運弁財天堂 子授け地蔵尊 宗泰院へのアクセス 宗泰院の基情報 宗泰院は曹洞宗のお寺で、山号は永昌山。 天正12年(1584)嘯山春虎和尚によって麹町表四番町(現千代田区四番町)に開創。 文禄2年(1593)格峰泰逸和尚によって開山。 元和2年(1616)市ヶ谷左内坂に移転。 明治42年(1909)現在の地に移転。 尊は釈迦牟尼仏。 山門 開運弁財天堂 子授け地蔵尊 一木造、荒彫、円頂、彫眼 台座付き、高さ27.1cm 胸前を開き、両手をもって赤子を横抱きにし、右乳を含ませ、右肩には別

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    k10no3 2023/08/05
  • 地蔵信仰最重要人物!?小野篁とは何者か? - お地蔵さんブログ

    小野篁は、平安時代の貴族であり、歌人、学者、陰陽師として知られています。 また当ブログでも何度となく、名前が登場している地蔵信仰に深く関わった人物でもあります。 この記事では小野篁という人物について掘り下げていきたいと思います。 【目次】 小野篁とは 小野篁とお地蔵さんとの関連 京六地蔵と小野篁 六臂地蔵尊を作成 冥界で地蔵に出会った小野篁 小野篁と関連の深い寺院 矢田寺 六道珍皇寺 京六地蔵 小野篁とは 小野 篁(おの の たかむら)は、平安時代初期の官僚。 学者・詩人・歌人としての顔も持つ。 遣唐使派遣の際、乗船を拒否。 そのことを綴った漢詩が嵯峨上皇の怒りにふれ、隠岐(おき)国へ流罪になった。 また昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという言い伝えもあります。 閻魔王とお地蔵さんは密接な関係があることから、当ブログでは幾度となくその名前が登場することになります。 小野篁とお地蔵

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    k10no3 2023/07/29