ブックマーク / showatoboku.hatenablog.com (24)

  • 似顔絵と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の小学生の頃の小さな自慢をひとつ。 僕の町は田舎だったので、新聞は隣町の新聞屋さんが郵便局に頼み郵便配達員が配達してくれていた。地方紙の新聞でいつも昼過ぎに届いた。 日曜日の新聞には少年少女日曜版があった。少年少女が描いた絵画や書道、マンガなどが毎週選ばれて掲載された。 当時、チャールズ・ブロンソンは映画やコマーシャルで大人気だった。僕はハガキでチャールズ・ブロンソンの似顔絵を描いて応募した。似顔絵の作品は必ず「黒」で書いてくださいとの注意書きがあった。僕の家にはペンも黒インクもなかった。あるのは墨と筆だった。僕はカレンダーや包装紙の裏に筆で何度も練習したが上手くいかなかった。そこで僕は割り箸を削りペンの代わりにした。割り箸に墨を付けて描いた似顔絵は選ばれ少年少女日曜版に掲載された。僕は嬉しくて家族はもとより学校で先生や皆なに見せた。 掲載された記念品は新聞社のロゴが入ったボールペンだっ

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    k10no3 2024/05/18
  • 母さんと僕 - 昭和の時代と僕+

    我が町のどこの農家もそうだが、農閑期になると男達は出稼ぎに行った。父さんは山の飯場に泊まり込み木の伐採の仕事をしていた。母さんは隣町の製材所に手伝いに行っていた。僕の町は田舎でA市やF市から遠かったので買い物にはなかなか行けなかった。当然、僕たち子どもはお菓子をべる機会が少なかった。 そこで母さんは仕事が休みになるとたまにお菓子を作ってくれた。母さんが作るお菓子はかりんとうと羊羹で蒸しパンも作ってくれた。かりんとうは生地をのばし丁度良い大きさに切り、油で揚げて黒砂糖と水あめで作ったタレで絡めて乾燥させて完成だった。僕は完成品を待っていられず揚げたての生かりんとうを母さんに怒られながらもべた。母さんはタレ付きのかりんとうをべてもらいたかったのだと思う。揚げたての生かりんとうはそれはそれで美味しかった。羊羹は自家栽培の小豆から煮て餡を作り容器に流し入れ固めるのだが、寒天が足りなかったのか

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    k10no3 2024/05/13
  • 幼稚園と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕は小学校に入学する前の1年間、幼稚園に通った。両親が引っ込み思案の僕に心配したのか。ただ単に農作業が忙しかったのかわからないが、町の唯一の幼稚園というかお寺に通った。 午前中のみでお寺には15~16人の子どもが通っていたと思う。小学1年で習うひらがなの読み書きぐらいはしていたと思うがまったく記憶にない。 僕は砂場でブリキのオモチャで遊ぶのが好きだった。特に温かみのある丸くふっくらとした金魚が好きだった。船や乗り物、バケツやジョウロなどの砂場で遊ぶブリキのオモチャが沢山あったが僕は何故か金魚が好きだった。いつも時間が経つのを忘れ砂場で金魚で遊んでいた。 そんな僕でも幼稚園で一番好きだったことは10時のおやつに大きめにキャラメル2個が貰えることだった。初めてべた時はこんな美味しいものがあるかと思ったほどだ。 僕はキャラメル2個貰えるだけの楽しみに、毎日中学生の兄ちゃんの自転車に乗ってお寺に

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    k10no3 2024/04/05
  • 鶏小屋と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の家には小さいながらも鶏小屋があった。鶏は十羽くらいおり毎日新鮮な卵を産んでいた。産卵する場所は決まっておりリンゴ箱の中に毎日5~6個産んでいた。僕はいつも夕方に卵を取りに行くことになっていた。リンゴ箱には鶏が入る穴が開いており手を入れて卵を取ったが、たまに鶏が大事に卵を温めている時は手を入れると突かれることがあった。 ある時、兄ちゃんが卵を取りに行った。「鶏小屋が何やら殺気立っていることに気がついたが、いつものようにリンゴ箱に手を入れると冷たいヌルっとした感触があり、慌ててリンゴ箱を持ち上げた。鶏ではなく蛇が卵を飲み込んでとぐろを巻いていた。」と家に青い顔をして駆け込んで来た。兄ちゃんは巳年生まれなので干支の蛇が好きそうだがそうではないらしい。 僕が見に行くと蛇が卵を飲み込んで腹のあたりが膨らんでいた。どこからどこが腹かはわからないがたぶんそうだと思った。そのうち蛇はするすると鶏小屋か

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    k10no3 2024/03/08
  • 越冬野菜と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の町は北国なので、冬の寒さが厳しく、雪が多かった。冬の間、農作業ができないので雪が降りはじめる秋に土の中に野菜を埋めて保存した。今は「雪下野菜」「雪中野菜」ともいわれるが僕の子どもの頃は周りにスーパーなどはなく北国地方の知恵としてどの農家も保存していた。 僕は母と一緒に越冬する野菜「大根、人参、じゃがいも、キャベツ、白菜、ごぼう」を藁で囲い土を盛って冬に備えた。 野菜が足りない頃に母親から野菜を取って来るように言われた。雪の多い年は一面真っ白で雪の凹凸が少なく、はたしてどこに埋めたかはっきりしないことが多かった。目印を立てたらいいのにといつも思ったが囲う頃にはいつも忘れた。雪を掘り返してべた野菜は瑞々しく甘みが強く美味しかった。 でも時期が外れると独独の土の匂いが野菜に染み付いた。僕はべることが出来なかった。

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    k10no3 2024/02/19
  • おやつと僕2 - 昭和の時代と僕+

    僕の家は農家だったので農繁期になると農協にお菓子を注文した。2~3㎏入りの段ボールに入ったお菓子が玄関の上り口に積み上げてあった。僕は学校から一目散に家に帰った。段ボールのお菓子を見つけるのはいつも僕だった。定番は横綱や英字ビスケット・かりんとうだった。たまにハッカ入りのまつたけやきな粉ねじり、ミニドーナツ、マコロンを注文した。 まつたけやきな粉ねじりはじいちゃんやばあちゃんが好きだった。僕たち兄弟はミニドーナツ、マコロンが大好きで2~3日できれいに無くなった。いつも最後に残るのは定番のお菓子だった。横綱はその名の通り綱をイメージしたひねった揚げおかきだった。英字ビスケットは英語の勉強だと言ってアルファベット順に並べてべるのでABCがすぐになくなった。かりんとうは黒糖とうずまきの2種類があった。兄ちゃんは黒糖派で僕はうずまき派だった。姉ちゃんはどちらも好きだった。それもすぐに無くなった。

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    k10no3 2023/10/09
  • おやつと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が小学校から帰って来るとこのような秋は、お菓子ではなく竹笊に茹でたとうきびや鍋に蒸かしたかぼちゃとさつまいもがテーブルに置いてあった。馬にもべされるのかと思うぐらいこれでもかと毎日置いてあった。実際僕の家に農耕馬がいた。 さつまいもは我が家では作っていなかったので最初になくなった。いつも最後に残るのがかぼちゃだった。かぼちゃは栗のような甘い味だったが、畑で作っていたので僕はべ飽きてしまった。かぼちゃに限らずべ物を残すと世界にはべれない人もいるのに粗末にするなと親からは口癖のように言われた。かぼちゃをパイ・プリン・ケーキにするお洒落な習慣はなく、かぼちゃ団子が精精だった。 じいちゃんはこの時期になると寒いと言って薪ストーブを焚いていた。ストーブにかぼちゃの皮の方を直に置き、焦げるまで焼くと皮の近い部分がほっこりし更に美味しくなった。 僕はいつもこの時期なるとこのようなべ方が一番好

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    k10no3 2023/09/23
  • アイスキャンディーと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が中学生の夏、農作業の手伝いで一服休みになるとご褒美のおやつはアイスキャンディーだった。アイスキャンディーは10円だった。しかも農協で買うと1割引きで9円だった。100円でアイスキャンディーが11買えた。兄ちゃんがいるとバイクで農協に買いに行ったが、兄ちゃんがいないと僕が買いに行く当番だった。 農協は町の中心部にあり家から3~4kmの距離があった。愛車の5段変速の自転車で頑張っても片道10分くらい掛かった。農協の買い物袋は紙袋だった。夏の暑さの水滴で紙袋がベロベロになり破れて中のアイスキャンディーが落ちる可能性があった。10分はアイスキャンディーの限界だった。僕は自転車の荷台横に付いていた学生鞄用のカゴに入れ必死にペダルを漕いだ。 買い物当番は好きなアイスキャンディー2選ぶ権利があった。僕は一番好きなバナナアイスとダブルソーダを選んだ。でもアイスキャンディーはベロベロに溶けていた。で

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    k10no3 2023/09/10
  • 短靴と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の小さい頃の夏は黒の短が定番だった。短はゴム製で履きやすく脱ぎやすかった。ほとんどの男の子が履いていた。しかも安価で家計には助かっていた。 僕は走りながらを脱ぎ家に入った。玄関ではアチャコチャになりわやだった。じいちゃんにはいつも叱られていた。 短のまま川に入ったり、山に入ったりして遊んだ。当然家の手伝いにも履いていた。でも短には難点があった。素足で履くため蒸れて足が臭くなることだった。チョン子が油断した時に鼻に足を付けると体が通常の1.5倍くらいに伸び上がり飛んで逃げて行った。近くで干瓢をむいて新聞紙に干していたばあちゃんがバカだねぇとあきれ顔で見ていた。その後、さすがにチョン子も学習し僕に近づこうとはしなかった。 更に残念なことは、僕の足は綺麗に夏の刻印が刻まれていた。

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    k10no3 2023/09/02
  • 夏と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の小さい頃の夏………。 僕の普段の身なりは、ランニングシャツと短パンに素足で短だった。周りの男の子はほとんど同じような姿だった。僕はもちろん帽子を被る子はほとんどいなかった。よく日射病にならなかったものだと思う。その身なりで僕と周りの子は小川に入りカジカやドジョウなどの小魚を捕まえたり、山でクワガタやバッタなどの虫を捕まえたりした。小さい子に何かあると上の子は親にしこたま怒られるので下の子に目を光らせながら懸命に短い夏を遊んだ。もちろん、野菜の収穫や箱詰めなどの家の手伝いもした。お盆が過ぎると我が町も夏の終わりを告げる頃になった。風呂に入る僕の身体は上から下まで夏の証しがしっかり刻まれてヒリヒリして痛かった。周りの子も同じような姿をしていた。 僕たちは短い夏を思いっきり楽しんだ。

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    k10no3 2023/08/26
  • 炭火アイロンと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が小さい頃、炭火アイロンを現役でばあちゃんが使っていた。電気アイロンもあったがばあちゃんは専ら炭火アイロンを使っていた。ばあちゃんは刻み煙草が好きで煙草に点ける炭火が火鉢にいつもあった。その炭火を使ってアイロンを掛けていた。 アイロンの中に火鉢から火箸で挟んだ炭火を入れて、その熱で服のシワをのばしていた。アイロンには空気を取り入れる穴と煙突がついていた。 僕はアイロンが船みたいでアイロンを使わない時は船に見立てよく遊んでいた。

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    k10no3 2023/08/15
  • 盆踊りと僕 - 昭和の時代と僕+

    笛の音と手拍子揃えてシャシャンがシャンという唄がスピーカーを通して流れて来る。我が町の子ども盆踊りだった。学校のグランドに櫓を建て大人衆が太鼓を叩く。その周りを子ども達が輪になって踊った。夕方の6時からが子ども盆踊りで8時からは大人の仮装盆踊り大会だった。我が町の夏の一大イベントだった。野菜の箱詰めを早々に終え家族皆で出掛けた。仮装盆踊りには賞金が出るが、子ども盆踊りには花火セットやお菓子の詰合せが出た。僕は恥ずかしかったので少し踊って花火セットやお菓子の詰合せはしっかり貰った。 ある夏、大都会のS市の従弟の家に遊びに行った。S市では町内会単位で盆踊りをしていた。僕は驚きとともにヤッターと思った。花火セットやお菓子の詰合せを貰うために僕と従弟は盆踊りのはしごした。

    盆踊りと僕 - 昭和の時代と僕+
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    k10no3 2023/08/10
  • 箱菓子と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の親は両方とも10人きょうだいだった。だから僕の家にはお盆の時期になると沢山のお客さんが来た。そしてお供え物やお土産を持って来た。僕と姉ちゃんの狙いは仏壇の前にある箱菓子だった。 お客さんが帰った後、家族にバレない様に箱菓子の中身をいただいた。当時の箱菓子は紐で縛ってあるので上手に外すと元通りにすることができた。中のお菓子の数が不自然にならないようにお菓子を1個か2個いただいた。和菓子系の饅頭が多かったが、中にはモダンな洋菓子もあった。特にロシアケーキがあるとしめしめと思った。ケーキとは名ばかりで固いクッキーだったが、クッキーの中に入っているジャムとクッキーの相性が良く和菓子とはまた違った美味しさがあった。僕と姉ちゃんは2度いただくことができた。 僕と姉ちゃんはバレていないと思っていたが、母さんにはバレていた。毎年いただいていたので気がついたらしい。お土産のお菓子は僕と姉ちゃんは減らされ

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    k10no3 2023/08/05
  • 海浜学校と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の学校は夏休みの前に3泊4日の海浜学校があった。小学4年から中学3年が参加し民宿を借りきっての行事だった。海のない町で育つ僕にとっては楽しみの一つだった。水泳学習はもちろん宝探しゲームやスイカ割り、花火、キャンプファイヤーと僕らのために先生と父兄は頑張って企画準備していた。皆なでべる民宿の事も楽しみだった。海の町は我が町とかわらず小さいけれども活気があった。夕方の休み時間は近く店を覘きアイスキャンデーをべながらお土産を買うために散策した。 3日目の夜はキャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスだった。僕はウブでシャイな性格だったので、気になっている女子とのオクラホマミキサーはドキドキした。嬉しかったが身体の密着や手の掴み加減で相手に悟られないように注意しながら踊った。 海浜学校は夏の楽しい思い出だった。そして夏休みになった。

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    k10no3 2023/08/01
  • 手押し噴霧器と僕 - 昭和の時代と僕+

    我が町は田舎だったので、どの家も夏は窓や玄関は常にオープンだった。網戸は無く家の中はハエだらけだった。そこで活躍したのがフマキラーの手押し噴霧器だった。レバーを押してフマキラーの液を噴霧させハエを退治した。ばあちゃんが噴霧した液が間違ってみそ汁の鍋に入ってしまいフマキラー臭いと大騒ぎになったこともあった。 その他にハエの捕獲用としてはハエ取り紙がありどの家にもぶら下がっていた。でも、頭に何度もくっ付きハエ取り紙をはがすのにひと苦労した。髪の毛にハエのおまけも付いてきた。

    手押し噴霧器と僕 - 昭和の時代と僕+
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    k10no3 2023/07/29
  • 粉末ジュースと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が小さい頃、粉末ジュースの素がどの家庭にもあった。夏の定番だった。オレンジ味はもちろんメロン味、イチゴ味などがあった。僕はメロン味が好きだったが我が家はオレンジ味が主流だった。友達の家に遊びに行くとパイン味が出され初めての味に感動した。 粉末の素を水に溶かして飲むのだが、まだ冷蔵庫は無かったので氷は無く冷たい井戸水で溶かして飲んだ。暑い外から帰って来て飲むジュースは最高だった。徳用の袋に入っていたが、何杯でも飲めるように粉末の量を減らして飲んだ。それでも美味しかった。 その後、粉末ジュースの素から希釈タイプの乳酸菌飲料になった。希釈タイプの乳酸菌飲料と言えばカルピスだったが何故か我が家は森永コーラスだった。お中元に貰った物で、瓶を包んでいた包装も水玉模様で似ていた。

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    k10no3 2023/07/27
  • 井戸ポンプと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が小さい頃、家には水道が無かった。もちろん周りの家にも水道が無かった。各家ではそれぞれ井戸を掘って手押しポンプで水を汲み上げていた。金気を取るためにポンプの先には布の袋が被せてあったが、手押しポンプで汲み上げた水は冷たく美味しかった。 僕は学校で水を飲まず我慢して帰って来るとすぐに台所に行った。手押しポンプにはコツがあり何度かフェイントをかけ一気に力を入れて水を汲み上げなければならない。気を抜くと跳ね上がったハンドルが顎に当たり痛い目にあった。花柄のコップで飲む冷たい水は最高だった。 夏にお客さんが来ると井戸の汲み上げた水でスイカを冷やして出した。お客さんは冷えたスイカを美味しそうにべていた。 電動式のポンプで水を汲み上げる家も出てきたが、我が家は井戸水が枯れてしまうこともあったので手押しポンプのままだった。

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    k10no3 2023/07/24
  • 野菜の箱詰めと僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の家は稲も作っていたが野菜農家だった。色んな野菜や果物を作っていた。繁忙期になると僕も手伝いに駆り出された。 トマト・キュウリ・ナス・ジャガイモ・ナガイモ・ユリ根・ダイコン・ニンジン・ネギ・ハクサイ・キャベツ・レタス・ニラ・カリフラワー・シソ・トウキビ・アスパラガスはもちろんサヤエンドウ・キヌサヤなどの豆類やメロン・あじ瓜・スイカ・ブドウ・サクランボ・ナシなどの果物。40~50種類を時期毎に学校から帰ると収穫から選別・箱詰めなど手伝った。 野菜は家族全員で夜遅くまで選別し箱詰めをし、父さんが朝早く車で市場に出荷した。野菜を詰める箱は市場から仕入れた魚箱に新聞紙を敷き見栄えが良いように詰めていく。僕と姉ちゃんは箱詰めの係だった。キュウリは曲がりを伸ばして綺麗に見せるのがコツだった。姉ちゃんは速く綺麗にキュウリを詰めていた。僕は姉ちゃんに追いつこうと頑張ったがダメだった。 いつも納屋は野菜で

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    k10no3 2023/07/21
  • 図書室と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕の小中学校には小さな図書室があった。教室の半分くらいのスペースで両側に棚がありが並んでいた。小学校と中学校の兼用なので実質それぞれ半分くらいでの数は少なかった。 図書室が中学校側にあったので、僕は中学生の時に初めて図書室の存在を知った。を無料で借りられる。それまではピーンとこなかった。 僕が特に好きだったのはポプラ社の怪盗ルパンシリーズや偕成社の名探偵ホームズシリーズだった。文章が易しく漢字にフリガナがふってあり読み易かった。また、効果的にイラストが描かれておりそれが想像力を逞しいものにした。の中でルパンやホームズが生き生きと活躍していた。日の作家ではポプラ社の少年探偵の怪人二十面相シリーズが好きだった。 僕はの虜になりワクワクしながらを借りた。人気だったのですぐに貸し出し中になった。は全巻揃っているのではなく数は限られていたので、すぐに全部のを読んでしまった。 僕は何

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    k10no3 2023/07/09
  • 鉄人28号と僕 - 昭和の時代と僕+

    僕が5歳の頃、民放で巨大ロボットのアニメが放映された。それが鉄人28号との出会いだった。グリコグリコのテーマ曲がかかり鉄人28号の影が現れるとテレビの前に釘付けになった。バッカスやサターンなどの敵ロボットと戦う鉄人28号はヒーローで憧れだった。テレビの映りは悪かったがそんなのは関係がなかった。見れるだけで良かった。 おばさんが鉄人28号の吊るしロボットを買ってくれた。鉄人28号を糸で吊るし、ゼンマイの動力でくるくると回るだけのオモチャだったがそれが新鮮だった。幼い頃の僕は吊るした鉄人28号で大事に遊んだ記憶がある。 チョン子を敵ロボットに見立て鉄人28号の吊るしロボットで交戦したことは何度もあった。

    鉄人28号と僕 - 昭和の時代と僕+
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    k10no3 2023/07/09