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道徳と事故に関するk2lowのブックマーク (3)

  • ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶

    コントロールを失った飛行機は、右旋回や左旋回を繰り返しながら不安定な飛行を続けていた。それでも機内には、懸命な操縦を続ける機長や副操縦士たちがいた。 緊張の続く現場の会話の中で、やがて機長は誰にいうともなくつぶやく。 「これはだめかも分からんね」 1985年8月12日、日航空123便は御巣鷹の尾根に墜落した。今年はそれからちょうど20年目にあたる。墜落による犠牲者は520人に上り、日航空史上では最悪の事故だと言われている。 年月が過ぎたとはいえ、いまWeb上で検索すれば事故の情報をいくらでも収集できる。ネット上では、当時の事件を報じる新聞画像、墜落現場の写真などが見つかる。たった4人の生存者のうちの1人による証言なども読むことができる。 そんな中に、操縦席の会話を記録したとされるボイスレコーダーの音声を公開しているサイトがある。異常発生から墜落まで、約30分の音声を短くまとめて再生した

    ネットで語り継がれる機長の言葉、事故の記憶
  • 空へ

    中高時代の修学旅行は寝台列車での移動だった。私の学校は「私立のくせに修学旅行がしょぼい」と評判で、担任教師が「修学旅行は寝台列車で…」と口にした途端に「ええーっ」と生徒たちの間から不満の声があがる程だった。その時、普段は優しい先生が「我が校では飛行機を使いません」といやにきっぱりと言った理由を知ったのは、少し後のことだ。 校門から下足室までの小さな木立の中に、「空へ」と書かれた石碑があることは全校生徒が知っていた。トランク程の大きさの石で、鈍い斑色の表面をいつも輝かせている。けれども、その石碑がなんのものであるのかは、ほとんどの生徒が知らなかっただろう。 だから卒業間際のホームルームで、担任教師から知らされた事実は、ひどく私たちを驚かせた。それはあの1985年に起きた日航機墜落事故で犠牲になった3人の先生の慰霊碑なのだった。事故当時の私たちはまだ幼稚園に通っていた。テレビの向こう側、どこか

    空へ
  • http://www.asahi.com/national/update/1015/OSK200710150041.html

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