思い返せば、タランティーノの映画では常に誰かが誰かのフリをしてきた。マフィアのフリをする潜入捜査官。忠義心を保ったフリをするマフィアの部下。スチュワーデスのフリをする運び屋。優しいママのフリをする女の殺し屋。引退したスタントマンのフリをする脚フェチ殺人鬼。無害なフランス人のフリをするユダヤ人にイタリア人のフリをする田舎者のアメリカ人。 「フリをする」という特徴は、そのままタランティーノの作風や創作の特徴とも繋がる。表面にみえるもののほとんどは過去の名作や、タランティーノが好きな作品の引用だ。だが、これをもってタランティーノの映画をただのパクリと評する者はいないだろう……ということを『イングロリアス・バスターズ』を観たときに書いた。 『ジャンゴ 繋がれざる者』を鑑賞して思ったのは、「フリをする」はタランティーノの映画そのものを駆動させる原理なんじゃなかろうか、ということだ。 たとえば、タラン