最近、サイボーグが主役やヒロインだったり、パワードスーツが活躍する映画やドラマなど、ロボットをテーマとした作品を見かけることが多い。この9月27日(土)に公開予定のソニー・ピクチャーズの「アイアンマン」もそのひとつだ。パワードスーツのアイアンマンが活躍する、マーベル・コミックス原作のSFアクション映画である。 マーベルの映画製作部門であるマーベル・スタジオが初めてマーベルのキャラクターを映画化した作品となる(これまでは、ほかの映画会社と共同製作だった)。製作総指揮には、「スパイダーマン」を初めとする同社が製作に関わった作品に必ず名を連ねるスタン・リー。そして監督兼製作総指揮をジョン・ファヴローが担当している。その試写会に足を運んできたので、作品やパワードスーツ・アイアンマンについて紹介しよう。 ● 巨大軍需産業のCEOがテロリストと戦うヒーローに! 舞台は現代のアメリカ。同国の巨大軍需産業
夏の映画は『崖の上のポニョ』、『ハムナプトラ3』、『劇場版 空の境界 第五章「矛盾螺旋」』、『スカイ・クロラ』、『ダークナイト』、『劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮編』などを観てきたのですが、中でも『ダークナイト』の好きなシーンについて語ってみます。 それは船の爆破スイッチを押さない選択をした、あのシーン。あの船のシーンです。あそこですよね、ダークナイトのクライマックスって? あの牢屋主みたいな黒人のおっさんは、自分が悪人だからこそ「悪意」というものが人間から遠ざけるべき「おぞましいもの」であることを知っていて、つまり罪を負っているからこそ高潔な精神を保っていたと言えます。 一方、無実の市民代表である白人のおっさんは、「自分が悪人になるのが怖い」という臆病さだけで押さなかったという程度の話で、まさしく「おぞましい」悪意を小市民的に代表しつつも、悪人にもなりきれない小心者っぷりが強調されて
いやあ、すごいもんみたなあ。すごいすごい。 もうたくさんあちこちで語られている「ダークナイト」である。今日は映画感想。 熱狂的に支持される一方で、けっこう私の友人知人の間では不評であったりする。たしかにこの作品、欠点が山ほどあるし、この映画の米興行成績がスターウォーズを抜いて、タイタニックにまで迫るというのも不思議だ。有名ブロガーのたけくまさんは「隙がない」とおっしゃっていたが、いやあけっこう隙だらけだと思う。 まずアクションの撮りかたが下手だ。いまいちアクションシーンでなにが起きてるのかわからなくなかったり、レーティングの問題を気にしたのか、直接的な残虐さを必要以上に隠していたように見える。そのぶん爆破はよかったが。暴力グルメも納得の味とはちょっと言いにくい。 さらに物語の横軸を司るヒロインのレイチェルを演じたマギー・ギレンホールがちょっと……。主人公と、熱血検事役のエッカート両方から愛
202407 « 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 » 202409 ザ・バットマンシーズン4で盛り上がったところで 映画「ダークナイト」見てきました。 おおおお、なるほど。これは凄い。 最悪すぎる究極の選択ばかりをつきつけるジョーカーの押しつぶされるようなプレッシャーにあげぎながら、だがしかし目が離せない。 確かに爽快感は無く、まさにヒーローものではなく、ダークナイトの映画。 特別な力があるわけではないのに、このジョーカーの最悪さはなんなんだ。 傷の昔話が毎回違うというのもジョーカーらしくてすばらしい。 ジョーカーの悪のカリスマ引きずり込まれながらも、そこに到達した時にはもうついていけないという感じはまた、バットマンも同じ。信念と己の正義をつらぬくほどバッ
『ダークナイト』公式サイト あらすじ: 悪のはびこるゴッサムシティを舞台に、ジム警部補(ゲイリー・オールドマン)やハーベイ・デント地方検事(アーロン・エッカート)の協力のもと、バットマン(クリスチャン・ベイル)は街で起こる犯罪撲滅の成果を上げつつあった。だが、ジョーカーと名乗る謎の犯罪者の台頭により、街は再び混乱と狂気に包まれていく。最強の敵を前に、バットマンはあらゆるハイテク技術を駆使しながら、信じるものすべてと戦わざるを得なくなっていく。(シネマトゥデイ) 各所で絶賛されている、この『ダークナイト』。僕は23日の土曜日に観てきました。17時からの回で、250人収容のシアターで、お客さんの数は20〜30人。公開後3回目の週末、そして話題作としては、ちょっと寂しい客入りかもしれません。アメリカでの大ヒットを耳にしているだけになおさら。 興行的には、日本ではアメコミ映画が難しいこともあって期
シリーズ物の娯楽映画の中にあって、「特別な作品」として突出してしまう一本がおうおうにしてあります。たとえば「007シリーズ」の『ロシアより愛を込めて』であるとか、「ルパン三世」における『カリオストロの城』のような作品です。シリーズというわけではありませんが、中川信夫監督の『東海道四谷怪談』も、芝居を含めて同じ原作が何百回もリメイクされている中での「特別な作品」だと言っていいでしょう。 いずれもシリーズ物に本来内包されている「設定とキャラクターの面白さ」に加えて、スタッフや役者の才能が絶妙のタイミングで絡み合って、シリーズでも二度と再現できないような、奇跡的傑作になってしまったものです。 現在公開中のクリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』もまた、「特別な作品」であります。『バットマン・ビギンズ』に続く、「新生バットマン」シリーズの最新作。これも60年代のTVシリーズや、ティム・バートン
[映画.com ニュース] 「スーパーマン・リターンズ」(06)に続く新作は、どうやらゼロからスタートすることになりそうだ。 前作「スーパーマン・リターンズ」が製作されて2年経つが、クリストファー・リーブ主演の初期の2作品と内容上関連させてしまったため(第3作・第4作は関連しない)、ワーナー・ブラザースはストーリーを進展できなくて苦慮しているのだという。 ワーナー上層部のある人物が語るには、スーパーマン・シリーズを前作とはまったく別個なストーリーとして再始動するかどうか協議しているという。 現在のところ、誰ひとりとして次回作の脚本家に雇われておらず、前作のブライアン・シンガー監督が次回作の監督の座に座るかもしれないが、そうなると、DCコミックの原作に立ち戻ってゼロから企画開発されるというのが大方の見方だ。スーパーマン・シリーズにも、リセットボタンを押す時機が来たようだ。 ちなみに、ライバル
8/2の先行上映で鑑賞(もう2週間経ってる・・・)。良質の映画なんだろうなーと実感の伴わないまま思いつつ、どうも微妙。苦悩するヒーロー映画であり、「悪は途絶えない・悪がなければ善は成立しない」という伝統的な命題に基づく世界観も別に悪くないのですが、好き嫌いでいえばあまり好きではない(キライとまでは言わない)作品です。 悪役のジョーカーが先頃オーバードーズで急死したヒース・レジャーということもあって、悪く言いづらい雰囲気もありますが・・・。マジで良い悪いじゃなく、ジャック・ニコルソンのファンタジックなジョーカーと、今回のリアル路線で、まだらの白塗りメイクがどんどん剥げてくるサイコパスのジョーカーは意味が違うので、甲乙つけられないです。というか正直どっちもたいして好きじゃないというか、そもそもバットマン映画にあまり興味がないという問題外な状態なので、そんなに期待せず読んでください。 バットマン
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念願の大容量パワフルミキサーHuanyu降臨 10年日記を再開した。 コロナ禍になってすっかりペンをとらなくなったが、日々の飯の記録や熱海移住のことも、日常が無為に流れていってしまうような気がして怖くなり、再開したのだ。かつてはコクヨノートを使っていたが、もう定規で線を引くのも日付を書くのも疲れる…
そうとも! 教会のなかじゃ、ゲスな事を想像しろ! ホワイトハウスにゃ、正直さを教えてやれ! 会ったこともない奴に、 使われてもいない言葉で手紙を出せ! 子供の額にゃ、ヒワイな文句を書きなぐれ! クレジットカードを捨てて、ハイヒールを履け! 精神病院のドアは開いてるぜ! お上品な郊外を、殺人と強姦で埋め尽くせ! 聖なる狂気よ! 快感よ満ちよ!あらゆる街路に! 笑え、そうすりゃ 世界も一緒に笑うぜ! 「バットマン:アーカム・アサイラム」 「パトレイバー2」以来だろうか。 これほど自分の魂にぴったりくる映画は。 他の人がどうかは知らないけれど、フィクションという手段で自分は何が観たいのか、という自分が抱いてきた「気分」に、かなり精度の高い答えを提供してくれる種類の映画だ。 バートン版のジョーカーはおとぎ話の人物だった。というよりも、バートン版のバットマンはおとぎ話として作られていた。ニコルソンの
歌舞伎町にて。初日。すごくおもしろかった。「光と影」というテーマが、何層にも重なりあいながらストーリー全体をつらぬき、複雑で広がりのある世界観になっていた。この映画は、見直すたびに発見がありそうな気がするし、いろいろな解釈ができそうにおもえる。バットマンシリーズの最新作。 映画の中で用いられる数々のメタファーが、最終的にはすべて「光と影」という共通のテーマにおいて回収されていくのがすばらしい。Dark Knight(闇の騎士)であるバットマンと、White Knight(光の騎士)である新市長。頻出するコイントスのシークエンス(Heads or Tails?)。すべてを裏で操っているジョーカーの存在は影そのものだ。バットマンとジョーカーの対比もとうぜん、光と影であり、また新市長のかつての古いあだなが ”Two Faces” であった点も見逃せない──これは後半においてもっとも重要なポイント
一言でいうと良い映画だった。最初から最期まで緊張の糸が切れない。 ジョーカーの表情、ボディランゲージの隅々まで味わえる、劇場公開中に是非見に行くべき。 ここから先、ややネタバレ気味なので注意。 ヒース・レジャーの鬼気迫る演技は前評判通りのもので、特にジョーカーの徹底した無名性が上手く働いている。ジョーカーと言えば、そのオリジンを決定的に定義づけた作品、「キリング・ジョーク」にどうしても言及せざるを得ない。 悪役に主眼を置く場合、通常は共感を得られる何かの要素を盛り込むものだが、今回のジョーカーにはあらゆる共感を拒否する凄まじさが備わっている。ランダムで無意味な死の恐怖を町に振りまき、人々を恐慌に陥れようとする訳だが、「キリング・ジョーク」におけるジョーカーと「正常な人間と狂人の間は紙一重であることを証明する」という動機は共通しているものの、決定的に違う点がある。 「キリング・ジョーク」の主
MARVEL VS Hollywood(杉山すぴ豊) 今度の映画は”バットマン VS ジョーカー”という単純な 対決ではなく、 ”ジョーカー VS ゴッサム”的な スケールで話が展開していきます。 そして、 ジョーカーは、ゴッサムの街に、狂気と絶望の闇を仕掛けていき、 バットマンは、正義と希望の灯りをゴッサムの人々にともそうとします。 そのために、バットマンがとった行動とは!? eiga.com(芝山幹郎) ジョーカーを通してモラルの境界で揺れる無意識を際立たせたのは、脚本の功績だ。クリストファーとジョナサンのノーラン兄弟は、白騎士デント検事(アーロン・エッカート)と黒騎士バットマン(クリスチャン・ベール)との間にもきわどい軋みを忍び込ませる。そこにジョーカーをからめた三角関係、というよりも三重衝突がこの映画の急所だ。が、哲学の深みは映画の運動感を落とさない。陰と陽と半陰陽は猛スピードで交
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