ポニョのストーリがよくわからんという話ですが、あれはただ説明してないんだけじゃなくて、「わからない、伝えない」ことそのものが重要なテーマだと思います。最後の老人ホームでお互いの親や、老人たちの会話は、結局何の話かわからないから、ない方がスッキリする。で、ハッピーエンドみたいに終わるけど、宗介とポニョが知らないだけで、大変なことになったままかもしれない。でも、宗介は自分の意志と勇気を見せたから、それでいいじゃない、ってことなんだと感じるのです。
ポニョのストーリがよくわからんという話ですが、あれはただ説明してないんだけじゃなくて、「わからない、伝えない」ことそのものが重要なテーマだと思います。最後の老人ホームでお互いの親や、老人たちの会話は、結局何の話かわからないから、ない方がスッキリする。で、ハッピーエンドみたいに終わるけど、宗介とポニョが知らないだけで、大変なことになったままかもしれない。でも、宗介は自分の意志と勇気を見せたから、それでいいじゃない、ってことなんだと感じるのです。
「崖の上のポニョ」を観たっす。(*写真はイメージです。何の意味もありません。)絵がすげえっす。それだけでガソリン高騰も食料危機も乗り切れそうです。そいで、世界が崩壊の危機になって解決するんだけど何の説明もなし。かっこいい!それはお互いの母親(ポニョの母親は神みたいな存在?これも説明ない)が勝手に話をつけてそうなるんだけど、子供の立場からするとそういうことってあるから正しいと思う。(←ここはネタバレにはなってないはず…多分。)ハウルに続き、ギミックなしの純粋なラブストーリーで落涙。強い意志を讃えるってのは、過去の作品からも一貫してる要素だけど、ナウシカとかにあったような自然対文明みたいな構図はもはやまったくなくて、すべて自然として肯定しているところに猛烈に感動。インスタントラーメンは美味そうだし、ポニョは魔法で機械を直しちゃうし。子供の人格を尊重して信頼しようというメッセージにも素直に心打た
トップ > 映画・テレビ > 「崖の上のポニョ」は引退作がうっかり最高傑作になってしまった映画である いしたにまさきの新刊:HONDA、もうひとつのテクノロジー ~インターナビ×ビッグデータ×IoT×震災~ 01 それはメッカコンパスから始まった|Honda、もうひとつのテクノロジー 02 ~インターナビ×GPS×ラウンドアバウト~ 運転する人をサポートすること|Honda、もうひとつのテクノロジー 03 ~インターナビ×災害情報×グッドデザイン大賞~ 通行実績情報マップがライフラインになった日 2008.08.17 「崖の上のポニョ」を見なくてはいけないという使命感に無駄にかられて、新宿まで見にいってきました(ネタバレまくりエントリーにつきご注意)。 もちろん、予定通りの仮説をひっぱったままです。 リンク: 「崖の上のポニョ」というか宮崎駿というプロジェクトのわかりにくさ. ということで
…と思うんですわ、『崖の上のポニョ』を4回見た人間としましては。 さすがに大ヒット中の映画はというか宮崎アニメはというか、いろんな感想が読めておもしろい。中でも、はああ…と思ったのが「リサの運転が乱暴すぎて人格を疑う、感情移入できない」的な感想。や、自分はほぼ気にならなくて、唯一、大波の寄せてくるドック*1を渡っちゃうところが、ちょっと無理してるかな、と感じたくらい。あとは、このかあちゃんは走り屋かよ!?と単純に盛り上がってました。「法律違反のオンパレード」「人としての見識を疑いたくなります」といった真面目な感想を読んじゃった日には、オレの見識も疑った方が良いのかもなあ…とか。「子を持つ親」として。でもチャイルドシートはちゃんと用意してたよね…。 ただ、あの乱暴な運転ぶり、キャラクターとしての首尾一貫性とは別の水準で、演出上、必要だったんじゃないかとは思うんですよ。以前書いた『ナウシカ』の
観てきました『崖の上のポニョ』。 「55点」の数字や「アヴァンギャルドな悪夢」という言葉に、黒澤巨匠の『夢』みたいなのかとハラハラしてたんですが、まったくもって痛快な傑作アニメーションでした。悪夢と吉夢は紙一重だけどね。どっぷりハマれれば不条理も快楽だ。 「かわいい!」「きもい!」と、キッパリ反応のわかれるポニョですが、何かに似てるなーと思ったら奈良美智でした。奈良美智の描く、ちょっと怖かったりブサだったりカエルだったりする少女像に惹かれる人なら、ポニョの容姿にも即メロメロなはず。もちろんアタシはとっくにメロメロです。あと、声が死ぬレベルでカワイイ(奈良柚莉愛ちゃんで勝手に奈良つながり)。絵的にも動き的にも声的にも、この魅力を見つけてくる宮崎監督はどう考えても天才です。 今回の絵は、キャラクターにほとんど影がなく、シンプルで力強い線が特徴的です。対して、鮮やかで淡い色彩の、色鉛筆画っぽい
女の子と男の子が出会ったなら、その先に待つのは自然と人間との衝突か共存なのであってみれば、手を取り合って生き抜こうとする二人は、そのまま世界にとっての矛盾と救済のアナロジーとなる。そういう構図が宮崎駿の映画にはわりと連綿とあって、ナウシカとアスベルとか、サンとアシタカのようなカップルの系譜に今度も連なるのかと思って観ていたら、次第にただならぬ気配があたりに満ちて、自然とか人間とかそんなせせこましい近代人的苦悩(?)をどうやら突き抜けてしまった感のあるポニョなのだった。冒頭、画面いっぱいにみなぎり、画面の全部でうようよと蠢いている生命の爆発にまず目を奪われ、浮き足立って落ち着かなくなるのだけど、腐海を10倍に濃縮したようなこの場面からして、すでに人間は主役ではないのだし、近代的な約束事からは自由であることが宣言されているかのよう。実際、水没した街を悠然と泳ぐ古代魚の学名が嬉々として諳んじられ
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