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アルマスギャラリーで3度目の個展となる今展では、1年前の『絵画の田舎』直後から制作されて来た新作が披露されます。高橋の描く、絵画という言葉から受ける印象を覆すほど厚く厚く描かれ隆起した画面は、見事な色彩感覚とともに立体的な層となりこれまでに無い豊かな絵画空間を獲得しています。この特徴的な画風は、奇をてらった訳ではなく、いままであったどの絵とも違う絵を描くという、画家としてのごく真っ当な願いが厚みとして発露したにすぎません。ある限定したモチーフやコンセプトに縛られず、過去の絵画史を真摯にみつめ、同時代に生きる作家たちの動向を捉えつつ、自身の制作に取り組む中で、彼は今回の展覧会を『絵の絵の絵の絵』と名付けました。
» 作品紹介 大野智史は、幅数メートルにもなるペインティングを中心に、床に砂を広げて描いたものや、ウォール・ペインティングなども含めて空間全体を使う展示を行ってきました。主なモチーフとなるのは、自画像としての人物やブラッシュストロークの力強い原生林のイメージと、人工的な蛍光色の色面で抽象的に構成されるプリズムのイメージです。一見異なる両者のモチーフですが、そこには生と死、光と闇、自然と人工というテーマが通底しています。 2004年に参加した鹿児島県での甑島アートプロジェクトで亜熱帯の島で実際に生活し、その後も北海道の原生林やカリブ海のケイマン諸島などを展示で訪れた大野は、「僕にとって原生林は、生きているものと死んでいるものが半分ずつ存在している感じがあって、それも母性のように感じる」と話しています。 こうした実体験のビビッドな記憶は、彼自身が活動拠点を富士山麓の富士吉田へと移したことで、よ
第293回:主要政党の2013年参院選マニフェスト(政権公約)案比較・規制強化慎重反対派元国会議員候補リスト(知財・表現規制問題関連) どの政党も前回の衆院選のときと比べてほとんどスタンスの変更はないのだが(前回衆院選時の比較は第283回参照)、 自民党・選挙公約(pdf)(総合政策集(pdf)) 公明党・重点政策(pdf)(重要政治課題(pdf)) 民主党・重点政策(pdf)(政策集) みんなの党・アジェンダ(pdf)(要約版(pdf)) 日本維新の会・公約(pdf) 社民党・公約(pdf) 共産党・選挙政策(pdf)(各分野政策) 生活の党・公約 みどりの風・公約 新党大地の訴え(pdf) と参院選マニフェスト案がほぼ出そろったので、念のため一通り知財・情報・表現規制問題関連の項目について見ておきたいと思う。 (1)マニフェスト案比較 各政党のマニフェストから知財・表現規制問題に関する
柔らかにカーブを描く引き出しの家具。虚実のあわいに漂うような透明な硝子の椅子。倉俣史朗(1934-1991)の世界を前にすると、デザインに対する私たちの考え方は解放され、夢のような境地に誘われます。倉俣史朗は、インテリア・デザイン、家具デザインにおいて傑出した仕事を残しました。60 年代半ばから、いち早く商業空間に斬新な発想でデザインを施し、美術家とも協働して店舗の内装を手掛けます。また、デザインを根本から問い、人間とものとの詩的な出会いをもたらすさまざまな家具を制作しました。その活動は世界からも注目され、81 年にはミラノのデザイン集団「メンフィス」に参加します。この頃を境に倉俣の表現は変化し、70 年代までのコンセプトを重視した手法を発展させながらも、創造デザインの喜びに満ちた作風があらわれるようになります。こうして、赤い薔薇が浮かぶ透明なアクリルの椅子《ミス ブランチ》などの名作が生
マンハッタンの太陽 THERMODYNAMICS OF THE SUN 光学芸術から熱学芸術への拡張:18世紀から21世紀の“太陽画”の系譜 1970年代、80年代のニューヨークはアートが燦然と輝く創造の街でした。 そのマンハッタンを手製のピンホール・カメラを抱えて、まるで金環食のようなまばゆい写真に仕立てたひとりの日本人アーティストがいました。1979年の第15回サンパウロ・ビエンナーレに参加した帰路、マチュピチュを撮影した山中信夫(1948-82年)です。1980年に山中はこのマンハッタンで数多くの傑作を生み出しました。帰国後、《マンハッタンの太陽》は1980年から81年にかけて制作された《東京の太陽》へと発展し、《マチュピチュの太陽》とともに1982年の第12回パリ・ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)で大きな注目を集めながらも、帰国途上に再び立ち寄ったニューヨークでわずか34年の生涯
James Kalm, in the midst of a midsummer heat wave, makes a early morning trek to attend the press preview for this retrospective of iconic Japanese artist Yayoi Kusama. Having a career arch that extends over sixty years, and includes fame in America, Europe and Asia, Kusama is perhaps the best known female artist alive. Yayoi Kusama's incredibly prolific practice includes: oil and acrylic paint
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