今、自分が小学校のときに同級生に暴力振るわれたことを親や教師に訴えたら、教師はクラス全員の前で「○○君がphoqueのことを叩いたというのを本当だと思う人」とか多数決をとって、私以外の全員が○○君はやっていない、という意見だったためにうそつきにされて謝らされたことを思い出した。
![phoque aka猫二姐🐾 on Twitter: "今、自分が小学校のときに同級生に暴力振るわれたことを親や教師に訴えたら、教師はクラス全員の前で「○○君がphoqueのことを叩いたというのを本当だと思う人」とか多数決をとって、私以外の全員が○○君はやっていない、という意見だったためにうそつきにされて謝らされたことを思い出した。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/767aabcdb6a6b6db2ad45a797637ce0cea6840e9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1053426671380914177%2F4kVw1vv9.jpg)
今、自分が小学校のときに同級生に暴力振るわれたことを親や教師に訴えたら、教師はクラス全員の前で「○○君がphoqueのことを叩いたというのを本当だと思う人」とか多数決をとって、私以外の全員が○○君はやっていない、という意見だったためにうそつきにされて謝らされたことを思い出した。
奄美諸島, 鹿児島, 沖縄400年前の史実のみをことさら取り上げ、謝罪と賠償を要求しているかのように批判し騒ぎ立てる無知な馬鹿には、『その無知を恥じよ』とだけ言っておきたい。琉球王国に侵攻し勝利した薩摩が江戸時代を通じて奄美を直轄植民地にして搾取したことすら知らない馬鹿も多いだろうが、明治時代から大正、昭和にかけては鹿児島県主導で奄美の黒糖の売買を独占しようと画策し、その画策が潰えると鹿児島県であるにも関わらず奄美への投資を拒み、植民地時代にその有り様を搾取の島として変容させられたまま放置政策をとりほったらかし、そのまま太平洋戦争に突入、その後のアメリカによる異民族支配で奄美はついこの間まで何百年間も継続して疲弊しその身を差別されていた。薩摩出身の政治家、言論人、知識人は日本全体のことやアジア、世界の問題などには声高に発言しても奄美のことに言及しているのか?都合の悪いことには沈黙する自分の
最近経済における「第三の道」を考えている。 つまり60年代の日本の高度成長はなぜ可能だったのか。そして80年代後半のバブル崩壊以降なぜ日本は長期の経済低迷に陥ったのか。さらに、2000年代に入り進められた規制緩和など市場万能主義の小泉・竹中路線がなぜ失敗したのか。 端的に言えば80年代以降、投資効果に低い公共事業に巨額の財政をつぎ込んだのが経済の低迷の原因。小泉・竹中路線は、リストラなどによる各企業の競争力の強化が社会全体の生産性向上になると考えたが失業を増加させ、社会全体としての経済成長につながらなかったのが失敗の原因。それでは過去の失敗を繰り返さない経済運営における「第三の道」は何か。現在、深く考慮中。
⇒誰でも美少女戦士になりたいはずだ - 地下生活者の手遊び ⇒なぜ僕が美少女戦士になりたかったのか? - 地下生活者の手遊び ⇒はてなハイク サービス終了のお知らせ ⇒異性愛というありふれたヘンタイ(再追記アリ - 地下生活者の手遊び 「大島渚テーゼ」と私が勝手に呼び習わしている観念があって。「男たちは愛し合う代わりに殺し合わなければならない」という。そして、愛し合う代わりに殺し合わなければならない男たちは、殺し合う代わりに社会を作った。現行の社会を。その秩序ある社会を、ホモソーシャルと言う。あるいは国家を。それは、男たちの都合により、愛し合うことと殺し合うことを忌避することによって成り立っている。その「都合」を、オブセッションともポスト近代な現在では言う。 別に大島監督がそういうことを説いていたわけではない。ただ「男たちは愛し合う代わりに殺し合わなければならない」ことを――その代替物とし
⇒はてなブックマーク - じかん げんしゅは ちこくする ひとに めいわくが かかるので やめて ください - やねごんの にっき 「関口君。世界中が皆同じ時間の流れの中にいると云う状態は果たして正常な状態なのだろうか?」 「何を云っている?」 「僕は――厭だ。」 「厭?」 『鉄鼠の檻』 京極夏彦 三島由紀夫はたいそう時間に厳格な人だったそうな。彼においては――そういうことを絢爛な日本語でいちいち説明するのが三島という人だったが――娑婆は約束なくして回らないので。「娑婆は約束で回っている」ではなく「娑婆は約束なくして回らない」と考え言明するのが三島という人だった。そこには彼の他者と自己に対する根本的な不信がある。約束が存在するかのように振舞わなくては、私たちにおいて約束は存在しない。そのプロトコルを破棄することは人間であることを破棄する獣の行為である、と。にもかかわらず、プロトコルを破棄し
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