史跡や伝承は負けないぐらい多いのですが、近畿では、奈良や京都に比べて、大阪・難波の古代史は影が薄いですね。 幾たびも戦闘(戦争・空襲)で荒廃し、秀吉公の時代以降、一環して商(あきない)と都市開発を優先してきた歴史ですから 例えば、難波史の古い年表に出てくる大王の住まいの『宮』や『行宮、かりみや』は、残されていませんし、あまり知られていません。 史跡難波宮跡発掘調査(NW00-11次)現地説明会資料(平成12年11月) 記紀で伝えられる歴代大王の宮は4つ。 応神大王(第15代)の大隅宮(おおすみのみや) 仁徳大王(第16代)の高津宮(たかつのみや、こうづのみや) ( 欽明大王(第29代)の祝津宮(はふりつみや)) 孝徳大王(第36代)の難波宮(なにわのみや)(前期難波宮=難波長柄豊碕宮、なにわながらのとよさきのみや) かろうじて、難波宮が、山根徳太郎先生の尽力で発見されただけです。 www.
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