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ブックマーク / note.com/yamanononote (29)

  • ビジネスに役立つ俳優の技術!|山野 靖博(ぷりっつさん)

    こんにちは!山野です! 僕は職業として俳優をやっています。舞台で演劇をするのが主な仕事です。 演劇が社会の役に立つのかどうかは、正直なところよくわかりませんし、「役に立って/立たない」の評価軸で演劇を考えるのもあまり意味がないよなーという思いもあります。 ただ、ひとつ確実に言えることがあって。 俳優が身につけているさまざまな「俳優的な技術」というのは、確実に役に立ちます。 なんの役に立つのかというと、俳優をしていない、演劇に携わってもいない、他の多くの方々の生活にとって、めちゃくちゃ役に立つのです。 特に僕としては、会社勤めだったり自分で事業を興したりしている、ビジネスパーソンの方々に向けて大声で「俳優の技術、めっちゃ役に立つよ!!!!」と言いたいです。 今日はざっくりですが、俳優の技術のなかでもたとえばどんなことがビジネスパーソンの皆さんにとって役に立つのか書いてみます。 --- 身体操

    ビジネスに役立つ俳優の技術!|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • どうしようかと思ってること。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    うっすらぼんやりと考えながら、「どうしたものかなー」とこのところ困っていることがある。 困ってるとはいえ、それに対応するために具体的な行動を起こしているわけでもないし、まあそういうことになったらそのときに何かしらの対策をとろうと思っているぐらいのことなので、それほど大変な事態な訳ではないのだ。 なんについての話かというと、Twitterである。 テック系のニュースを追っている人なら「そうだよねー」と同意してくださる方も多いと思うが、その方面に明るくない方にふわっと説明をすると、 特に日で人気のSNSであるTwitterCEOが昨年の10月にかわり、その後の同サービスの運営のポリシーがそれまでとはだいぶ変わってきたのだ。 経営者が変わればサービスも変わるというのは当たり前だし、僕たち利用者はそれを避ける術は特になく。とはいいつつ、利用を続けるのに大きな支障もなかったので今日まで使い続けて

    どうしようかと思ってること。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 劇場という共同プロジェクト。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    僕らがよくよく知っているように、世界は善と悪の二元論ではない。ある視点からは「善い」とされているものが、別の視点からは「悪い」とされるなんて、僕の脳ミソから引き出される拙い例を挙げずとも世の中にはいくらでも転がっている。 そして、そのある種曖昧な善と悪との隙間を埋めるように「場合によっては善」とか「まあ、そのシチュエーションならどちらかといえば悪」といったような都度都度答えを出していくしかないグラデーションの部分が存在していることも僕らはよく知っている。 けれど悲しいことに、日常生活のなかでふいに「これってどうしたらいいの」的場面に出会うと僕たちは往々にして、その瞬間にうろたえるなりパニックになるなりで、反射的に「善だ!悪だ!」の二元論的回答をしてしまいがちなのだ。 それこそが数々の”争わなくてもいいはずの争い”を生んでしまうことを経験的に知っているにもかかわらず、だ。 ところで僕は、舞台

    劇場という共同プロジェクト。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • わたしを作った◯◯5つ|山野 靖博(ぷりっつさん)

    僕はかなりのTwitterユーザーなので、ある程度のトレンドについてはキャッチしているつもりです。 少し前に「わたしを作った〇〇5選」みたいなのが各種登場してタイムラインを賑わせてましたね。わたしを作ったテレビドラマ5、とか、わたしを作ったミュージカル5、とか。 ちょっと面白そうなので、僕もやってみたいと思います。でも、Twitterではやらないのね。なぜかnoteでやる、という。笑 ではいってみよー。 -------- わたしを作ったあの時のべ物 5選・小学校高学年の土曜日に作ったサラダパスタ学校が早く終わる土曜日、昼間にご飯をべに仕事場から帰ってくる母のために「よし、何か作ってあげよう!」と思ってサツマイモとかきゅうりとかを使ったサラダパスタを作ったんですけど、それがまあマズくてマズくて。 そのマズさに強い悔しさを覚えて、そこから僕の料理への探求がはじまったと言っても過言ではな

    わたしを作った◯◯5つ|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 星と祈りと四月は君の嘘。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    5月7日に日生劇場にて初日を迎えたミュージカル「四月は君の嘘」は、東京公演の折り返しを迎えました。 世界初演の今作、連日満員のお客様が劇場に足を運んでくださり嬉しい限りです。当にありがとうございます。 さて、今日は僕なりの視点から作品の音楽についての話をしてみようかと。楽しんでいただけるといいな。 演劇をつくるときに僕ら俳優が自分のお芝居の手がかりにするのは、なによりもまず台です。台からすべてがはじまり、最後の最後まで台に立ち返る作業をし続けます。 台は、作品をつくる際の指南書でありバイブルでもあるのです。 これが、ミュージカルになるともうひとつ重要な書物が増えます。 楽譜です。 ミュージカルはお芝居と音楽が密接に絡み合った表現形態です。だから、台とおんなじ比率で、楽譜に書かれた情報も大切になってきます。 ミュージカルにおける台と楽譜はいわば、説得力のある表現を目指していく上

    星と祈りと四月は君の嘘。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 「DEVIL」終演のご報告。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    昨日、Musical「DEVIL」Japanプレビューコンサートが無事に終演いたしました。 ご来場いただきました皆様、応援くださいました皆様、そして3回の配信をご視聴くださいました皆様、当にありがとうございました。 韓国で2014年に初演されその後も高い人気を誇るこの作品ですが、韓国発のミュージカルの知識に暗い僕はお話をいただいたときに初めてその存在を知りました。 「ゲーテの書いたファウストを原作とし、音楽面で高い評価を得ている」という触れ込みに非常に興味を掻き立てられたことを覚えています。 「ファウスト博士伝説」はゲーテがその物語を書いた以前から類似の物語がヨーロッパで語られ、16世紀末に活字化されています。そしてゲーテのファウストが出版されたのが19世紀の前半。 当然、これらの「ファウスト」はその舞台を当時の社会や価値観に依存しているわけですが、今回僕が携わった「DEVIL」では20

    「DEVIL」終演のご報告。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 「表現」が観たいのだ、記録ではなくて。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    もう一度、あらためて考え直してみる。 目に見えないウィルスの脅威はいまもなお継続して僕たちの生活に影響を与えているけれど、数ヶ月前と違うのは(僕の生活にとって重要な要素について語るとすれば)劇場の幕が上がり始めているという点だ。 2月の末から3月の中旬の期間で、日のみならず世界中の劇場が公演の中止を決定していき、一時はありとあらゆる劇場がオフラインでの活動を休止した。 その代わりに存在感を増したのが、オンラインでの演劇配信だ。 以前から、じっさいに舞台の上で上演された演劇の録画映像を放映することで演劇ファンに演劇を届けるという手法はあった。テレビでも、映画館でも、DVDやVHSでも、インターネットでも。 しかし、それらはどちらかといえば演劇という営みのなかで、ある種の「オプション」として機能していたような記憶がある。決して主力ではなかった。 だが今は、配信は以前よりも相対的に市民権を得、

    「表現」が観たいのだ、記録ではなくて。|山野 靖博(ぷりっつさん)
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2020/08/14
    それが“記録”だったとしても、見た人数が多ければ後の“表現”の解像度は上がる。例えば、高解像度カメラで舞台全体を映した固定映像を大スクリーンで観られたら、劇場隅の端席で観るより多くの情報が得られないか
  • ミュージカルにおける「表現の強度のヒエラルキー」について。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    多くのインタビュー記事などで、ミュージカルをメインの活動の場としている日の俳優たちが ミュージカルの歌は、セリフなんです。というような表現で、ミュージカルの歌唱を説明しています。きっと、ミュージカルファンなら一度はそんな意味の言葉を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。 「喋るように歌えなければいけない」とか「ミュージカルの歌はただの歌じゃなくって、芝居歌なんだ」みたいな言い方もあるかもしれません。 ときおり僕はミュージカルの世界を目指す若い人や、ミュージカルが好きなアマチュアの人たちに、歌を教えることがあります。 そのときには僕も「ミュージカルの歌は多くの場合、お芝居の延長線上にあります」という説明を必ずします。今日は、そのときに同時にお見せする図を使って、「ミュージカルの歌は芝居の延長線上にある」ということがどういうことなのか、概要を書いてみたいと思います。 なお、下に書くのは「ある

    ミュージカルにおける「表現の強度のヒエラルキー」について。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • いま「配信されている演劇」の種類はとても偏っていると思う、という話。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    劇場が、実質閉鎖となってからこちら、演劇についていろんなことを考えています。 僕以外の演劇関係者もそれぞれに、それぞれの思考で演劇についてを考え、発信している様子も観測できます。 事態の早い段階から、インターネットを介して世界中の劇場やカンパニーによって劇場公演の映像記録が「配信」され、自宅でもパソコンやスマートフォンの画面でこれまでより多くの演劇作品を楽しめるような状況になりました。 「ズーム(zoom)」のようなWeb会議サービスを利用した新作(または既存戯曲の改訂版)の上演を試みる人もたくさん出てきました。はじめは小劇場を主戦場としているような比較的若手の演劇人たちによってそのチャレンジが主導されましたが、5月に入るころになると、テレビドラマや商業映画で活躍する俳優たちによる「配信演劇」の挑戦も増えてきました。 5月6日には「12人の優しい日人を読む会」という名で、リモート読み合わ

    いま「配信されている演劇」の種類はとても偏っていると思う、という話。|山野 靖博(ぷりっつさん)
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2020/05/14
    “体験”と結び付きが強い人ほど抵抗が強い
  • 「家で演劇を観る」という心許なさについて。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    (承前)いろいろな公式がいろいろと動画配信してくれるようになって判明したことは「私は劇場へ行ってスマホの電源を切り客席に座って他のこと何もできない状態にならないとなかなか真面目に芝居を観ない」であり、それは私の文化度の低さも当然あるが、むしろ「劇場ってすごいものだな」と思い知る。 — 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) April 18, 2020 「まさしく…!」ってかんじ。 これについては僕もずっと考えていて、そろそろ note に書こうと思っていたところだったので、書いてみます。 -------- 外出自粛が世界中のあちこちで続く中、大小さまざまな劇場・カンパニーが、インターネットを通して自分たちの持っている舞台作品の映像アーカイブを配信しています。 ホントに、ありとあらゆる有名な劇場が「無料で」配信をしていて、この流れが生まれてきたときに僕は 「ラッキー。これで在

    「家で演劇を観る」という心許なさについて。|山野 靖博(ぷりっつさん)
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2020/04/19
    そもそもそれらは全く別の行為。映画はもともと画面で観るべく作られている。映像で演劇を観るという行為に慣れてないだけかも
  • 4月12日の出来事に寄せて|山野 靖博(ぷりっつさん)

    この記事は、さいきん僕に起こった出来事についての記録として、また、語りきれなかったことを語り、自分がなにを考えたのかをストックするために書こうと思います。 -------- ついこの間、初めての経験をした。 Twitterで、ツイートが、バズったのだ。 これまでも、例えば出演した舞台関連についてのツイートに数百の「いいね」をもらうことはあった。けれども今回は規模が違う。 2020年4月12日の昼前にしたツイートは翌13日には1万を超える「いいね」をもらい、日14日で1万4千の「いいね」がついたことになっている。 もちろん、世の中には数万規模の「いいね」でバズるツイートもたくさんあるので、俯瞰で見れば僕のツイートのバズり方なんて大したことない。 でも、僕はバズることを目的にツイートをするタイプのツイッタラーじゃないから、今後この規模のバズりを経験する可能性は限りなく低いと思う。そういう意味

    4月12日の出来事に寄せて|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 「チェーザレ」公演中止のご報告、と、いろいろ。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    山野靖博をいつも応援いただき、誠にありがとうございます。 日は大切なご報告があります。 さきほど、公式より発表いたしましたが、当初2020年4月13日に初日を迎えることになっており、先日その初日を2020年4月17日にずらすと発表しておりました明治座の舞台「チェーザレ 破壊の創造者」ですが このところの社会情勢を鑑み、また、2020年4月7日に政府より発表されました緊急事態宣言を重く受け止め、公演の全日程の中止を決定いたしました。 さらに詳しい情報は、リンク先をご参照ください。 上演を楽しみにしてくださっていた皆様のお心を推察するといたたまれない気持ちになると共に、僕らカンパニーの全員にとっても、非常に苦しく、やるせない事態となってしまいました。 しかしながら、このところの社会の状況と、我々が置かれている感染症による危機を冷静に受け止めれば、公演中止の判断は致し方ないという評価以上に、社

    「チェーザレ」公演中止のご報告、と、いろいろ。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 主体を持ち続ける。どこまでも。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    今日はちょっと、難しい話を書く。 山周五郎の「ちくしょう谷」に、こんな一節がある。 ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、――ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだこれはとても奥行きの深い考察だと思う。 つまりどういうことか、といえば、まあ書いてある通りなのだけど。つまり、「ここまでは許せるけど、ここから先は許せないというときには、それは許すとは言わないのだ」ということだ。 「許す」と決めたときには、まるっとどこまでも「許す」ということをしないと、それはそもそも「許す」ではなくなってしまう。 これ、感覚的にわかるだろうか。わからない、という人ももしかしたらいるだろう。 そもそも「ちくしょう谷」自体が江戸時代を舞台にした話で、主人公が兄の仇を「許す/許さない」ということがテーマになっているから、現代に生きる

    主体を持ち続ける。どこまでも。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • Brand New Musical Concert 2019 終演。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    おととい無事に、「Brand New Musical Concert 2019」全3公演が終演いたしました。応援くださった皆様、当にありがとうございましたー! 錚々たるメンバーのなかに今回、コーラスとして参加できたこと、当に嬉しく、幸せに思いました。 それぞれの身体、表現者としてのバックボーンによって醸造された個性的な歌のスタイルを目の当たりにした、というかんじで、僕自身にとってもたくさんの学びがありました。 今回コーラスとして歌った曲は ・Another day of sun ・Season of love ・ジャージーボーイズメドレー ・最後のダンス ・This is me ・Your songでした。 全員で歌うパワフルなナンバーももちろん楽しかったですが、個人的には「最後のダンス」で、伊礼さんのロックなトート閣下に対してコーラスを当てたのがめちゃめちゃ楽しかったです。 伊礼さん

    Brand New Musical Concert 2019 終演。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 「ファン」とは。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    先日開設した質問箱には、なんとも面白い質問が集まってきています。 すべてに、リアルタイムにお答えすることが難しいくらいに、返答する側にも熟考と誠意ある文章を書く時間的余裕が必要な類いの、心を動かされる質問ばかりです。 スラスラと、なるべく早くお答えできれば、と思うのですが、まあそういった事情でご返答までにお時間をいただくことが予想されます。僕のできる範囲で、ちゃんとお答えはしたいと考えています。 さて、そんなこんなで今日とりあげるのはこんな質問です。 -------- ご質問、ありがとございます。 なんとも率直で、なんとも難解な質問です。でも、一所懸命答えてみます。 まず、質問が2つに分かれていますね。 ひとつは あなたの考えるファンとは。もうひとつが あなたにとってのファンとは。ううむ・・・。 字面だけをおってみると、なんとも、大喜利のお題のような問いの投げ方のようにも感じるけれど、僕は

    「ファン」とは。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 演劇ファンが戯曲を読んだなら・・・|山野 靖博(ぷりっつさん)

    演劇ファンにとって「戯曲を読む」という行為が 自然なことになっていったらば、 とっても面白いことになると思う。 ヒヤッとする演劇関係者も たくさんいると思うし。 「観客の中に一次情報がある」 という状況の豊かさ。 — 山野靖博◇8/10,11「Brand New Musical Concert 2019」 (@YasuhiroYamano) July 26, 2019 僕ら、演劇を生業にしている人間にとっては「戯曲を読む」っていうのは当たり前のように生活のなかにある行為なのですが、演劇人じゃないとなかなかそうはいかないですよね。 でも、「演劇が好きだ!」っていう人にはぜひ、戯曲を読むっていう方法でも演劇とつながってほしいなと思うのです。今日はそんな話をします。 -------- 僕はもともと、クラシック音楽の世界から舞台芸術に関わりはじめました。 クラシックって、プロとアマチュアの垣根が低

    演劇ファンが戯曲を読んだなら・・・|山野 靖博(ぷりっつさん)
    kaeru-no-tsura
    kaeru-no-tsura 2019/07/27
    オタク昔話。アニメ誌の付録にテレビ1話分の台本が付いたりしていたことを思い出した。テキストから感動を反芻出来るのだ。せめて演劇のパンフレットにそういうものが(ミュージカルなら歌詞だけでも)あればと思う
  • 「音楽解説>イベント」という悲喜こもごも。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    1時間半、たっぷりと、楽譜の例を提示しながらミュージカルにおける音楽の機能についてあーでもないこーでもないと僕が講義する、というスタイルでした。 初めてのかたちのイベントで、お声かけいただいたときは当に驚いたのですが、興味のあることだったので「やってみよう!」と飛び込んでみました。 とはいえ、まだまだひよっこな俳優が講師を務めるセミナーに、どれだけの人が集まってくださるのかはめちゃめちゃ不安だったのです。 が。 蓋を開けてみたら番当日より前に、全チケット売り切れ。満席となりました。 50席が満席。これはね、当にありがたいことだったのですよ。 山野靖博が単独でなにかをやるイベントとしては、過去最大の販売数です。普段のソロライブは18〜30名ってところですから。舞台公演のチケットなんかは別として。 これは、嬉しいことでした。めちゃめちゃに嬉しいことでした。 けれど同時に、こんな疑問が僕の

    「音楽解説>イベント」という悲喜こもごも。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • 【ミュージカル!な読み物】 「ユニゾン」という奇跡。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    ここ2〜3年ほど、ミュージカルの現場にたずさわることが多いです。自分が出演者であることがメインですが、ときにはワークショップなんかに歌唱指導で呼ばれることがあります。 今日は、僕が歌唱指導としてミュージカルの「歌」を人に教える際、かならず話すようにしていることについて書いてみます。ミュージカルに興味がある方にとって、なにかしらの参考になればいいなあ。 さて、さっそくですが。 「ユニゾン」という言葉を知ってますか? これは、音楽用語のひとつで「複数の人が、同じ言葉を、同じメロディ(音程)とリズムで、同時に歌う」という状態を指し示しています。 「ハモって歌う」ことの対義語、とでも言えばいいでしょうか。ちなみに、「ユニゾン」を日語に訳すと「斉唱」ということになります。 この「斉唱」つまり「ユニゾン」は、多くの人の人生を振り返ってみると、もっともベーシックな歌唱方法なんじゃないかなって思います。

    【ミュージカル!な読み物】 「ユニゾン」という奇跡。|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • アンサンブルの仕事|山野 靖博(ぷりっつさん)

    先日、演出家の藤倉梓さんのツイートが ちょっとした話題になってました。 これね。 文字にも起こしておきましょう。 「アンサンブル」を「その他大勢」だと解釈している人が多いのだろうか?フランス語で「Ensemble」は「Together」と直訳される。一緒に、創る。自分を殺して他者を目立たせる、とか、誰かを支える、とかではない。仲間と一緒に創る。その素晴らしさを呼吸したくて舞台に立つのではないのか。 すげーわかる。マジでわかる。 もう一歩だけ考察を進めて、 アンサンブルという役割として舞台に乗るためには どんな仕事をしなければいけないのか 僕の考えを書いてみたいと思います。 -------- アンサンブルが舞台で担う最大の役割は 「時代や場所や状況を創る」ということではないかなと思っています。 プリンシパルさんを立てるためのその他大勢ではなく、 物語の世界観に説得力を持たせるために 芝居や、

    アンサンブルの仕事|山野 靖博(ぷりっつさん)
  • あの「ロマ」についての話。|山野 靖博(ぷりっつさん)

    先日千穐楽を迎えた「グレートコメット」というミュージカルの舞台に、僕はアンサンブルという役割で出演していました。 「アンサンブルってなんだ?」とお思いの方は、この記事をどうぞ。 で、今回の舞台、「山野さんの役作りって、あれ、どうなんだろう?」みたいな質問をいただくことが多くてですね。 せっかくなので、「今回山野はどんな思いを持って役作り(的なこと)をしていたのか」を書いてみたいと思います。 「役者なんだから、舞台上で表現したものがすべて、それ以上の説明をするなんてカッコ悪いぞ!」みたいなお叱りも、もしかしたら聞こえてきそうな気がしないでもありませんが、 僕自身は舞台に立って全力でパフォーマンスをすることも好きだけれど、それについてやその他のことについて自分で考えたことを文章に書くことも、表現として同じくらいに大好きなので書いてみます。 もしも、俳優の語るそういった内容に興味がおありでない方

    あの「ロマ」についての話。|山野 靖博(ぷりっつさん)