ブックマーク / rekikakkun.hatenablog.com (19)

  • <小田原北条氏の防衛戦(その24)> 壮絶! 八王子城の戦い(その1) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 小田原防衛戦シリーズを進めており、 今回はいよいよ八王子城の探訪となります。 壮絶玉砕、悲劇のお城で語り継がれていますよね。 場所は下のマップで⑬です。 だいぶ関東平野を南下してきました。 1.八王子城の歴史 八王子城は北条氏康の三男氏照によって、 1578年(天正6年)頃より築城開始 と推定される比較的新しい山城です。 (ただ築城年は色々な説があるようです。) 1568年(永禄12年)武田信玄が小田原城を 包囲し、三増峠(みませとおげ)の戦いでも有名となった 相模侵攻時、氏照の居城は同じ八王子市内にある 滝山城でした。 三増峠登り口 三増峠の看板 (登り口から10分程登りました) 三増合戦場の碑 滝山城は多摩川南岸に面して経済的な立地を有し、 関東でも有数規模の平山城でしたが、 信玄の攻撃を受け、落城の手前まで攻め込まれた との事です。 (この城遺

    <小田原北条氏の防衛戦(その24)> 壮絶! 八王子城の戦い(その1) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/09/08
    氏政って次男だったんですね!今まで読み流してしまってましたが、長男だと思ってました…長男は若くして亡くなっていたんですね…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その23)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 小田原防衛戦シリーズを進めており、 今回は鉢形城の続きで2回目となります。 ~二の曲輪、見事な空堀~ 前回大手口、三の曲輪、秩父曲輪を中心に 進めてきました。 今回は二の曲輪から曲輪へ進みます。 下の縄張図の赤丸付近が二の曲輪です。 鉢形城縄張図 二の曲輪付近 前回ご紹介しましたが、鉢形城は荒川と深沢川に 三方を囲われているので、攻め口は上の縄張図 で見ますと、左上方向からとなります。 なので左上からの攻撃に対し、堀、土塁、馬出等の 防御施設が多く配置されています。 二の曲輪の空堀は、この左上(西南)からの 攻撃に対し、荒川と深沢川の断崖間全体を掘で 遮断しているので、重要な防御施設の様です。 二の曲輪  空堀1 二の曲輪 空堀2 二の曲輪 空堀3 (この先が荒川の断崖) 二の曲輪 空堀4 (中央部は舗装道が通っている) 二の曲輪 空堀5 左手が深

    <小田原北条氏の防衛戦(その23)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/08/14
    藤田信吉の話は面白いですよね。なんか告げ口がうまい会社員みたいです(笑)そういう人で人生の波が激しいんですよね…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その22)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 天正18年(1590年)3月29日の山中城の戦い から始まった、豊臣vs後北条氏の小田原防衛戦も、 6月に入り、いよいよ終盤戦となりました。 下の小田原防衛戦2のマップで見ますと、 ①から⑩までの城が豊臣軍に奪われ、 ⑪忍城は籠城中です。 開戦当初、豊臣秀吉軍を迎え撃った①山中城と、 前田利家達北方軍を迎え撃った⑤松井田城での 攻防戦は激戦となりましたが、その後一部を除き、 主力を小田原城に参陣させていた北条氏の支城は 豊臣軍により、比較的安易に落城していきました。 そして4月、5月が過ぎて6月に入りますと、 いよいよ⑫鉢形城等、北条家が直接籠城防衛 している主要防衛拠点中心の激戦必須の攻防戦 となり、最終局面に向かいます。 簡単にまとめますと下記になります。 6/14 ⑫鉢形城  北条氏邦人(氏康五男) ⇒1カ月籠城後、降伏開城 6/23 ⑬

    <小田原北条氏の防衛戦(その22)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/08/03
    いよいよ終盤!そろそろ小田原城が見えてきましたね!やはり、最終回は小田原⇒箱根でお疲れ様会でしょうか?
  • <小田原北条氏の防衛戦(その21)> 関東一難攻不落の城となった忍城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 小田原防衛戦もいよいよ終盤戦となりました。 今回は忍城探訪となります。 1.忍城の時間軸と場所 小田原防衛戦を私が勝手に3つに区分した表を、 再度掲載します。(自分が行った所が中心です) 小田原防衛戦の全体表 (忍城以外は落城順) 上の表は落城日順にしてますが、 忍城は防衛戦の最中に落城しなかったので、 忍城攻撃開始を取り上げて、⑪の時間軸としました。 今度は場所になります。 忍城の場所は埼玉県行田市で、下マップの⑪です。 因みに、私が埼玉を探訪した時の宿泊先は 熊谷と深谷ですが、マップで見るとほぼ⑪の近くです。 (埼玉探訪時に行った城⑥~⑫の中央の場所を狙いました) 2.忍城の歴史 文明10年(1478年)頃、忍城は成田顕泰 により築城されたそうです。(忍城説明板による) 立地は利根川と荒川に挟まれた広大な沼地の中に 築かれ、上杉謙信や今回の豊臣秀

    <小田原北条氏の防衛戦(その21)> 関東一難攻不落の城となった忍城 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/07/20
    こうしてみると関東には多くの城があったことがわかりますね。すべてを巡るだけでも数ヶ月かかるとは…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その20)> 関東の要衝 岩槻城と館林城 探訪 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 小田原北条氏の防衛戦を綴って20回目です。 今回は小田原防衛戦の中盤戦の最後として、 岩槻城と館林城を簡単ですが、ご案内致します。 下のマップでは⑨岩槻城、⑩館林城 です。 17.岩槻城(県指定史跡) 1)岩槻城の立地と太田資正 岩槻城(戦国時代は岩付城)は現在岩槻城址公園 として、埼玉県さいたま市岩槻区太田にあります。 上のマップでみると関東平野の中心って位置ですね~。 太田という地名の通り、岩槻城は 有名な太田道灌が築城したお話もありますが、 現時点では伝説っぽい感じです。 ただし同族の太田資正が戦国時代、 ブログでも探訪した松山城と共に、 岩槻城を拠点として、北条氏の関東進出に 智謀を駆使して抵抗し続けた事で有名です。 しかも息子に岩槻城を追放される等波乱万丈で、 1590年の小田原の陣にも秀吉軍に参陣し、 翌年死去しました。 関東戦国史を飾

    <小田原北条氏の防衛戦(その20)> 関東の要衝 岩槻城と館林城 探訪 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/07/07
    北条氏攻めの内容を見ているといつも思うのですが、有名武将が集まりすぎてなんか弱い者いじめにみえてきます(笑)いや、それに抗えた北条氏は強者か…氏政は氏康にダメ息子と思われてたようですが…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その19)> 畠山重忠の菅谷館跡と、木曽義仲の父の館である大蔵館跡 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 小田原北条氏の防衛戦の流れの中、 埼玉県比企郡の国指定史跡、 比企城館跡群をご紹介しています。 もう19回目となり、タイトルも、もはや 完全に関係ない表題になってます。😂 今回は、前回探訪した武蔵松山城、杉山城に続き、 菅谷館(すがややかた)を探訪します。 比企城館跡群はもう一つの小倉城を含め、 上記4つの城館で構成されています。 16.菅谷館(国指定史跡、続日百名城) 1)菅谷館跡の立地 比企城館跡群は、下の写真で4つの黒丸印で 囲われた所です。 関越自動車道で行きますと、最寄りのICは、 東松山ICと嵐山小川ICになります。 ほぼ埼玉県のど真ん中と言って良い位置です。 比企城館跡群の地図 2)菅谷館の歴史 菅谷館跡内には、埼玉県立の嵐山史跡の 博物館が建てられています。 ここに掲載されている説明によりますと、 菅谷館は鎌倉幕府の有名な御家人の

    <小田原北条氏の防衛戦(その19)> 畠山重忠の菅谷館跡と、木曽義仲の父の館である大蔵館跡 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/06/29
    関東のホテルは値上がりが顕著ですよね…なかなか田舎旅行から抜け出せなくなりそうです…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その17)>築城者が謎なのに凄い城 杉山城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 ・・・がもう17回目、 タイトルもなんかアバウトになってます。😂 しかしながら、今回の杉山城は是非とも 行きたかった所でして、気合入ってます。ψ(`∇´)ψ 15.杉山城(国指定史跡、続日百名城) 1)杉山城の立地 杉山城は、下のグーグルマップで⑧の所、 比企郡嵐山町(ひきぐんらんざんまち)にあります。 前回の武蔵松山城からも近いです。 2)杉山城の歴史 杉山城は特に城好きではない方は、 聞いたことも無いかもしれません。 私は数年前にyou tubeで知りました。 というのも、今まで私が触れてきました 歴史書物等には全く出てこなかったです。 何故なら!、 この杉山城は、築城者、城主、築城年代が 文献等に残ってなくて、はっきりと分かって いないそうです。 つまりは城の攻防戦の記録、歴史が全く無い という事

    <小田原北条氏の防衛戦(その17)>築城者が謎なのに凄い城 杉山城(1/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/05/26
    築城なんて当時では国を上げての大規模工事になるはずなのに築城者が謎って面白いですね。かなりの文献に築城者が残っていてもおかしくないのに…
  • <小田原北条氏の防衛戦(その16)>戦国関東で攻防戦の舞台となった城 武蔵松山城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回は武蔵松山城を探訪致します。 ここは是非とも行きたかった所です。 だって下の写真見てもかっこいいので。😀 武蔵松山城 上空写真 14.武蔵松山城(国指定史跡) 1)武蔵松山城の立地 武蔵松山城は下のグーグルマップ⑦の位置です。 (以後松山城と記します) この場所は埼玉県のちょうど中央の位置で、 比企地方とも呼ばれます。 そう、鎌倉幕府で北条氏と並ぶ有力御家人だった 比企能員(ひきよしかず)の拠地です。 比企能員は、源頼朝の乳母であり、伊豆配流以降も 援助を続けたとされる比企尼(ひきのあま)の 猶子となって比企氏を相続しました。 頼朝からすると第一の恩を授けてくれたのが比企氏 と言えますので、能員は頼朝の長男頼家の乳母父、 は乳母、娘は妾となり、北条家に次ぐ血縁を得て 超有力御家人となりました。

    <小田原北条氏の防衛戦(その16)>戦国関東で攻防戦の舞台となった城 武蔵松山城 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/05/12
    お城巡りもどのように回ろうかとか、近場で何食べようとか決めるんですよね?考えただけでワクワクします!
  • <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回は唐沢山城の2回目(後半)です。 唐沢山城 縄張図 13.唐沢山城(続日100名城) 4)唐沢山城探訪 前回は丸から南へ山道を下って、 下の写真の土橋跡へ行きました。 ~土橋と堀~ 丸から南へ下った所の土橋 土橋から堀跡へ戻ります。 堀跡1 堀跡2 新めて、堀と土塁の遺構が凄いです。 (上の縄張図ですと、一番下の「クランク状の堀切」 です) あ?堀じゃなくて堀切か~。 縄張図をしっかり見ると、確かに尾根を切ってますね。 土橋行くのに道迷ってたので、ここはあまり確認しておらず、 次機会ありましたら、この周辺をしっかり見たいですね~。 さて丸に戻ります。 土橋から丸へ戻る ~高石垣~ 土橋まで行くために、前編ではほぼ素通りでしたが、 帰りは唐沢山城一番の見所、丸の高石垣を じっくり撮っていきます

    <小田原北条氏の防衛戦(その15)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 2/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/04/28
    確かに半年先は早いですよね…でも普段やることなくてついつい考えちゃうんです(笑)私もお城好きだから来年、奥三河の山城跡でも行ってみようかな…あ…また…来年の予定が(笑)
  • <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちわ、rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 今回14回目、まだ終わりませんφ(* ̄0 ̄) 豊臣主力軍は箱根を越え、小田原城を 包囲しました。 前田利家を主将とした豊臣北方軍は、 碓氷峠を越え、まず北関東の諸城を 攻略していきます。 前回、下の北関東のマップで①上田城から ⑦金山城までさらっとご紹介しました。 今回は、北関東最後の拠点として、 ⑧唐沢山城を探訪いたします。 (マップの番号を押すと案内が出てきます) 13.唐沢山城(続日100名城) 1)唐沢山城の立地 唐沢山城は現在の栃木県佐野市にあります。 ここは栃木県の南部、関東平野の東端の要衝です。 そしてみなさんご存じ、佐野ラーメン屋さんが 沢山あります。こちらも重要拠点ですね(⌒∇⌒) 下の北条領全体探訪マップでは、⑥が唐沢山城です。 こう見ると、まだ関東平野の端ですね~。 唐沢山城から見た

    <小田原北条氏の防衛戦(その14)>豊臣北方軍による北関東拠点の攻略(唐沢山城 1/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/04/16
    小田原攻めと一言でいっても色々背景があるんですね!深堀していく面白さが伝わってきました!
  • <小田原北条氏の防衛戦(その8)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(3) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは。rekikakkunです。 現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。 みなさんもご存じの通り、 北条氏の拠小田原城は北条領国の 東南の国境に偏り過ぎていますよね。 特に豊臣軍主力が、西から小田原城を 目指すのは北条方も容易に想定出来ます。 よって小田原城の西側にある箱根とその周辺が、 必然的に重要な防衛ラインとなります。 下の全体マップを見て可視化してみると、 よく分かるのではと思います。 北条氏の拠地、⑤小田原城に対し、 その西側を取り囲む様に、 箱根中央部を通る東海道に①山中城。 旧来のメイン道だった足柄道に②足柄城。 その北の道に③河村城。 伊豆方面の玄関口に④韮山城。 等の箱根守備網が配置されています。 ところがこの内、小田原城西方の守りで 最も重要な防衛拠点だった、①山中城が、 初戦、一日で攻略されてしまいました。 小田原城及びその他の箱根守備網は 大混乱になっ

    <小田原北条氏の防衛戦(その8)> いよいよ開戦、壮絶!山中城攻防戦と箱根守備網の崩壊(3) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2024/01/24
    ご無沙汰しております!相変わらず目標だけ掲げて適当に生きています(笑)今年は変わろうと努力していますが、果たして…
  • <天下分け目の関ヶ原5>いざ、決戦の地 関ケ原探訪(2/2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは~、rekikakkunです。 関ケ原シリーズも5回目となりました。 前回は関ヶ原盆地の史跡、 ①笹尾山の石田三成陣跡と ②島津義弘陣跡を探訪しました。 今回は前回の続きで ③北天満山の小西行長陣跡 ④南天満山の宇喜多秀家陣跡 ⑤岡山烽火場の黒田長政陣跡 ⑥桃配山の徳川家康陣跡(最初の陣) ⑦関ケ原古戦場記念館(家康最後の陣付近) を写真中心に、ご紹介致します。 上記の番号で地図を載せます。 ~③小西行長軍、北天満山~ 分岐点の案内より小西行長陣跡方向を見る この道進むと右手が小西行長陣跡になります 小西行長陣跡入口 手前の川がちょっと気になる梨木川 ちょっとした公園風、入っていきます 小西行長陣跡の碑 小西行長陣跡 説明板 小西行長陣跡から笹尾山を見る 手前の田んぼの所には、どの軍が居たのかな? ~④宇喜多秀家陣跡、南天満山~ 小西行長陣跡から南へ下り、 宇喜多秀家陣跡に向かい

    <天下分け目の関ヶ原5>いざ、決戦の地 関ケ原探訪(2/2) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2023/06/08
  • 三河松平氏の歴史を訪ねて4 家康の天下統一への起点 岡崎城 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちはー、rekikakkunです。 今回、三河松平氏シリーズも最終章となりました。 徳川家康の生誕地であり、また家康が今川家から独立し、 天下統一への歩みを始める最初の拠点となった 岡崎城を探訪します。 まずは最終日前日の宿は、岡崎城のすぐ隣、 というか城内と言っても良い、 岡崎ニューグランドホテルです。 岡崎ニューグランドホテル正面、東方向を見る (右手は乙川(おとがわ)) 岡崎ニューグランドホテル正面、西方向 ホテル正面西方向の少し右側にはホテル建屋 と共に岡崎城天守が見えます そしてホテルの朝会場は、このホテルの超お薦め、 最上階の展望レストランです。 ホテルの朝 (後で見ると我ながら綺麗⁈) 朝会場からの眺め、ホテル西側。 天守が一望できる席になりました😊 この風景は岡崎城の立地をイメージするのによいですね~。 写真左手(城南側)には乙川(おとがわ)が見え、 この写真

    三河松平氏の歴史を訪ねて4 家康の天下統一への起点 岡崎城 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2023/04/15
    岡崎は自宅から比較的近くたまに行きます!徳川家康が生まれたのは豊田市松平ではなく岡崎だったんですね。地元でも知らないことばかりです。非常に面白いシリーズでした!
  • 三河松平氏の歴史を訪ねて2 愛知県最大級の山城、三河山中城 と 大草松平氏 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは-、rekikakkunです。 1.はじめに 大河ドラマ「どうする家康」の系譜をたどる為、 岡崎を中心とした旅を検討していたところ・・・。 岡崎の近くに大給城(おぎゅうじょう)と山中城、 という大きな山城、遺構があることを知りました。 (特に山中城は初めて知りました) そこで今回計画して探訪しました城を 下のマップに表記してみます。 ①松平城、②岩津城、③安祥城、④岡崎城 ⑤山中城、⑥大給城 前回ブログでは①、②、③を探訪しました。 (①②③は松平宗家の居城でした) 今回は山中城を探訪します。 (静岡県の山中城と混同しない様、 表題のみ三河を追記してます) 2.山中城の位置 山中城の場所はマップ⑤です。 ④岡崎城の南東20km位かな。 3.山中城築城と西郷氏 山中城は西郷氏が15世紀半ば頃に 築城したとされています。 山中城遠景、真ん中山頂が丸 西郷氏は三河の守護代も務めた事も

    三河松平氏の歴史を訪ねて2 愛知県最大級の山城、三河山中城 と 大草松平氏 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2023/03/18
  • <大阪府と周辺 歴史探訪 6> 大阪城 と 天王寺7坂 探訪 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは-、rekikakkunです。 今回で大阪探訪シリーズも早5日目、 ラストとなります。 前日は宇陀松山城から天王寺に戻り、 天王寺7坂と言われる上町台地西側 の坂を散策しました。 ここで来は一番最初に触れるべき、 上町台地について少しですが確認します。 1.上町台地(うえまちだいち) 上町台地は大阪平野を南北に通っていて、 標高30m程の隆起した台地(洪積台地)です。 大阪城はその北端に位置してます。 すなわち過去、難波宮や石山願寺、大阪城と 大阪平野を支配する拠点が全く同じ位置なんですよねー。 (難波宮跡と石山願寺はほぼ大阪城域内) 程よい丘陵(高すぎない高さ、地盤が堅め)が 程よく広がっていて、河川に囲われた丘陵北側の端。 最高の立地条件なんだろうと思われます。 <標高図1> 上町台地周辺 縄文時代の頃は上町台地の周りは全て海に なっていたと推定されていて、 難波宮時代

    <大阪府と周辺 歴史探訪 6> 大阪城 と 天王寺7坂 探訪 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2023/02/11
    ご回答ありがとうございます!次々回以降の記事でお礼&回答させていただきます!しばしお待ちください。
  • <大阪府と周辺 歴史探訪5> 宇陀松山城 探訪 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは-、rekikakkunです。 前回の大阪探訪3日目は 真田丸、空堀、四天王寺等を散策しました。 1日中の街歩きは足が棒になるよね~( ;∀;) なので今回4日目は電車で天王寺から 奈良県の宇陀松山城に行くことにしました。 (遠いからこそ電車とバスを駆使して、 足を使わなくてよい作戦👍) 確か大坂夏の陣で大和路から来た徳川軍と 大阪方の後藤又兵衛軍が激突した道明寺合戦は 生駒山系と二上山の間付近でしたよね~。 ここを電車で通って、河内と大和との国境の 雰囲気をさくっとでも感じたかったです。 下のマップでは③のところです。 では、天王寺から宇陀松山城への 経路をマップで示します。 電車は環状線と近鉄大阪線で、 天王寺駅から城最寄りの奈良県榛原駅まで行きます。 1年前に奈良探訪をしたので少しイメージがありました。 (奈良高取城から、大阪あべのハルカスが見えました。 ほぼ見えてたとこ

    <大阪府と周辺 歴史探訪5> 宇陀松山城 探訪 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2023/02/06
    まさに言われる通り呆然としました…書いてないことを明確に理解しているのにもかかわらず、あれ?本当に書いてなかたっけ?と思ったり、いつも感じることがない感覚を味わうことができました…
  • <お城へぶらり4>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 田峰城と菅沼氏 - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 静岡県、愛知県東部で探訪しましたお城を、 元亀3年、武田信玄の最後の決戦、 西上作戦につなげて綴っています。 現在、西上作戦の別動隊、山県昌景が 三河方面から進軍し、経路上で吸収した 奥三河の有力国人、通称山家三方衆 ①作手亀山城の奥平氏 ②長篠城の菅沼氏 ③田峰城の菅沼氏  (下地図の番号①②③と同じ) を取り上げております。 前回は、①作手亀山城を探訪しました。 今回は③田峰城です。 先週現地に行ってきました。 ネタ切れ暫定対応のつもりが、だんだん 命になってきてます( ´艸`) 下の地図の③が今回探訪した田峰城です。 ~東三河  菅沼氏~ 菅沼一族は戦国期、田峰、長篠、野田城等、 東三河の有名どころに広く分布してました。 今川、織田、武田、徳川の勢力の狭間で、 それぞれ生き残りをかけて苦闘してる様です。 この一族の中で野田菅沼氏は武田の捕虜

    <お城へぶらり4>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 田峰城と菅沼氏 - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2022/10/09
    道の駅したらじゃないですか!私も今年の夏に行ってきました。まだ新しくて人も多いですよね。
  • <お城へぶらり3>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(2) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 先のブログの話を続けますね。 元亀3年(1572年)10月3日 武田信玄は生涯最後の決戦となる 西上作戦を開始し、甲府を出陣。 その少し前の9月29日、 別動隊の山県昌景は三河の北東部に侵攻し、 かねてより徳川から武田方に寝返った ・作手亀山城の奥平氏 ・長篠城の菅沼氏 ・田峰城の菅沼氏(一族の総領) 通称山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)を 自軍に加えました。 前回のブログ地図を再掲載します。 地図上の番号は、①作手亀山城、②長篠城、③田峰城 今回は山家三方衆の一人、 奥平氏が当時拠としていた 作手亀山城とそのすぐ近くの古宮城を 探訪したいと思います。 上の地図の①です。 最寄りは新東名の新城IC。 思いっきり長篠合戦のところで、 見所いっぱいの所です。 奥平氏というと天正3年(1575年)の 長篠の合戦で武田勝頼軍の猛攻をしのぎ、 武勲を建てた

    <お城へぶらり3>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(2) - 歴史ぶらり1人旅
    kaeru2022
    kaeru2022 2022/09/23
  • <お城へぶらり2>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(1) - 歴史ぶらり1人旅

    こんにちは、rekikakkunです。 私は静岡県在住なので、お隣の愛知県、 特に県境の東部は、お城へぶらり探訪 するにはもってこいの場所でございます。 戦国時代、三河の北東部、奥三河は、 山家三方衆といわれる、 ・作手亀山城の奥平氏 ・長篠城の菅沼氏 ・田峰城の菅沼氏(一族の総領) が有力勢力でした。 長篠城なんかは長篠の合戦で有名ですよね。 といっても訳が分からないので、 下の地図で確認してみました。 (もし地図の①~⑥全体が見えてない場合、 マイナスを押して縮小してみて下さいませ) 今回表題の山家三方衆は、①作手亀山城(奥平氏)、 ②長篠城(菅沼氏)、③田峰城(菅沼氏)  の位置です。 地図の番号を押すと説明が出てきます。 ④は私の前回ブログでご紹介しました高根城。 ⑤は後日紹介する二俣城。 (地図で見ると⑤二俣城は遠江への出入口であり、 信玄にとって掌握必須であることが見えます

    <お城へぶらり2>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(1) - 歴史ぶらり1人旅
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    kaeru2022 2022/09/21
    かっくんさんコメントありがとうございます!私は愛知県在住なので奥三河の話楽しく拝見させていただいます。しかも戦国時代はかなり好きで主要な武将の名前などわかるため細かな歴史の話はワクワクします。
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