ブックマーク / tabinagara.jp (25)

  • 住吉神社(おまつの宮・生駒市南田原町)、饒速日尊、星が森に抱かれた古社 - 旅ながらの日々

    大阪府と奈良県のあいだにつらなる生駒山系。数々の饒速日 (ニギハヤヒ) 伝承に彩られているその山系の北部は、同時にまた住𠮷神の足跡が色濃く刻まれている土地でもある。 なぜ、この一帯で住𠮷神がさかんにまつられるようになったのだろうか。 磐船神社 (大阪府交野市) は、天孫・饒速日尊が御降臨の際に乗られてきたという船形の巨岩、天の磐船を御神体としているが、そのそばに屹立するべつの巨岩には四体の住𠮷神の地仏が彫られている。また周辺には複数の住吉神社が存在している。 奈良県生駒市の南田原町にある住吉神社もそのうちのひとつだ。 ~目次~ 境内案内 おまつの宮 住吉大社神代記 膽駒甘南備山記 出雲国風土記 星が森 境内案内 参道を進んで行くと、左手に境内社が見えてくる。 左手が祓戸社。そして真ん中と右手側にそれぞれ天神様と饒速日尊をおまつりしている。 その隣、饒速日尊をまつる社に背を向けるよ

    住吉神社(おまつの宮・生駒市南田原町)、饒速日尊、星が森に抱かれた古社 - 旅ながらの日々
    kaeru2022
    kaeru2022 2024/06/09
    背景がわかっていたり、調べたりすると個性が際立つので面白いですよね。星と聞くとキレイなイメージですが、実際に降ってきたとしたら当時の人は大パニックだったでしょうね(笑)
  • 【畝傍山】眼福地蔵の慈愛があふれる。懿徳天皇陵を過ぎて - 旅ながらの日々

    畝傍山。神武天皇陵と橿原神宮を山麓にいだき、この国の始源のすがたを可視化した聖なるお山は、荘厳神聖な山容で大和盆地に屹立している。 しかし、いまわたしたちが眺める畝傍山の樹相は、明治期以降に、往古の神々しさを取り戻す、などとした声の末に、ヒノキ、カシなどを植林したものだ。 古い時代のお山の写真を目にしたひとは、現在とは幾分違った、そのおだやかで、あまりにも優しい印象に驚くだろう。 そして、昔のそんな時代の畝傍のお山に接したいと願うのならば、今も山中におられる眼福地蔵に会いに行かれるといい。 地蔵様はきっと、来る人すべてを優しく受け入れてくださる…。 ~目次~ 眼福地蔵への道案内 眼福地蔵にまつわるお話 やまとの国で 幼き日々のおもいで 眼福地蔵 傘さす地蔵様 眼福地蔵への道案内 第四代 懿徳天皇陵 畝傍山の登山道といえば、橿原神宮の北参道を進んだ先にある道、あるいは畝火山口神社の脇からはじ

    【畝傍山】眼福地蔵の慈愛があふれる。懿徳天皇陵を過ぎて - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2024/04/28
    自分のことって考えさせれますよね…そして、わからないというところがいいと思います。思考力の一番高い動物でもわからないなんてなんか神秘的ですらあります。
  • 【八幡神社 (八井神社) 】神武天皇の皇子、神八井耳命の墳墓伝承地 - 旅ながらの日々

    神武天皇の皇子、神八井耳命 (かむやいみみのみこと) は第二代・綏靖天皇の兄御子で、多氏の祖とされている。 日書紀は畝傍山の北に葬られたと記す。 かつて八井神社と称されていたとされる八幡神社 (橿原市山町) の殿がたつ、盛り土状の小丘が、その神八井耳命の墳墓であるとも見做されている。 ~目次~ 八幡神社 御陵山 神功皇后信仰 畝火山口神社 仙洞御所 陽物信仰 おわりに 八幡神社 橿原市山町 (旧 山村) の集落からすこし離れて、畝傍山の山中にあしを踏み入れたとき、ちいさな八幡神社を見過ごさずに立ちどまれたことは、幸運だった。 それは八幡神、あるいは村の鎮守といった言葉から想像されるたたずまいからは幾分かかけ離れた、不思議な光景だった。 tabinagara.jp いったいどこからが境内なのか、それを示すものはなにもなく、わずかばかりの平らな土地に、いきなり石造の鳥居と灯籠が目にと

    【八幡神社 (八井神社) 】神武天皇の皇子、神八井耳命の墳墓伝承地 - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2024/04/03
  • 【出雲大社】縁結びの神様に素敵なご縁を頂戴したはなし - 旅ながらの日々

    みんなが良き縁 (えにし) をもとめている。 自分自身、あるいは家族の誰かがすてきな縁を結びますようにと。 縁結びの御利益をもとめて、大勢の参拝者があしをはこぶ出雲大社は、国譲りに際して大国主神が幽世にお隠れになるために建てられた天日隅宮 (あめのひすみのみや) を始まりとする、と日書紀は記す。 そして十月 (神無月・出雲では神在月) には、神々がこの大社を訪れて様々なことを話しあう、とされたことから、いつしか縁結びに御利益があると考えられるようになった。 『多賀は命神、住よしは船玉、出雲は仲人の神』との一文を井原西鶴の『世間胸算用』にも見ることができる。 わたしも、出雲大社でかけがえのないご縁を頂戴することができた。 ~目次~ 出雲は仲人の神 出雲の土産物店 夫婦こけし 国譲り 縁結び 出雲は仲人の神 出雲の土産物店 出雲大社の参拝をおえて、大鳥居をでた。 そのまま、まっすぐに神門通り

    【出雲大社】縁結びの神様に素敵なご縁を頂戴したはなし - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2024/03/19
    親孝行ですが、40代になって人生初なのでむしろ遅いくらいです。本当に迷惑ばかり掛けてきましたので…
  • 【丸山宮祉】もうひとつの神武天皇陵、畝傍山山麓に眠る丸山を行く - 旅ながらの日々

    幕末の文久年間に、現在の四条ミサンザイが神武天皇陵と治定される際には、そこからすこし離れた畝傍山の尾根のうえにある、墳丘状の丸山と呼ばれていた場所も有力な候補地だった。 遠く歴史の向こうに置いてこられたまま、いまでは顧みられることさえまれな、その丸山を訪ねた。 tabinagara.jp ~目次~ 洞村について 全村移転 村人の息づかい 丸山宮祉 洞之清水 (洞) 穴のちから おわりに 洞村について 全村移転 神武天皇陵の参拝道から、石段をのぼったさきに西へとぬける脇道がつづいている。 その道にそうようにして、かつて洞村という集落が存在した。 しかし明治以降、政府や奈良県などが推し進める畝傍山、神武天皇陵、橿原神宮を一体化した神園化のながれのなかで (いにしえの荘厳な風景を現出させる)、時代が大正にうつると、神武陵のすぐ目前で日々の生活を営んでいた総戸数約200、村民1000人にもおよぶ洞

    【丸山宮祉】もうひとつの神武天皇陵、畝傍山山麓に眠る丸山を行く - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2024/02/26
  • 変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ― - 旅ながらの日々

    玉手山遊園地…。なんと懐かしい響きだろう。 1,908年 (明治41年) に西日初の遊園地として開園され、昭和30年代の最盛期には、年間数万人の来園者をかぞえ大変な賑わいをみせていたこの遊園地も、しかし、その後は少子化などの影響から徐々に来園者数が減少し、1998年 (平成10年) 5月、ついには惜しまれながらの閉園に至った。 現在、その跡地は柏原市立玉手山公園・ふれあいパークと装いを新たにし、多くの市民に親しまれている。 玉手山公園の魅力とは 玉手山公園の来園について アクセス 駐車場 入園料・休園日 園内案内 蛍の光 玉手山公園の魅力とは 玉手山公園 (玉手山遊園地) の魅力のひとつに、その立地をあげてもいいだろう。 北を流れる大和川と西の石川との合流地点から南にひろがる狭い玉手山丘陵には、多くの古墳が点在し、玉手山古墳群をなしている。 玉手山古墳群の範囲については様々な提言があるが

    変遷する玉手山公園―西日本初の遊園地から地域の憩いの場へ― - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/12/30
  • 【相撲の神様】不本見神社のヤーホ様に会いに行ったのに会えなかったはなし - 旅ながらの日々

    大阪府千早赤阪村の不見神社 (ふもとみじんじゃ) 周辺には不思議な話が伝わる。 むかし、子供たちが不見山で相撲をとっていたところ、樹々のうえのほうから「ヤーホ、ヤーホ」と声がした。見上げるが誰もいない。ただ風が吹くばかり。そしてどこからか笑い声が聞こえてきた。 子供たちは怖くなって逃げかえり、大人たちをつれて山に戻ってきた。 みなで手分けしてあたりを探しまわるが、誰もいない。 ふと見ると、子供たちが脱ぎ捨てておいた衣服が、きれいに畳まれていたという。 ああ、これはきっと相撲好きの神様が、子供たちの取り組みを楽しみに見に来られたのだということになり、以来、不見神社では子供たちによる奉納相撲が行われるようになった。 いまも秋祭りには「ヤーホ相撲」がにぎやかにひらかれている。 このはなしを知ってからというもの、わたしはこの神様を相撲の神様「ヤーホ様」と呼び、ひそかに親しみを寄せている。 ヤ

    【相撲の神様】不本見神社のヤーホ様に会いに行ったのに会えなかったはなし - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/10/08
    まつのさんお久しぶりです!でも、またしばらくどこかへ行ってしまいます(笑)今度の更新はいつになるんでしょうね…
  • 【京都市上京区】晴明神社 ~五芒星、清明井、一条戻り橋を越えて~ - 旅ながらの日々

    京都の晴明神社というと、なにやら魑魅魍魎の跋扈するといったイメージを抱くヒトもおられるのだろうか。曰く、陰陽師、安倍晴明公、式神…。 しかし、それらは人気の歌舞伎や映画などの創作の世界にに引きずられたものだ。 実際の晴明神社の坐すのは、京都御所から西にわずか1キロ足らず、様々な伝承をもつ一条戻り橋からすぐのところになる。 蒼とした鎮守の杜に囲まれているのではなく (しかし立派な御神木はある)、境内は日の光をいっぱいにうけて、突き抜けるように明るい。そして、清浄な風が吹き抜けている。 京都を南北にはしる幹線道路、堀川通に面し、日々多くの参拝者が訪れている。 ~目次~ 晴明神社の創建 清明公屋敷跡 晴明神社と陰陽道 一条天皇と怨霊伝説 境内案内 一の鳥居 二の鳥居 一条戻り橋 五芒星 清明井 聚楽屋敷跡 一条戻り橋を越えて 晴明神社の創建 清明公屋敷跡 晴明神社は1005年 (寛弘2年)、清

    【京都市上京区】晴明神社 ~五芒星、清明井、一条戻り橋を越えて~ - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/05/21
    こけし殿が荒ぶっていますね(笑)でもその気持ちわかるかも。こう、推測というかいろいろ考えることって楽しいですもんね。
  • 【大阪市阿倍野区】安倍晴明神社。清明公御生誕伝承の地で葛の葉姫に出会う - 旅ながらの日々

    平安時代の陰陽師 (おんみょうじ)、天文博士、 安倍晴明公の人気は、現代にいたり世上ますます高まっているように思われる。幾たびも小説映画に取り上げられ、先日 (2023・4・2~2023・4・27) も、東京銀座の歌舞伎座において、市川猿之助、脚・演出の『新・陰陽師』が披露されていた。 そんな清明公の生涯には謎が多い。 伝えられている生年や出自にも確たるあかしはなく、御生誕の地としてあげられているところも複数存在する。常陸、讃岐などと並んで、摂津国の、現在では大阪市阿倍野区とされるところもそのうちのひとつだ。 阿倍野区元町に坐す安倍晴明神社は社の由緒書きによると、寛弘4年 (1007年) 花山法皇の命により清明公御生誕の地に創建されたとされる。 しかし江戸時代末には衰微し、明治になる頃には祠と「安倍晴明誕生地」の石碑が残るばかりとなったが、大正14年 (1925年) 阿倍王子神社の飛地

    【大阪市阿倍野区】安倍晴明神社。清明公御生誕伝承の地で葛の葉姫に出会う - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/05/05
    ふむふむ~確かにセイメイではなく、ハルアキなどが正しいんでしょうね。セイメイなんて当時の呼び方っぽくないですもんね。
  • 【相撲の歴史】国譲り神話にみるその起源から現代に残る奉納相撲の跡まで - 旅ながらの日々

    相撲の起源はいつどこに求めればよいのだろう。 向きあった力士どうしが呼吸を合わせ、両手を土俵につけるや、立ち合いの一瞬、バシンッ、と凄まじい音を立ててぶつかりあう二つの巨きなからだ。隆起する二の腕の筋肉、四つの足が土俵にめり込まんばかりになる。 見るものを陶酔と熱狂へと連れ去る、そんな相撲の始まりは、いったいどのようなものだったのだろうか。 国譲り神話 野見宿禰と當麻蹶速 初の天覧相撲 腰折田 當麻蹶速之塚 奈良時代から江戸時代まで 相撲節会 武家相撲と勧進相撲 奉納相撲の跡をたずねて おわりに 国譲り神話 神話の世界にまで遡ってみると、古事記における出雲の国譲り神話の、大国主神の子、建御名方神 (たけみなかたのかみ) と天津神・建御雷神 (たけみかづちのかみ) との伊耶佐之小濵 (いなさのおはま・稲佐の浜) でのちからくらべを相撲の起源とみることができる。 ■それぞれの国譲り神話■ 古事

    【相撲の歴史】国譲り神話にみるその起源から現代に残る奉納相撲の跡まで - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/04/14
    おお!装飾に力が入っていますね!相撲っていうのはもうあることが当たり前になっていますが、こうやって歴史を紐解いていくと新たな発見があり、興味をそそられますね。
  • 行ってよかった 葛城市相撲館「けはや座」 大相撲春場所開催によせて - 旅ながらの日々

    我が国最古の天覧相撲の記録は、日書紀によると、第11代垂仁天皇の御前での大和の當麻蹶速 (たいまのけはや) と出雲の野見宿禰 (のみのすくね) のとりくみとなる。 もっともこの時代の捔力 (すまひ)、現代の角力 (すもう) とは少々異なっている。 なにしろ野見宿禰は、敗れた當麻蹶速の腰骨を踏み折ったというのだから、いまならさしずめデスマッチのレスリングといったところか。 また、そのとりくみの日が「垂仁天皇7年7月7日」とされているなど、相撲が七夕を中心とした一連の行事のひとつであったとも考えられている。 へえ、野見宿禰って出雲のヒトなんだね。 そうなんだ。ただ、山陰の出雲国とする説と、大和国の出雲、現在の奈良県桜井市出雲とする説の二説があるね。 どちらかはわからないのね。 日書紀を読むと、七夕の7月7日に呼ばれてすぐに来たように読めなくもないから、大和の出雲とするほうが説得力があるかも

    行ってよかった 葛城市相撲館「けはや座」 大相撲春場所開催によせて - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/03/22
    けはや座は昔行ったことがあります。ドライブしていたときにたまたま見つけたんですよね。もうだいぶん前のことですが…15年くらい前だった気がします。
  • 【奈良県葛城市】當麻寺の門前で中将姫の夢をみる - 旅ながらの日々

    先月のこと。 二月といえば寒気もさかりで、わたしなど、ついつい背になってポケットに手をいれて、うつむき加減で過ごしがちだった。 そんななかにあって、うれしいのは日照時間が日に日にながくなってきているのを実感できることだ。日没時間が遅くなって、いつまでも明るいとなんだか得をした気分になる。 夕方四時半、すこし前までならもう薄暗かったのが、まるで嘘のようだった。 そんなわけで、すこし寄り道をしたくなった。 當麻寺に向かって 中将姫伝説 葛城市相撲館「けはや座」 當麻寺に向かって 二上山の山麓にのびる国道165号線とそれに続く県道30号線は、地元では文字通り山麓線の愛称でよばれている。 穴虫交差点からのびるバイパスをのぼっていき、こんどは一転下り坂になると、左前方に大和三山の麗しい山容を望むことができる。 tabinagara.jp さらに数分クルマで進んでいくと、當麻寺 (たいまでら・当麻寺

    【奈良県葛城市】當麻寺の門前で中将姫の夢をみる - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/03/20
    鉄砲柱の手形をつけたのは実は私…ではありません(笑)
  • 因幡の白兎伝承をめぐって。古事記神話、白兎神社、亀井玆矩公の視点から - 旅ながらの日々

    古事記にあって、もっともよく知られひろく親しまれているのは、因幡の白兎 (稲葉之素菟) のくだりに違いない。 淤岐島から今まさに気多の前に渡り終えようとしたときに、兎は鰐を怒らせてしまい毛皮を剝がれてしまう。そこに八上比賣 (八神姫) に求婚するために通りかかった八十神たち。兎は八十神に教わったままに、海水を浴びて風に当たっていたが、やがて海水が乾くにつれて皮膚がひび割れ、痛みのあまり泣きだしてしまう。 ■淤岐島は隠岐の島?■ 島根半島の50キロ北方に位置する隠岐の島とする説が有力。しかし、同じ古事記の国生みのくだりには淡路島、四国と国生みしたあとに、隠伎の三つ子の島を生んだ、と隠岐の島のことを表していることを踏まえれば、これを白兎海岸のさき、150メートルの海上にある小さな岩島、淤岐ノ島と考えることもできる。もっともそれは古事記等にならって後代に名付けられたものに違いなく、それまでは長い

    因幡の白兎伝承をめぐって。古事記神話、白兎神社、亀井玆矩公の視点から - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/02/24
    十分な記事内容だと思うのですが、松野さんにとってはまだまだなんですね。私なんて明らかにながらで記事を書いているのでお恥ずかしい限りです…
  • 【奈良県東吉野村】天誅組終焉の地、烈士の熱き誠のあとを訪ねて - 旅ながらの日々

    天誅組の変に対する世間の評価は、令和のいまとなっても定まっているとは言い難い。 おなじ江戸時代の大塩平八郎の乱などには、われわれは散りゆく美学のようなものをそこに見る。 しかし40日にわたって大和国を転戦した天誅組にたいしては、そのような視線を向ける者ばかりではない。 暴徒、あだ花と一蹴する向きもある。 文久3年8月13日、孝明天皇による大和行幸の詔勅が発せられると、公卿 中山忠光 (孝明天皇の元侍従、明治天皇の叔父) を主将とする天誅組は「皇軍御先鋒」を自負し同17日、幕府天領の五條 (現在の奈良県五條市) にあった五條代官所を焼き払い、近くの桜井寺を陣に定めると「五條御政府」の表札を門前に掲げた。 あとは御親兵として天皇をお迎えするはずだった。 しかし翌18日、京の政局は一変する。 攘夷派の公卿は官位を剝奪されて失脚し、長州藩は御所の御門警護の任を解かれ (8月18日の政変) 、大和

    【奈良県東吉野村】天誅組終焉の地、烈士の熱き誠のあとを訪ねて - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2023/01/07
    テーマを持って旅すると何倍にも旅が楽しくなることがわかる記事ですね。しかし、東吉野村は雪が結構の残っているんですね。今温度を確認したらマイナスでしたし寒い地域なんですね。
  • 【奈良県香芝市】鹿島神社、武甕槌大神をまつる社。下田界隈を散策して - 旅ながらの日々

    JR香芝駅に列車がはいっていく。 踏切のバーがあがり、わたしは瓦屋根のちいさな駅舎のほうに歩みをすすめた。 やれやれ、こんな風に時間を潰すことになるとは。 今日が4回目のワクチン接種だった。 いったいいつまで続くのだろう、という徒労感にもまして、これ自体正解なのかどうか確信を持てないままに打ち続けていることは大きなストレスだった。 そのせいでもあるまい。予約時間を間違えて2時間もはやく会場に着いたのは。 わたしは会場近くのJR香芝駅のそばにクルマをとめた。 30年近く香芝に住んでいるというのに、このあたりを歩くのは初めてではないか。クルマで通ったことさえ片手で数えるほどだ。 JR下田駅がJR香芝駅へと名称変更されたのは2004年のこと。 あれは国道165号線をはさんですぐそばにある、近鉄下田駅との混同をさけるためだったのだろうか。あるいはその10年前に、大阪ではやはりJR湊町駅がJR難波駅

    【奈良県香芝市】鹿島神社、武甕槌大神をまつる社。下田界隈を散策して - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2022/12/17
  • 【京都市南区】東寺 (教王護国寺) のアオサギ、真言密教の教えを体現するもの - 旅ながらの日々

    東寺のアオサギ、と聞いてピンとくるヒトが世間にいくらもいるとは思えない。 しかしわたしのまわりには「ああ、あいつね」と言って目じりをさげるヒトが何人もいる。そのことはちょっとした驚きだった。「へえ、おまえも気になってたんだ」 こうして自宅にいるいまでも、あの白く大きな鳥、細く長い脚で微動だにせず、黒いショールを肩に羽織ったような優美なたたずまいをみせるあの鳥に会いたい。 東寺のアオサギ 京都のランドマーク 真言密教の教えを体現するもの 東寺のアオサギ 平安のむかし、京の入り口に建てられた巨大な羅城門を過ぎてすぐのところ、ちょうど左右対称に、東寺・西寺という二つの官寺が建てられた。 西寺のほうは官寺のまま時を経るなかで衰微し、廃寺となったのにたいして、建立後、嵯峨天皇によって空海 (弘法大師) に下賜された東寺は、真言密教の根道場として、また弘法大師信仰の寺院としてひろく信仰をあつめ、現在

    【京都市南区】東寺 (教王護国寺) のアオサギ、真言密教の教えを体現するもの - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2022/12/09
    このアオサギさんはこの寺のぬしでしょうか。なんか雰囲気がある鳥さんですね。
  • 【鳥取県日野町】金持神社、金運招福の社を回想して。 - 旅ながらの日々

    山あいの、片側一車線の曲がりくねった国道を東に向かってはしっていた。並走するように流れている清流・板井原川の川面が、ときおりきらきらとひかっていた。 さきほど、突然山中にあらわれた巨大な緑色の鬼の像のことを思い返していた。それはまるでニューヨークの高層ビルをよじ登るキングコング。古代、このあたりにも鬼とよばれる人々がいた。 鬼住山 (きずみやま・今もこの名前でよばれている) にすむ鬼を笹巻団子をならべておびきだし、みごと矢で射止めて成敗したと伝えられている。 わたしの住む奈良県、葛城山麓にも蜘蛛塚 (土蜘蛛塚) と呼ばれるものが多く残る。たいてい大きな石を置いただけのそれは、慰霊ではなく、まるで土蜘蛛のよみがえりを封じるためのものに見える。まつろわぬ民は鬼、土蜘蛛と蔑まれて、かれらのまことの姿が後世に伝えられることはない。 tabinagara.jp あと小一時間もはしってトンネルを抜け、

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    kaeru2022 2022/11/22
  • 【奈良県橿原市】丸山古墳、奈良県内最大の前方後円墳、認知度が低いたった一つの理由とは。月が昇っていた…。 - 旅ながらの日々

    いまも古都の面影を色濃くのこす奈良市内にたいして、ずっと南の御所市までくだってくると、山々に囲まれた土地のあちらこちらに、唐突に緑濃い小山があらわれて、あれは古墳なのだろうか、それとも鎮守の杜かしら、などと想像を巡らせるとココロが踊る。 グーグルマップのナビを頼りにクルマをはしらせていた。 「200メートル先、櫛羅を左折です」 ああ、これはクジラって読むんだ。 さすがはグーグル、なんでも知ってるってわけだ。 朝起きると、いつもぼんやりとした意識の中でスマートフォンを起動させて「G」のアルファベットをタップする。 ニュースの一覧がながれる。 そのいずれもが、わたしの興味をひく事柄ばかりだ。 わたしの趣味を理解し、分析する…。 そして毎日グーグル検索を利用するうちに、時々、こいつにすっかり支配されてからめとられているような気になることがある。もうわたしなどに勝ちめはないということなのか。 そう

    【奈良県橿原市】丸山古墳、奈良県内最大の前方後円墳、認知度が低いたった一つの理由とは。月が昇っていた…。 - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2022/11/11
    多忙日が終わったら歩いて執筆をしてみようと思います(笑)私も二重敬語を使ってしまうときがあるので執筆時には注意しています。
  • 【大阪市住吉区】止止呂支比賣命神社、そうだトトロに会いに行こう! - 旅ながらの日々

    となりのトトロが好きだ。 メイとサツキはお父さんに連れられて田舎の一軒家に引っ越してくる。そこには「まっくろくろすけ」というまりものようなススのお化けが住みついていて、空き家を好むかれらは一家がやってくると、その夜、次の居場所をもとめて空へといっせいに舞い上がっていく。 観るもの誰もが、この冒頭から異世界へとごく自然に誘われていく。 トトロに会いに行こう! 神々の集う杜 (もり) を歩いて トトロに会いに行こう! 止止呂支比賣命神社の名前を自宅の書斎ではじめてのなかで目にしたとき、わたしは思わずにやけてしまった。「トトロだ!」 しかし残念ながらトトロではなく、すぐに「とどろきひめみことじんじゃ」と読むのだと知れたわけだが、以来、いちどゆっくりと時間をかけて、そのお社を参拝してみたいとずっと思い続けていた。こじつけ、思い込みでもかまわないから、境内のどこかにトトロにゆかりのものを見つけたく

    【大阪市住吉区】止止呂支比賣命神社、そうだトトロに会いに行こう! - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2022/11/01
    どこか忘れましたが土々呂という地名をみたことがあったような記憶があります。結構、メジャーな名前なのでしょうか。
  • 【鳥取県米子市】粟島神社 。 静の岩屋、八百比丘尼の眠る洞 (あな) - 旅ながらの日々

    よく晴れた日だった。 道路の見通しはよく、行き交うクルマもすくなかったが、けっしてとばしたりはしなかった。 速度を50キロにあわせることに集中する。スピードメーターとにらめっこだ。 突然、路面からの細かな突き上げを感じ、大きな音が響きわたる。雪解けの舗装路をスパイクタイヤではしっているようなにぎやかな音。ゴーっという音が、ときおり高くなったり低くなったりと、まるで手動でラジオのチューニングをあわせているときのような調子で耳をおおう。 音はしばらくつづいて、不意にやんだ。 指揮者に命じられたオーケストラ団員がいっせいに手を止めたように。 メロディーロード。 米子・境港線 (県道47号線) を境水道のほうに向かってはしっていた。大橋をこえると美保関町になる。 米子空港 (鳥取県境港市。ただし敷地の一部は米子市) の巨大な敷地がせまるあたりまで来ると、路面に深さ数ミリ程度の溝を約300メートルに

    【鳥取県米子市】粟島神社 。 静の岩屋、八百比丘尼の眠る洞 (あな) - 旅ながらの日々
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    kaeru2022 2022/10/24