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2009年3月24日のブックマーク (5件)

  • 経済危機克服のための「有識者会合(エコノミスト・学識経験者)」要約その1:個別政策編 - I 慣性という名の惰性 I

    ⇒経済危機克服のための「有識者会合」(エコノミスト・学識経験者)-平成21年3月16日 - 政府インターネットテレビ 非常に面白いんだが長いので見てない人も多いだろうということで、要約。まずは各有識者の持論部分を要約する。後で麻生総理や与謝野三位一体大臣などの質疑を書き起こす予定。 あ、内容は保証しないので疑問を持った方は直接上の政府インターネットテレビを見てね(はあと)。間違いの指摘などはもちろん歓迎。 伊藤 元重(東京大学大学院経済学研究科長・経済学部長) 家計の過剰貯蓄が問題(NIRAのレポートより) 財政政策は大事だが、長期的には民間の貯蓄の有効活用が必要 現在は若い世代にツケを回している。これをどう解決するか 1,500兆円の個人金融資産の75%は60歳以上が保有。これは死ぬまでほとんど使われない退蔵資金。安心できる社会保障がないことが問題 対策としては期限を切った「贈与税の無税

    経済危機克服のための「有識者会合(エコノミスト・学識経験者)」要約その1:個別政策編 - I 慣性という名の惰性 I
  • ドア脇と言わず、車体の中央からでもどく必要があることがあります。 マジ..

    ドア脇と言わず、車体の中央からでもどく必要があることがあります。 マジレスするよ。満員電車の乗り方、すごしかた。どれも結論は「空気読もう」なんだけど、そのデフォルト空気について。 乗る前ホームを良く見ましょう。 乗車目標という印字が床にあるなんだか枠線が引いてあるホームの向かい側に乗車目標と書かれたプレートが貼ってあるなど、目印があるはずです。駅によって違います。上記が全部あるところもあるし、一部かけている場合もあります。 枠線、もしくは乗車目標の前に人が2列や4列で並んでいるはずですから、その後ろに並びましょう。並ぶ際、枠線の曲がりに沿って並びます。(並ばないと「乗る気がないな」と判断されます。その結果乗れません。誰も並んでいないような時間帯なら適当に構えていても乗車できますが、そういう時間帯の話はしていません。) ホームに電車が突入する時飛び込まないでください。特に中央線! 列車が停車

    ドア脇と言わず、車体の中央からでもどく必要があることがあります。 マジ..
    kagakaoru
    kagakaoru 2009/03/24
    全俺が泣いた
  • 経済危機克服のための「有識者会合(エコノミスト・学識経験者)」要約その2:質疑応答編 - I 慣性という名の惰性 I

    最初は全文起こしやろうかとおもったんだが、途中でだるくなってやめた。一応大意ははずしてないつもりだが、内容の保証はしないのでご利用は計画的に。意味がわかりにくいところはryozo18が勝手に行間を補っているので、この要約をソースに空中戦をやったりはしないでね(はあと)。 質疑応答 麻生:1,400兆円の個人金融資産の貯蓄から投資へというのをやっている。しかし遺産相続を受け取る人の平均年齢というのは多分67とか8で、遺産を渡す人のほうはだいたい90ぐらい(平均で)。つまり贈与税を無税にしても受け取るほうが高齢者なので使わないのではないか。やる気はある。例えば具体的に、じゃあ1,000万を無税にするがその代わり必ず家に投資しろというようにモノにしないとだめなようにするわけなのか? 伊藤:議論はあるだろうが、一番即効性あるのは具体的に限定した場合だと思う。住宅でも何でもいいが、そういうものに使う

    経済危機克服のための「有識者会合(エコノミスト・学識経験者)」要約その2:質疑応答編 - I 慣性という名の惰性 I
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    kagakaoru
    kagakaoru 2009/03/24
    ここにいるよ/松崎しげるで死んだwww 
  • 明るい懐疑とコミュニケーション(追記あり) - 理系兼業主婦日記

    ニセ科学 | 自分と信念を異にする相手と客観的に議論を進め、ひとつの合意に至ることは当に難しい。 自分の方が明らかに客観的かつ論理的であり(と自分が思っており)、相手の方が明らかに主観的かつ非論理的である(と自分が思っている)場合は、なおさら難しい。 その相手と関わり続ける必要がないならそれでよいが、どこでもかしこでも国交断絶ばかりしているわけにもいかないのが、人間社会のシンドイところ。 客観性と論理性は、人間どうしが理解しあうためのツールであるはずなのに、それらだけでコミュニケーションがうまくいく場合は多いとは言えない。なんでだろう? ムチャなことを言いがちな相手と議論をするとき、「客観的」を自認する人は、まず「相手が間違っているのではないか」という前提で思考を開始する。より正確な結論を導き出すことを目的とする場合、この態度が正しくないかといえば、もちろん正しい。議論の相手が、どうにも

    kagakaoru
    kagakaoru 2009/03/24
    正しいことが最良とは限らない話