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明るい懐疑とコミュニケーション(追記あり) - 理系兼業主婦日記
ニセ科学 | 自分と信念を異にする相手と客観的に議論を進め、ひとつの合意に至ることは本当に難しい。 ... ニセ科学 | 自分と信念を異にする相手と客観的に議論を進め、ひとつの合意に至ることは本当に難しい。 自分の方が明らかに客観的かつ論理的であり(と自分が思っており)、相手の方が明らかに主観的かつ非論理的である(と自分が思っている)場合は、なおさら難しい。 その相手と関わり続ける必要がないならそれでよいが、どこでもかしこでも国交断絶ばかりしているわけにもいかないのが、人間社会のシンドイところ。 客観性と論理性は、人間どうしが理解しあうためのツールであるはずなのに、それらだけでコミュニケーションがうまくいく場合は多いとは言えない。なんでだろう? ムチャなことを言いがちな相手と議論をするとき、「客観的」を自認する人は、まず「相手が間違っているのではないか」という前提で思考を開始する。より正確な結論を導き出すことを目的とする場合、この態度が正しくないかといえば、もちろん正しい。議論の相手が、どうにも
2009/03/24 リンク