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ブックマーク / number.bunshun.jp (2)

  • 30周年の東京ドームに燦然と輝く、松井秀喜と大谷翔平だけの勲章とは?(鷲田康)

    完成前の東京ドームを見て、長嶋茂雄は「天井にボールをぶつけることは無理だろう」とコメントしていたという。 1988年2月7日午前6時。 私は沖縄・恩納村にあるホテル・ムーンビーチの駐車場にレンタカーを置いて、海岸に向かって歩いていた。中日のキャンプは早朝の散歩から始まる。それを取材するために、当時、報知新聞の中日担当記者だった私は、眠い目をこすって毎朝、ホテルに駆けつけていた。それが番記者の1日の最初の仕事だったからである。 ところがホテルの建物に入るか入らないかのところで、血相を変えた中日の大越広報部長(当時)が飛んできた。 「ワシダッ、大変なことになった!」 大越部長がまくし立てる。 「監督が朝のときに今朝の報知を見て凄まじい勢いで怒っているんだよ。いま顔を合わせたら大騒ぎになる。練習が始まるまでに何とかオレがなだめておくから、今日はここで帰れっ!」 監督とはこの年、就任2年目を迎え

    30周年の東京ドームに燦然と輝く、松井秀喜と大谷翔平だけの勲章とは?(鷲田康)
    kagobon
    kagobon 2018/03/18
    天井の隙間に入って落ちてこなくなった松井と大谷が打ったボールは回収され、野球殿堂博物館に陳列されている。
  • スピード、パス、パワーが揃ったCB。森重真人が代表で輝くための条件。(二宮寿朗)

    ベラルーシ戦で、屈強な相手選手たちにも競り負けなかった森重真人。しかし、彼のポテンシャルはこんなものではないはずだ。 森重真人の評価が確実に上昇している。 東アジアカップで代表初キャップを刻んで以降、9月のグアテマラ戦で先発フル出場し、中3日のガーナ戦でも後半途中からピッチに入った。10月の欧州遠征メンバーにも選ばれ、第2戦のベラルーシ戦では後半早々、3バックに切り替える時点で投入されている。今野泰幸、吉田麻也に続く“第3のセンターバック”として、今やその地位を確立しつつあると言っていい。 東アジアカップで優勝したメンバーから先の欧州遠征に参加したのは他に柿谷曜一朗、山口螢、齋藤学の3人だが、森重は彼らより一世代上だ。田圭佑や長友佑都、内田篤人らとともに北京五輪を戦ったのが5年前。仲間たちが順調にA代表の中核を成していくなかで、森重はその才を高く評価されながらお呼びが掛かることはなかった

    スピード、パス、パワーが揃ったCB。森重真人が代表で輝くための条件。(二宮寿朗)
    kagobon
    kagobon 2013/10/29
    スピードバスパワーってUSBみたい。
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